(ご協力頂ける方はこのままの文章で構いませんのでブログに
掲載お願い致します)
2月12日(水) 曇り お仕事
長く住んだ浜松市から県内牧之原市に転勤する直前
悪性リンパ腫と懸命に闘っていたのこちゃんが逝った。
もう遥か昔の事のように思えるが未だに忘れられない。
名古屋から静岡に転勤されるという飼い主さんから
のんちゃんとペアで里子としてお迎えしたのこちゃん。
のこちゃんは里子とは思えないくらい懐いてくれて
喧嘩は一番強かったけど自分には従順だった。
不治の病に侵されてからはずっと一緒に寝起きした。
それでもベットを汚す事は殆ど無かった。
今でも彼女の感触が手の平に残っている。
お迎えしてから我が家で真っ先に逝ってしまった
のんちゃんも含め里子にお迎えして良かったと思う。
後ろ足が麻痺しても介助車に乗って元気に走り回り
最後の最後まで我が家のお局役をまっとうした。
「のこちゃん!君が居てくれたから今も自分はこうして
踏ん張っていられるんだよ」
「のこちゃん!全て君のお陰だよ。本当に有り難う」
「本当に有り難う!そして君にもう一度逢いたいよ」
転勤でこちらに越して来て、足掛け2年の間にともに苦楽を過ごした4フェレたちをいっぺんに失い弱気になっている自分が情けなく思います。
そんな折また転勤の話が持ち上がりました。
何処に異動になるかわかりませんがまた悩ましい日々となりそうです。
浜松から静岡に転勤する頃にはのこちゃん、静岡 からこちらに転勤する前にはジャスミンとお別れしたので、余計に負担が重くのし掛かります。
今回はマロンのお骨と銀次郎を連れての引っ越しになりますが、還暦を過ぎて4月からは給与も下がるので大変です。
でも銀次郎が居ますからね。頑張らないとです。
涙が出てしまいました。
のこちゃんのぬいぐるみと一緒に走る姿、
フェレボードをつけて嬉しそうに走る姿、
ポン太さんに一生懸命看病してもらった姿、
いろいろなことが思い出されました。
小さな体で一生懸命に生きたのこちゃんや、
フェレちゃんたちのことは私もずっと忘れないです。
そして、フェレちゃんに沢山の愛情を注ぎ、
フェレちゃんのために一生懸命に看病をするポン太さんの姿も私の中ではとても印象に深く残っています。
コメントの中で、辛いお気持ち、早くフェレちゃんたちのもとへ行きたいというような文があり、ポン太さんのことが心配です。
私もメイちゃんに会いたい、といつもおもっていますが、
それは一生懸命生きた後のお楽しみと思っています。ポン太さんのかわいいフェレちゃんたちは、ポン太さんにもらった愛情を決して忘れずに、ポン太さんが一生懸命に生きてから会えるまでずっと待っていてくれると思います。
ポン太さんには銀ちゃんもいますし、体調管理に気をつけながら、心にも栄養をあげて元気になってくださいね!
でも落ち込まないで下さい。
と言っても私は兄弟たちの大変さは間接的に理解はしているつもりですが結婚とは無縁でしたからね。
私には偉そうな事を言うだけの人生経験があまりにも不足しています。
とにかくそんな甘っちょろい今生の自分が今まで何とかやって来れたのも今は亡き8フェレさんたちとの暮らしがあったからですしね。
最近のこちゃんの動画をよく観るんですが、一日でも早く彼女たちと再会したいなと思ってしまいます。
今生きてるのがホントに辛いですから。
長生きなんかしたくない、そう思う毎日です。
でも銀次郎が居ますしね。
全然懐いてくれなくて寂しいですけどね。
のこちゃんの命日だったのですね。
のこちゃんは、特別お利口さんなフェレさんだったと思いました。
記憶しています。
動画を拝見して、
ポン太さんのような優しい方に引き取ってもらえて、のんちゃん、のこちゃんは幸せだったと思います。
人間って生きていく上で辛い事の方が多いかも知れませんが、
こうして楽しくフェレさん達と過ごせた思い出は、一生の宝物ですよね。
今、私は姑との事でちょっと凹んでます。
2度も大喧嘩しましたし‥
考え方の違いが根本にあるので、
この先うまくいく事はないと思います。
こんな落ち込んだ状況でコメント失礼でしたね。
すみませんm(_ _)m