ジグフリード

真実を愛する心

絡み

2021-03-30 13:17:39 | Unknown Knowns

¶1 いつも残っている時間が多くないと思って生きていました。 私を取り巻くすべてが私の生存に友好的なわけではないのです。 ただ、このように言っておきます。 それで実の母親を探す作業と並行して、普段必ず残したかった文を書くことに専念していました。 この二つは内容は別物でしたが、真実発見という共通分母があり、お互いに役に立っている側面もありました。 人文社会のほうでは、先ほどブログや以前出版した本である程度は整理していたので、2018年半ばからは、つまり本格的に母親の探索を始めてからは科学分野に集中していました。 さっき「共通分母」について言及しましたが、それは二つの共通した属性に起因します。 すべて隠そうとする勢力があって、真実が遺伝子型ならそれを隠すために人為的に作り出した表現型があります。 組織の反対概念として、どこかに属していない個人が、その中身を見極めることは不可能に近いのに、唯一の方法は表現型に見られる予想できなかった変異を逆追跡して入ることです。 例えば遺伝子が誤って撒いた自己矛盾に、そのコードの位置は現れますからね。 実際、このように「逆に」に入る方式は、彼らが嘘を構成する方式とも似ているという点で、造物主の平衡原理を再び思い出したりもします。

¶2 時間があまりなくても、時には具体的な事例に対する緻密な論証よりも、考えてみるようにする文句を提示することが大衆的にはより効果的だと思います。 これは、これまでの著述や出版作業を通じて悟ったことでもあります。 かがくは「ある時点」から数学の言語で記述されるようになりました。 それで、ある有能な数学者の言葉を紹介してみます。

  • 1910年の春の日,ベルギーの実業家エルネスト·ソルベイ(Ernest Solvay)は,科学学術会議を組織するアイデアを思い出しました。 このアイデアの背景は、やや「複雑(circuitous)」で「奇怪(bizzare)な」ことでした。 ソルベイはソーダ製法を開発して大金持ちになった人でもありました。 この商業的成功が彼に自身の能力に対してかなりの自信を与え、その後、科学に関心を持つようになり、それで彼は物理学にも挑戦してみるようになりました。 ソルベイは物質と重力に関する理論を作り上げたが、もちろん科学と実在(reality)とはほとんど関係のないものでした。 しかし、彼は非常に裕福で、人々は、さらには彼の話がでたらめだと知りながら、彼の話を聞きました。 ドイツの科学者ヴァルター·ネルンスト(Walther Nernst)はソルベイに、このような提案をしました。 彼が最高の物理学者たちのための会議を開催して、彼らに自分の理論を発表するようにと言います。 すると、人々が彼の理論に注目するでしょう。 ソルベイがこの提案を受け入れて、ソルベイ会議が誕生したのです。 最初の「ソルベイ会議(Conseil Convay)」が1911年、ベルギーのメトロポールホテルで開催されました。*


機会があれば、次のポスティングでこのテーマに内容を加えましょう。

* Amir D. Aczel, Entanglement: The Greatest Mystery in Physics, Four Walls Eight Windows: New York, pp. 109-110, 2001.

 

¶1 항상 남아 있는 시간이 많지 않다는 생각으로 살고 있었습니다. 저를 둘러싼 모든 것이 저의 생존에 우호적인 것은 아니거든요. 그저 이렇게만 말해두죠. 그래서 친어머니를 찾는 작업과 병행해 평소 꼭 남기고 싶었던 글을 쓰는데 전념했었죠. 이 둘은 내용이 별개였지만 진실발견이란 공통분모가 있어 서로에 도움이 되는 측면 또한 있었습니다. 인문사회쪽에선 앞서 블로그에 올린 글이나 이전에 출간한 책에서 어느 정도는 정리한 상태여서, 대략 2018년 중반부터는, 그러니까 본격적으로 어머니에 대한 탐색을 시작한 때부터는 과학분야에 집중했습니다. 좀 전에 "공통분모"를 언급했는데요, 그 것은 두 곳의 공통적인 속성에 기인합니다. 모두 감추려는 세력이 있고, 진실이 유전자형이라면 그것을 가리느라 인위적으로 만들어낸 표현형이 있습니다. 조직의 반대개념으로서 아무런 곳에 속해 있지 않은 개인이 그 속살을 알아보는 것은 불가능에 가까운데, 유일한 방법은 표현형에서 보여지는 얘기치 못한 변이를 역추적해 들어가는 것입니다. 이를 테면 유전자가 실수로 뿌려놓은 자기모순에 그 코드의 위치가 드러나는 법이니까요. 사실 이렇게 '거꾸로' 들어가는 방식은 그들이 거짓을 구성해 내는 방식과도 비슷하다는 점에서, 조물주의 평형원리가 다시 생각나기도 합니다.

¶2 시간이 많지 않아서이기도 하지만, 때론 구체적인 사례에 대한 치밀한 논증보다, 생각해 보게끔 하는 글귀를 제시해 보이기는 것이 대중적으로는 더 효과적이란 생각도 해 봅니다. 이건 그간의 저술이나 출판작업을 통해 깨달은 바이기도 하고요. 과학은 '어느 시점'부터 수학의 언어로 기술되기 시작했습니다. 그래서 한 유능한 수학자의 글귀를 소개해 봅니다.
 

  • 1910년의 어느 봄날, 벨기에의 기업가인 에르네스트 솔베이는 과학 학술회의를 조직하는 아이디어를 떠올립니다. 이 아이디어의 배경은 다소 복잡하고(circuitous)하고 기괴한(bizzare) 것이었지요. 솔베이는 소다 제조법을 개발해 거부가 된 사람이기도 했습니다. 이 상업적 성공이 그에게 자신의 능력에 대해 꽤 큰 자신감을 주었고, 그 후 과학에 관심을 가지게 했으며, 그래서 그는 물리학에도 도전해보게 되었습니다. 솔베이는 물질과 중력에 관한 이론을 만들어 냈는데, 물론 과학과 실재(reality)와는 거의 상관없는 것이었지요. 하지만 그는 굉장히 부유해서 사람들은, 심지어 그의 말이 엉터리라는 것을 알면서도, 그의 말을 들었습니다. 독일과학자인 발터 네른스트는 솔베이에게 이런 제안을 했습니다. 그가 최고의 물리학자들을 위한 회의를 개최해 그들에게 그의 이론을 발표하라고요. 그러면 사람들이 그의 이론에 주목할 것이라고요. 솔베이가 이 제안을 수용해 솔베이 회의가 탄생된 것입니다. 첫 번째 솔베이 회의(Conseil Convay)가 1911년 벨기에의 메트로폴 호텔에서 개최되었습니다.

実母へ

2021-03-14 12:10:38 | 日記

当然のことながら、アウグスティヌスは告白録で「認識できないことは愛せない」と書いてあります。 私が探した理由はこれしかありませんでした。 もし寒い所にいらっしゃったら暖かく過ごすことを祈りますよ。


正貨 (日本語)

2021-03-10 10:58:26 | Unknown Knowns

¶1 金本位制、たくさん聞いたことがあると思います。 主流経済学教科書とインターネット検索で発見できる金本位制に対する説明を要約してみると、貨幣の価値を金の価値に置くということに過ぎません。 したがってこの説明は、金本位制の本質を見ないようにする側面があります。 金本位制は、国内の通貨制度としてではなく、国家間の貿易に必要な概念だからです。 まず金本位制、金地金本位制、金環本位制を区別する必要があります。 金本位制は残りを包括する概念で書かれていることもあり、意図的なものかどうかはわかりませんが、時々誤解を招いてしまいます。 実際、金本位制(gold standard)は金貨(gold coin or specie)を鋳造して流通させる制度を意味します。 中国、韓国、日本といった漢字文化圏において、正貨と呼んでいる通貨のことです。 貨幣そのものが価値を含んだ金属で造られているのでしょう。 それで「正しい」お金なのですが、これの含意は後述します。

¶2 金地金本位制(gold bullion standard)は、金を銀行のみが保有し、銀行は金との交換が約束された銀行券を発行·流通させる制度です。 金環本位制(gold exchange standard)は国際的な属性のある制度です。 金地金本位制を採択した影響力のある国家が中央銀行券を発行し、この通貨を他の国々がお互いの決済に利用するが、その発券国家に金との交換を要求すると、発券中央銀行がこれに応じなければならない制度です。 いずれも貨幣価値が金に結びついていますが、後のものほど金との繋がりが緩くなる方です。

¶3 ご存知のように、今は世界の主要国の通貨制度が金または他の貴金属と完全に別れた状態です。   1971年、ニクソン大統領が緩くとも金との連結を維持してきた米国中心の金環本位制で金との交換を中断すると宣言したですから。

¶4 再び、金本位制の本質に関する話に戻ります。 金本位制は、国内外を問わず取引自体に関する通貨制度上の一概念であるという印象を与えますが、実は国外取引、つまり貿易に関わる概念であると申し上げました。 なぜなら、ある主権国家の貨幣が国境内でのみ使用されるのであれば、今のように法で強制的に通用させさえすればいいだけ、貨幣の価値をどこかに縛る必要はないからです。 ご存知のように、法とは強制力があってはじめて法であるが、国境を越えるとこれがよく確保されません。 現在も多くの国際実定法がありますが、法律自体の強制力というより、国家間の力の論理によってのみ適用されるのが実情です。 したがって、国家間では「強制通用力」を法律で定めることはできないため、何か通貨を利用した取引においては異なる制御要素が必要だったということが逆に分かります。 実は金本位制の英語表現である「gold standard」は金を「基準」とするという意味です。 国家間の交易では通貨が異なるため、通貨間の価値を比較する基準が必要だったのです。そのため、この基準によって迂回的に通用力を生み出したのです。このような観点から見ると、金本位という単語で「本位」という言葉に適用された命名法自体が若干欺瞞的なものであることが分かります。 実は、専門分野どこでもそうですが、財政と金融でも大衆が実体を直観的に把握できないように意図された命名法が少なくありません。 代表的な例が「公開市場操作」のようなものです。 政府が国債を発行すれば、商業銀行(都市銀行)がこれを買い付け、中央銀行に担保として提供し、そうすると、中央銀行は発券力を利用して提供された担保に相応する金を創造した後、銀行に貸します。 これは現在のお金が「誕生」する過程を最も簡単に描写したものでもあり、全国民が未来に納付する税金を基盤にお金が生まれることを話したことでもあります。 言い換えれば、銀行は完全に自分のものに由来するものがないにもかかわらず、通貨を生成·分配し、これを通じて収益を上げる実質的な権限を持っているわけです。 これは、すばらしい特権です、この操作には「誰もが」参加することもできず、その実質が公衆によく知られているわけでもありません。 ところが「公開」という単語は何か透明で、皆に開かれている感じを与えています。 ちょっと横道を抜けましたが、ともかく金本位制は貿易に関するものであり、名前そのものが大衆的な説明になるには「金基準外貨取引」ぐらいがいいのではないかと個人的には思います。

¶5 国家間の商取引は昨日や今日のことではないです。 非常に歴史が長く、我々が「歴史」という名の下で学んできたすべてがここに結びついたのです。 しかし、制度圏教育では、歴史科目では主に支配階級の治績を年代記の順に並べるだけで、経済史と科学史を詳しく並行させません。 そうすれば、断片的にしか知られていない歴史的事実の本当の背景が明らかになるからです。 簡単に言いますと、全くそうではなさそうなことも大体「お金」のために起こったことです。 信じがたいでしょうが科学分野でもそうです。 私たちが日常で経験する人間関係での葛藤も表面上は理由が様々のようですが、中身を見ると大抵のことは食べていく問題、すなわちお金の問題に帰結するのと同じです。 また脇道へそろうとしているのですね。 いずれにせよ、貿易の歴史は短くありませんでした。ならば、短くない時間の間、金を国際取引のための通貨制度の基準にした理由があったのでしょう。 またこれを廃止した理由もあったのでしょう。

¶6 金貨、つまり正貨を作って使うと貿易上のメリットがあります。 貨幣の素材自体が価値を持つものを作って使うことなのに、だとすればまずなぜよりによってその素材が金でなければならなかったのかを言及することが順序だと思います。 現在金が価値を持つ理由は、これが珍しいからです。 もちろん金が金属学的に持つ優秀さもあります。 よくご存知の通り、電気伝導度と延性においては金が金属の中で一番です。 こうした性質の代わりになるような他の素材がないため、スマートフォンにも金が一部入ります。 この物理的特徴は、錆びにくい金の特性にも寄与します。 貨幣がさびたら困るでしょう。 錆びるということは、酸化して砕け、それで「量」が減るという意味です。 今のように額面に書かれた数字ではなく、それ自体の量がすなわち持っている富の量になるお金を、時間が経つにつれて量が減る物質て作ってして使うと所有者はるでしょう。また、昔は貿易取引の結果として貨幣を船で移さなければならなかったのです。 海水に落ちてもさびがつかない金は、よい材料だったのでしょう。 そうだとすれば、このような特徴を持つ別の金属があれば、あえて金だけを素材にこだわる理由はないでしょう。 良い例として銀貨があります。 中国と日本が作って使ってしました。 知られている通り、周期律表上同じ軸にある元素は性質が似ています。 金、銀、銅が同じ軸に置かれています。 また、この三つの金属は殺菌力がとてもいいです。 貨幣は取引が盛んになると人の手をたくさん経るんですが、ばい菌を移しやすい物質に作られると困りますね。 金と銀だけでなく、今のパンデミックな状況でも、人々の接触が多いドアノブやエレベーターのボタンなどに銅で作られたフィルムが貼られているのを多くご覧になったと思います。 今のところオリンピックでこの三つの金属で作られた賞を与えるのは、それらが貨幣として使われた歴史的象徴であるとともに加え、それを可能にしたこうした物理的特性による優秀性とも関連があるでしょう。 しかし、金と銀が貨幣に使われた最大の理由は適当に貴重だったということでしょう。 あまりありふれたものだったら金属を確保する能力のある誰かにとっては、貨幣を自ら鋳造して流通させる大きな誘惑になるでしょう。 また、この金属は創造し出すことがほとんど不可能です。 現代の科学では、それが全く不可能なことではありませんが、作るのにかかるコストが、作った鋳貨の価値よりはるかに大きくて作ることができません。 金や銀が素材として使われるようになった背景についての話が、とても長くなったのですね。 これから正貨(金貨)が持つ貿易上の利点を考えてみましょう。

¶7 韓国と日本の貿易を想定してみましょう。 商品は私が好きな日本のビールと韓国の海苔だとします。 両商品の価格は、自国貨幣で表示されます。 ビール一缶が200円で、海苔一袋が2000ウォンですが、交易が初めてだとすれば、互いに相手の通貨の価値がどの程度なのか気になります。 しかし、心配する必要はありません。 一円でも一ウォンでもすべて金で作られています。 実際は実用的で硬さを保つため、他の金属が混ざっていますが、とにかく通貨一単位に入っている金の量だけ分かればいいです。 そうすると、好きなだけビールと海苔を交換して差額を精算しさえすればそれで結構です。 ビールがひときわおいしく、総額(金の量)で海苔よりも多く売れたと仮定してみましょう。 そうすると、韓国のウォンは日本に流れ込むことになります。 日本の貿易商は、このウォンを次回、韓国との取引のために保管してもいいが、そのまま溶かして日本の金にして使ってもいいし、金含量に対する信頼さえあれば、あえて酒造費用をかけて変えるのではなく、ウォンを日本でそのまま使ってもいいです。 重要なのは共通の基準、すなわち金ですから。 実際、正貨が流通した時代は、一国家に複数の国籍の貨幣が流通しました。 日本国内でウォンを基軸通貨である米ドルを経て日本円に両替しなければ、ただの紙切れに過ぎない、それも両替された金額が時間とともに変わる今のウォン(反対の場合の円)とはかなり違う部分です。 前者は貨幣が持たなければならない属性のひとつである「通用性」が広範囲にわたるという点で、後者は価値の「安定性」という点で正貨が持つ長所です。 特に、今の通貨が国境を越えて両替される時、時間と共に価値が変わるのは、貨幣が価値を持つ実物の取引に奉仕するという本来の機能を失い、それ自体が投機の対象になるために発生するものです。これは正義に反するものです。 誰がよりおいしいビールを上手につくるかではなく、誰がより上手に賭博をしたかによって富の量が決まるからです。 この投機可能性は貨幣の「量」を誰が、どれだけ任意に調整できるかの属性によって決まりますが、これに関する今の通貨と正貨の違いは後述します。 いずれにせよ、「量」の観点とは別に、正貨にはこういう投機の可能性はありません。 ギャンブルとは確率的に相補的な他のものがあってこそ、その他のことの犠牲によって利益を得ることができます。 ウォンと円は、名前が違うだけで、すべて同じ金なので、ギャンブル自体が成立しないのですね。

¶8 上の段落でお話した、正貨の長所はある意味、残りの一つの長所に比べると皮相的かもしれません。 上記の例で、日本のビールが品質に優れ、韓国から輸入した海苔の輸入総額よりも多額の輸出であれば、韓国の通貨が日本に流れ込むと言ってしました。 すると、ウォンも日本円と同じ「金」で作られた貨幣であり、つまりすぐに使える貨幣であるため、日本では流通中の総通貨量が増加する効果が発生するのです。 この言葉は日本の物価が上昇するという意味です。 短期間で実物の量より貨幣の量が多くなった状況からです。 そうなると日本のビールの価格も上がってしまいます。 当然ビールの価格競争力は落ちて輸出も減ることになります。ここまでの私の説明は、正貨礼賛論者が言う貿易における「自動調節機能」です。 おそらく、国力の差による一方的な貿易での優位が最終的には手をつけられない力の不均衡を招く状況を自動的に未然に防止できるという意味で言ったのでしょう。 もちろん、どのテキストを見ても自動調節機能の当為性について書かれたものはなく、私の推測がそうだということです。 しかし、この自動調節機能には直観に反する面があります。 良い品質、高い生産量など、一生懸命努力して輸出した結果が、かえって国内商品の対外競争力の弱化をもたらすということは、いくらよく見ようとしても気まずい結果です。 この現象を正しく見るには、以前韓国語で出版した私の卒著『通貨制度による奴隷化作動原理』を書いてて知ったいくつかの原理が役に立つと思います。 閉鎖経済内部で、つまり、一国に限られた範囲内で物価が上がるのは、単に通貨量が増加したからではありません。 その増加した通貨が「すでに存在する」物の購入に利用される時、物価が上がります。 経済学で教える中央銀行の基本任務の中には物価の安定がありますが、それはまさに中央銀行がすることが通貨が増えたとすれば、これをどこかすでに存在する物にくっつく前に回収することです。 中央銀行自ら発行した債券で、急増した通貨を吸収し、ゆっくり割引してくれたり、甚だしくは焼却してしまったりすることもありますけど、これはあまり一般には知られていない事実でもあります。 上記の正貨礼賛論者が言う正貨の純機能の一つも、この視点から考えるべきだと思います。 彼らの論理の中では、輸出で得をした国が、相手交易国と力のバランスを取っていく原因が、輸出国の物価上昇にありました。 その行間の意味は、つまり正貨の隠された純機能は、貿易で稼いだ正貨を再び新しい実物の創造に使わず、すでに存在する物の購入に利用する時、それを罰する機能なのです。 「すでに存在する物」の代表例は何でしょうか。 そうです。不動産です。 今の経済言語で表現すれば、企業がお金を稼いで研究開発や雇用創出のように経済生態系内部の構成員全員に役立つ再投資をせず、株主と本人(株主の代理人)の極端な利益追求のための不動産投機に利用することを通貨自ら懲罰するわけです。

¶9 上では正貨が利用された理由とその脈絡についてお話しました。 そうすると、前述の通り、このよい正貨がなくなった理由もあるでしょう。 金貨本位制から金地金本位制を経て、金環本位制を最後に世界経済は金(または銀)と完全に決別しました。 なぜでしょうか? これを理解するためには、まず正貨の反対側にある通貨概念、不換通貨(Fiat money)を認識しなければなりません。 「不換」は文字通り変えてくれないことです。 何かと変えてくれませんか。 本位貨幣です。 本位貨幣は金や銀と交換できる貨幣をいいます。したがって、上記の金本位制の最も緩い形態である金環本位制それさえもない、その次に作られた貨幣をいいます。 つまり、現在私たちが使用している法貨(legal tender)を意味します。 法貨は文字通り「法」によってのみ存在する貨幣です。 不換貨幣の英文名である「fiat」は、ラテン語で「それが生まれろ("may it be made")」を意味します。 ほんの一言で存在するのです。 聖書の創世記で、太古に神が「光があれ」と言ったのと同じ言葉です。正貨の金や銀のように、上記の様々な特性による価値上の実体なく、法が定めた強制流通力によってのみ、その存在と価値が生じたのです。 もちろん、大概の国内法には「わが国の貨幣は法花だ」と明示的に言う条項がありません。 韓国の例を挙げると、中央銀行の設立や運営に関する法律において、中央銀行券を「唯一の」決済手段と定めており、民法や商法などでこの決済手段として決済を希望するなら、必ず受け入れなければならないとか、これを受け入れなければ処罰されるといった具合に、迂回的な形の散在した条文が結合して「強制流通性」が与えられているのです。 これもまた、法貨の概念が公衆に正確に認識されないようにする、一つの装置ではないかと思います。 もちろん、主流経済学や法学でもこれらを詳しく説明せずに、すでに「前提された」概念で言及しているだけです。 なぜかと言うと、正貨と対比される法貨の重要な特徴と関連があります。 この特徴は、上で述べた金本位制の進化形態、つまり金貨本位、金地金本位、金環本位へと変化した過程が説明してくれます。 金貨本位制と金地金本位制の違いは、実際に金は移動しないということです。 金と交換が約束された貨幣だけが移動するだけでした。 大概の経済史や歴史書では金が重かったからだと説明しています。 もちろん間違ったことではありません。 しかし、本当の動機は金地金本位制を試験的に運営した経験から出たものでした。 こうすると「金引換券」をこれと交換できる金の量よりもたくさん発行できるということを知ったのです。 金引換券とはいえ、実際に金と両替する人が一定比率以下だという統計的経験則と、金引換券が発行された規模は発行者だけが分かるという情報の非対称性のために可能だったのです。 これは本やインターネットでよく知られている銀行業の起源です。私が強調する部分は通貨の「量」です。 金貨本位制は金や銀を追加で採掘しないと通貨量を増やせないのに対し、金地金本位制や金環本位制はそれが可能だという点です。 最初は不足していたり、ないものを十分なように偽って発行された金引換券が、今では堂々と部分支給準備金(fractional reserve)という名前の合法制度として位置づけられるようになったのです。 そうすると、通貨の「量」を増やすべき当為について、自然と関心を持つようになります。 これも教科書的な答えが存在します。 人口増加で経済規模が大きくなり、実物生産が増えれば、これを流通させる十分な量の貨幣が必要だという論理です。 もちろんこれもやはり間違った言葉ではありません。 貨幣は現代経済学の用語で、「支給」と「決済」が主な機能ですが、社会活動(経済)の主体であり客体である人を動かすためにはその対価として何かを支給し、商品やサービスを生産·流通させるためには決済しなければなりません。 だから十分な「量」が重要です。 ところで、正貨と法貨の両貨幣間で通貨を増やす方法には重要な違いがあるとお話しました。 前者は金や銀が追加で存在しなければなりませんが、後者はそうではないということです。 この事実は広く認識されています。 重要なのはその事実が意味することを知ることです。 正貨だけが流通中だと、貨幣は社会の構成員にくまなく行き渡って所有されることになります。 もし貨幣が少数の人に特に集中しているとすれば、彼らは実質価値の高い商品やサービスを提供する、つまり人々の厚生に実際に大きく貢献している人々に違いありません。 必ずしもそのような商品やサービスを提供する場合のみ、人は「各自」所有する貨幣を支払い、未曾有の物理力を動員しない限り、このように分散している貨幣の所有とその処分を一律に統制することはできないのですから。 言い換えれば、正貨は人間という存在に何の価値があるのかを多数の平凡な人たちが選択するようにする民主性、貨幣が必ず実質価値を追いかれる実体性、そしてその価値交換がリアルタイムで起きるようにする同時性を与えるということです。 こんなに良い正貨も「量」の増加が必要な時点が来るでしょう。 いくら正当な方法で、実際に価値のあるものを生産した少数に貨幣が集中していたとしても、その少数が自分に必要な消費を通じて社会に再供給する貨幣の量は微弱なはずです。 この時、他の人の中で高い生産性と革新をもたらす能力があったとしても、社会全体に流通し、それを共有する貨幣が不足すると、足止めされてしまうわけです。 だからといって、すべてのことを物々交換で解決することはできませんから。 実は、この状況は私が極端な通貨流れの停滞状況を仮定したもので、このような通貨の集中が起きないように経済構造をデザインすることもでき、その構造の下では通貨の集中が起こる可能性も高くありません。 この文の全体の脈絡と関連して、この部分の含意は後述します。 ただ、今回の段落のテーマに限ってこのように仮定した状況は私が言及した望ましくデザインされた経済構造ではない状況で実際に起こったことであり、そうすれば金貨本位制から金地金本位制への移行に非常に大きな動機になったはずです。 金貨の代わりに金貨交換券の発行が持つ属性が部分支給準備制を可能にし、これはとても簡単に通貨を増加させるためです。 問題は、人間というのは、利己的で強欲な存在が、この易しい通貨の蒸発を、前述した問題の解決にのみ、善用されるようにほうっておかなかったことです。 それでは任意で通貨蒸発が可能な制度への移行、つまり金貨本位制の廃止はとてつもなく大きな誘惑だったのですね。 これからこれについて話したいと思います。

¶10 金地金本位制で通貨增発が可能な理由は金と交換できる権利証書、すなわち中央銀行券の発行のためであり、もう少し具体的には同証書を提出して実際に金を引き出すことはあまりなく、可能だった部分支給準備金制度のためだと言及しました。 部分支給準備金制度による幾何級数的な通貨增発メカニズムについては皆様ご存知でしょうから、あえて話す必要はないと思います。 これをご存知であれば、都市銀行が漠然とお金を発行して、通貨をばら撒かないこともご存知だと思います。 しかし、後者に関する詳細についてはこの段落の要点に触れており、一度言及する必要がありそうです。 金引換券の発行主体は、形式的には中央銀行ですが、実際にその発行が行われる窓口は、町内にある銀行、つまり一般商業銀行です。 一般市民の立場から見て、このプロセスで最も理解しやすい例は住宅ローンでしょう。 家は誰もが必要で、誰もが欲しがり、銀行から借金をしないで買う人はほとんどいないからです。 大体、「未来に」生まれて自分のものと予定されている住宅の所有権を銀行に担保として預けて、住宅購入代金の融資を受けます。 これまでの「通貨增発」と表現した、金貨本位制で問題となった不足する通貨量を解決するために、新しい貨幣(通貨)を作り出すことの実体、つまり、新しい社会に追加される通貨が、この時に生まれるのです。 俗に、主流経済学では、経済の三つの主体を家計、企業、政府と教えていますね。 これは現在の法貨体系の下で新しい通貨を創出する主体による分類だと考えればいいです。 住宅ローンは、家計部門の通貨創出の中で、金額的に最も大きく直観的に理解しやすいものを例に挙げたものです。 まず、家計部門の例を挙げた理由は本質は同じですが、あまり知られていない残りの二つの部門を話すためです。 企業と政府も同様の過程で、新しい通貨を創出します。 ただ、銀行に預ける、いや、抵当に入る担保が違うだけです。 また、専門性や規模が家計と異なるため、一般商業銀行だけでなく、企業銀行、中小企業銀行、産業銀行、輸出入銀行など別途の専門銀行があるだけです。 日本を含む他の資本主義国家でも、名称が異なるだけで、似たような機関があります。 企業と政府が銀行に提供する担保は、二つの主体がすでに持っている有形·無形の資産もありますが、「未来に」保有する資産もあります。 例えば、会社が今後営業して得られる収益を得ることができる権利である「売掛債権」のようなものです。 会社が発行する債券である社債も、本質は未来にできる資産を預けることに相違ありません。 もし、ある企業が事業を拡張するために社債を発行して資金、厳密な通貨を調達し、オフィスを追加賃借し、新しい社員を採用したとします。 その新しくできたお金、つまり「借りることによって」新しくできたそのお金の償還は新規事業で儲ける収益で行われるのです。 今、文を読んでいる方が大学を卒業して就職している方なら、またそこで稼いだお金で生活している方なら、皆さんはその仕事のおかげでお金を稼いでいると思うかもしれません。 しかし、実はその仕事は給与みたいなお金ができたからできたのです。 気の利く方はもうお気づきのはずです。 最初、会社が借りたお金は銀行から出て、その銀行の主人は銀行の株主たちで、その株主たちはみんな私的集団で、甚だしくは外国人たちもいます。 銀行の会社に対する貸付決定は、その株主たちの意思を委任された代理人たちが下したものです。 だから政治家を選ぶ投票をうまくやったからといって就職難は解消されないということですね。 もちろん、彼らが立法と行政手段として私的集団の通貨創出の意思を誘導する国内的環境を助成して、間接的に、短期的に就職難を解決することができます。 ところが皆さんは絶対多数、私的集団はごく少数です。 通貨創出を誘導できる環境を助成するということはその少数の利益に奉仕することにならざるをえず、そうするとそれは長期的に皆さんのためになることではないのです。 これについては面白い話が多いですが、しきりにわき道にそれているようなので、これぐらいにします。 もう一度通貨創出に提供される担保の話に戻ってみましょうか。 家計と企業まで調べてみました。 どちらも未来に持つ資産、つまり「今はないもの」を預けて、銀行を通して新しい通貨を作り出した後、自分がそれを受け取って使うのです。もう政府について話す番ですね。 全く同じです。企業の例で社債を例に挙げたように、国の場合も国債を代表的な例として挙げられます。 但し私が「全く同じ」と言った意味について、ほとんどの人はそれほど気にしていないようです。 貨幣の生成過程が同じだけで、家計と企業とは違って、国家に通貨を創出する主体が商業銀行ではなく中央銀行だと信じるか、国家自らだと考えているようです。 いいえ、前の二つの場合と同じです。 家計、企業、政府ともに民間銀行に担保を提供し、その担保を中央銀行が割引して中央銀行名義の貨幣ができるのです。 ただ、現代の金融では、これらの担保が証券化されて流通する過程があまりにも複雑で、最も巨視的な流れがよく見えないだけです。 また、国庫金勘定が中央銀行に開設されたと知られて錯覚を与えるものでもありますが、実際、商業銀行も中央銀行にすべて勘定を持っており、国家の勘定もこれと同じ勘定に過ぎません。国債は、他の担保に比べて国家の税金徴収権で元利金の償還が保証されるため、銀行すなわち私的集団の立場では、最も安全性が大きいという意味で安全資産と呼ばれたりもします。 放される危険性が少なく安全であるため、収益率は家計や企業に貸し出す時より低い可能性があります。 しかし、運営規模を考慮しなければなりません。 私的集団にとっては莫大な利益の源泉なのです。 今、世界的な感染症事態、いわゆるパンデミックで国家が借金をして生計が困難になった国民を助けるケースが多いです。 韓国の場合も、感染病事態で被害を受けた人々に、政府が現金で支援し、税制面での優遇も与えています。 日本も同じだと聞きました。最初は予算を絞り取んで給付行政の財源を工面しましたが、事態が長期化するにつれ、政府も国債を発行するしかありませんでした。 支援対象の範囲と総額面で前例のない超大型の政府支出でした。 これについて野党とマスコミは、選挙に備えて結局、未来世代が返すべき借金である国のお金で国民に善心を使っていると批判している。 間違った言葉ではないが、この借金祝いのフレームは、国民が本質を見ないようにするだけです。 結局、このお金は現在の納税主体や経済共同体である彼らの息子や娘、そして彼らの後代が返さなければならないため、ばら撒きは国民に使うのではなく、金融勢力に使っているのです。 私は、この給付行政のために発行した債券の規模が、まるで国が戦時に発行するものと同じか、或いはより多いと考えました。 以前、私の韓国語のソーシャルメディアに今のパンデミックが新しい概念の「戦争」であることを提示した英詩を一編書いて掲載したことがありますが、ただ戦争当事者と戦場の姿が違うだけで、その基底の経済的侵奪と得られる戦利品、このための金融手段の姿はそっくりだと思います。 政府の給付行程の話が出てきましたからですが、今のようにパンデミックに完全無防備で直撃弾を受ける庶民たち、特に社会的弱者層への直接的な現金支援は望ましい方向に向かっているのです。 たった一つ前提があります。 その財源を戦争ではなく戦争の受益者から得なければなりません。 ただこうやって話しておきたいですね。 また脇道へそろうとしています。 まとめると、家計と企業に続き、政府もやはり金貨本位制を廃止した後、新しい法貨体制の下で「新しい」通貨を生み出す方法は、同じく今持っていないものを担保に未来に得るものを任せて借りることです。 この段落の話は、このような通貨增発方式が増加した通貨の善用を保証していないという点から出発しました。 しかし保証のないことを超えて、深刻な誤用·悪用の可能性をはらんでいると言った方が正確だと思います。 ですからそろそろ本論に入ってみます。

¶11 私が通貨增発過程に対する描写で一貫して強調したものがあります。 貨幣というのが取引や流通、価値貯蔵などの対象であり、本来その存在理由として奉仕する実質価値を持ついかなる実体よりも「先に」世の中に出てくるということです。 今存在しないのが、先に出てきたお金に事後的につくわけです。 これは単純に前後が変わっても別に問題のない二つの事件の間で、時間的な前後だけが変わったのではありません。 実体を予定することによって貨幣が発行されるので、単純に考えれば実体のない貨幣があるわけではなさそうですが、現実に起こることは先に出てきた貨幣が実体を構成していく方式なのです。 特に予測が難しく、またまさにこのような属性のために利益の大きい分野への投資、つまり新しくできた通貨を新しい活動に投入する行為においてさらにそのような特徴が目立ちます。 例えば、アメリカ人が九州のある鉱山に投資していると仮定してみましょう。 投資時点で鉱物は使用可能な状態で存在しません。 貨幣が先に出てきてそれを鉱夫を雇い、機械を賃借して使用してみることで、はじめてその事業の様相が具体化します。 鉱夫と機械賃貸者は、現代の金融の機作を知らないため、自分が先に金を受け取ったので、労働と資産を提供すると考えるようになりました。 前述した大卒就業者の錯覚と同じ脈絡の話ですが、ここでは貨幣が実体を「牽引」することに焦点を当てたものです。 このことの本質を認識しなければなりません。 これは、良く言えば冒険で、少しひねくれて言えば賭博です。上記の例のように最終生産物が鉱物であり、その鉱物が人間の生活を潤す物の原料として使われ、またその過程で多くの人々に善良な雇用を創出してくれるならそれはいいことです。 ここに発行された貨幣は、最終的に該当鉱物に安着することになり、それは「新しく」できたものにくっついたもので、前述のインフレの機作どおり、既存の貨幣の価値を下げることはありません。 言い換えれば、他の人の富を、その人たちも知らないうちにかじらないという意味です。 もちろん、新しい通貨を創出した人が「適正な」利益を得る時が前提ではあります。 しかし、このような冒険とギャンブルの違いはそれほど大きくありません。 上記の例で、その鉱物は銃やタンクのような軍需物資を生産するためのものだったと状況を変えてみましょう。そのアメリカ人は戦時状況なので、鉱山の採算性がどれくらいになるかは重要ではありません。 原料をまず、そして早く確保することが大切です。 しかし、それは資金を投入して事を進めないと分かりません。 そこから生まれた原料を使って武器を作り、それによって戦争に勝つことができれば、アメリカ人は敗戦国が補てんしてくれる生産費だけでなく、莫大な賠償金と敗戦国内での事業権を得ることができます。 私たちはこのような行為を賭博と呼びます。 私が賭博の例として戦争を例に挙げたのは理由があります。 この戦争こそ、法貨制度という通貨增発機械の発行能力をほぼ最大値で稼動でき、そのように発行された莫大な量の通貨は、実に莫大な量の利益をもたらすことに極端な賭博としての通貨制度悪用に関する適切な例となり得るからです。 もちろんこれは、当該賭場の参加者が賭けた場所が勝った場合の話です。私が賭場というのは、一般名詞を書いて言いましたが、実は、これは、本当に最善を尽くした後に残された「偶然」に、投資の成否を任せる建設的な冒険や、破壊性の少ないギャンブルの話に過ぎなく、實際国家間の大規模な「戦争」のような極端な場合は、「詐欺賭博」に近いのです。 事前に板を「設計」し、「虎口」を選定した後、少し勝たせてくれて引き込んでから 大きくエサをくわえると、その時、容赦なく巻上あげるという点で、その姿がそっくりでした。 想像の話をするものではありません。 日本に関する例を挙げると1905年の日露戦争がそうでした。 誰も日本が勝つとは思わなかった、客観的な戦力上日本が絶対劣位の状況でした。 具体的な支援主体は明らかにしませんが、日本の勝利の秘訣は、上記の通貨增発メカニズムにありました。 任意に生み出せる通貨をどちらにあてるかで勝負が分かれたのです。 これは上記の鉱山開発の機作と同じです。 まず実体がなくても、貨幣が先に世の中に出て鉱夫と機械の主人を使って鉱物を掘り出した後、そこに貨幣が安着するように、戦争も「先に」武器を作り、軍人を使い、これに勝つまで押しやれば、借金で誕生した貨幣が、はじめてそこに安着し、賭博場で勝利することができます。 これは実に大きな誘惑です。 金本位制から離脱して、今こそ金から遠ざかり、結局、現在の不換貨幣(法貨)制度へと進化してきたことには、膨らむ経済規模を支える通貨量の増加が容易ではないというよりは、このように莫大な利益をもたらす賭博を可能にする制度が必要だったと見るのがより妥当です。 実際、金本位制の下でも通貨增発が必要な場合、これに完全に対応できないわけではありません。金の生産量を増やして実体のある生産に通貨で供給すればいいし、その生産が難しい場合は流通中の鋳貨を回収して現代的な用語でリデノミネーションをすればいいのです。 回収と再鋳造の費用がかさむでしょうが、これまで言及した不換貨幣の副作用に比べれば何でもないのですね。 また、貨幣単位が再調整されると、対外的に商品の価格が下がり、輸出が増え、再び交易国から金が入ってくる正貨の黄金率のような自動調節装置が作動し始めます。 もちろん、金の埋蔵量が特に多い地域がある可能性があります。 しかし、このような金の生産量がある国の偶然の地理的幸運に結びつき、一時的に不公正な購買力増加につながっても、国内的な物価調整を経て貿易を通じて自動調節装置の統制を受けることになります。 なによりも、金本位の下でも、流通中の金貨を画期的に増やさなければならないほどのイベントは、産業革命のような言葉の通り「革命」的なものしかあまりありません。 むしろ、不換貨幣体制で任意に增発した通貨が再び通貨增発を招来する核爆発の連鎖反応のような通貨増加を通じて、この過程のイニシアチブを握る少数集団に通貨が集中し、このため富の不平等な分配と両極化が現れ、そのため莫大な総通貨量(総流動性)の中でも、大部分の人々は持っているお金の購買力低下のような間接的な方法でお金が足りなくなるのです。 この金融通貨体系の内部者である少数集団は任意に増やせる通貨を利用して、実際に人を動員することでその制度の意味が完成されるため、使われる人が飢え死にしない程度の物価を維持しなければなりません。 中央銀行の物価安定機能の本質はここにあるのです。 それは東京の市内に一軒の家を買うのが空の星を取るくらい難しい理由でもあります。 奴隷たちの奴隷となることを永続させるためには生活必需品の価格が安定しなければなりません。そのためには生活必需品の価格の上昇分はどこかで吸収されなければなりません。 すると、どうせ避けられない上昇分を不動産に吸収させ、自分たちの富を増加させれば一石二鳥になるのです。 日本は世界一の超高齢社会であるうえ、人口も10年以上連続で減少しており、空き家も多いということに、珍しくも東京の住宅価格はこれをあざ笑うかのように逆の方向に向かいます。 これは、先ほどお話した通貨の核爆発連鎖反応と関係があります。 実体なしに先に出てきた通貨が誰かの手に握られて資産になり、この資産が再び通貨創出の根拠になるからです。 一度、この通貨增発機械を使って、何も持っていない状態でも、人と物資を集めて、ある臨界点をめくっておけば、そこは非可逆的に連続爆発する通貨の核爆発現場のような場所になるのです。 ですから、この機械を動かせる勢力としては自らをとてつもない金持ちにすることができ、そういう金権で人を支配するようにするこの装置こそ、拒否できない誘惑であると同時に永遠に守護しなければならないのであり、人々が実体を知ってはいけないことなんです。

¶12 金本位制での貨幣である正貨が金本位制から離脱した貨幣である法貨に変わった背景について概略的に説明したようです。 文の内容に同意いただければ、貴金属である必要はありませんが、金で作ったお金がなぜ正貨なのか、つまりそれがなぜ「正しいお金」という名前を持っていたのかがお分かりでしょう。 そうだとすれば、正しいお金の反対側にある現在の不換貨幣の名称は、法貨ではなく「悪貨」になるべきではないかと思います。 人の認識と思考は言語の影響を大きく受けるには、ある概念の命名法が重要です。 それでも「悪貨」という名称は悪魔化しすぎたのではないかという反論を提起することもできるでしょう。 しかし、「悪貨」という単語は私だけが使うのではありません。 グレシャムという人がかつて「悪貨が良貨を駆逐する」と言っていました。 もちろん私が今まで展開してきた談論とは異なった脈絡から出た言葉ですが、その結果だけを見ると、悪貨が良貨である正貨を追い出したのは同じようです。 これらの鋳貨のうち、額面価格は同じですが、素材の価値がより少ない一方の鋳貨を「悪貨」と呼ぶほどでしたから、素材の価値が全くない法貨を悪貨と呼ぶのは行き過ぎではないのです。 私は法貨ほど害悪が大きいが、その概念が公衆でほとんど認識されていないもう一つの装置としての法人格を挙げます。 二つとも悪しき属性にもかかわらず、権威と尊重の対象として感じられる「法」の字が入っているという共通点もあります。 この共通点は単に名称に由来するものではありません。 法貨が金という本物の実物がなくても任意に通貨量を増やせるものだとすれば、法人は本物の人間がいなくても、その「増えた通貨」を人間の権利のように執行させる役割をするということです。 この二つは最高のコンビだったわけですね。 昔からお金というのは、「集まった時」力を持ちます。 集まったお金は磁石のように、また別のお金と人を惹きつけます。 そうやって集まったお金を転がして大きな収益を出すことができる極端な例として上で戦争を挙げました。 戦争は悪いことです。悪いことをすると、法的責任を負わなければならないし、道徳的な非難を受けます。 このすべてを解決してくれるのが法人です。 法人に多くの自然人たちがお金を集めて、悪いことをさせて大金を儲けた後、またその背後の自然人たちに分け、すべてのリスクは「法的行為者」である法人が負うようにするのです。 法貨と法人格が初めてできた時は、教会の権力が強かったです。 人は犯罪だけでなく教会法で厳禁していた高利貸し業をしてもだめでした。 しかし、人々は「金が金を儲けること」がお金を稼ぐ最高の方法であることをその時も知っていたため、教会法を避けるための法人格が必要だったのでしょう。 個人的には「制度」の次元で、人間不平等の最も根本的ながらも影響力の大きい起源として法貨と法人を想定し、この二つに関する本を書きながら、その概念創案のてっぺんに教会法があることを知りました。 それで一時、カトリック教を忘れて無神論に傾倒していたこともありました。 その後、ここにすべて列挙することのできない神秘的な体験とカトリックが二つの装置の害悪に対抗できる他の良い価値が多いことを知ったからこそ、また戻ってくることができたのでした。 後者に関しては簡単に言及して次に進みたいです。 個人的には、法人と法貨が初めて教会で生まれた当時は、絶対権力に対抗して絶対多数の被支配者を救恤する手段だったと思います。 ところが今ではこれが誤用·乱用を超えて悪用されるようになり、新興勢力の支配手段になってしまったのです。 労働運動をして腕章をつけることになると、その労働者たちが与えた権力で富を蓄積しようとかえって労働者を搾取することになったのと似たようなケースでしょうか。 この辺で話します。 ですから、善と悪を相対的な概念に薄めて区別を曖昧にする悪い勢力とは違って、私はこの二つを先験的に明確に区分したものと考える聖徒として、この二つを悪貨と悪人と呼ぶことに躊躇しないです。 言葉が出てきたらですが、法貨と法人が支配する世の中になったから、悪貨が良貨を構築する世界になったのです。 だから悪人が良人を駆逐するようになったのも不思議ではありません。

¶13 実はこの文は私の出生に関して覗き見たことに触発されたのです。 この作業には歴史的な事実、そして隣国との関係などを調べることも含まれます。 元々歴史には関心がなく、しばらく記録学を勉強してみたら、この分野もかなり多くの嘘を生み出しているという考えにそっぽを向かれていましたが、生みの親と私の間に起こったことに対する探求欲が、その歪曲された歴史までのぞき見させられました。 その隣国というところは国境を接している北朝鮮とその向こうの中国、東南アジアの国々もありますが、台湾と日本に特に関心を持ちました。 台湾は中国を抜きにして考えることができないので、韓中日の三国の歴史を探求していたところ、この文のテーマと関連して特記したいことを発見したのです。 その話をしようと金本位制を先に話したのです。

¶14 遠くは1945年に始まったアジア太平洋戦争のきっかけでもあり、もう少し近くは日中戦争のきっかけでもある事件が、1931年に起きた満州事変です。 この事件は、日本が満州を中国侵略の兵站基地にするために起こした事件といわれています。 繰り返して言いますが、言語は人の思考を閉じ込める側面があります。 「日中戦争」は、その名称により、当然日中の戦いと認識されます。 その背景も日本の野蛮な欲求からきていると言われています。 しかし満州事変前後で起きたあまり知られていない事件に注目してみる必要があります。 当時、アメリカとアメリカの主な交易相手であったヨーロッパ諸国、そして日本の貨幣体制は主に金本位制で、一部が金銀複本位制でした。 ところが満州事変一年前の1931年、米国ではスムート·ホーリー関税法が通過しました。 同法の要旨は、自国農民を保護するという名分で、輸入農産物に対する関税を大幅に引き上げたことにあります。 ご存知のように、輸入関税は貿易相手国の輸出を挫折させます。 欧州諸国の対米輸出ができなくなり、とうとうこれらも米国に報復関税を課した。 米国と欧州が外国の農産物に対してドアを閉めているんてした。 あいにく、その年日本は豊作になりました。 ところが、輸出の道が閉ざされているため、農産物は国内消費に回さざるを得なくなり、このため農産物価格は大暴落することになりました。 ここまでは一般的な歴史書にはあまり登場しませんが、それでも経済史のほうではこれを扱う文献がなくはありません。 しかし、経済史のほうでも、うまく言及されていない事実があります。 スムートホーリー関税法の施行直後、ヨーロッパの主要国が金本位制を廃止したのです。 その直後には日本が金の輸出を停止しました。 この二つの事件の連続は何を意味するのでしょうか?日本はもう自国には金が入ってこないと悟ったのです。 アメリカの一方的な措置でですね。 また、日本政府は米国の措置で自国農民の公憤を買ってしまい、ついに農民は新しい経済的突破口を持つ満州侵略の中心勢力である軍部を支持するに至りました。 実際、1932年に日本軍は満州国を起こしますが、ここでも歴史書にあまり触れていないのがあります。 その年の満州国は銀本位制の貨幣制度を成立します。 当時中国が銀本位制国家であったこと、そして日本が新たな貿易出口を求めていたことと無関係ではなかった一連の出来事です。 アメリカの策動はここで終わったのではありません。 日本でやったことをそのまま中国に適用します。 米国は1934年6月、銀買入法を制定します。 一年前、主要銀生産国と銀買入協定を締結した後のことです。 これで全世界の銀がアメリカに集中されます。 アメリカでは銀の値段が急に上がるようになります。 銀をアメリカに売れば大きな利益になるので、中国の銀もアメリカに引き込まれていきます。 それで中国でも日本と同じことが起こります。 農産物、つまり実物の生産量は一定であるのに貨幣、つまり銀貨が崩れ落ちると農産物の価格が急騰します。 これは中国農産物の対外価格競争力が下落することを意味します。 既存の銀貨はすでに流出し、輸出は塞がれて入ってくる銀貨もなくなりました。 資金の流れが完全に途切れ、数年前の日本でのように多くの企業が破産します。 これは分裂していた中国国民党と共産党が力を合わせて抗日戦に全力を尽くす大きな動因になります。1937年、日中戦争が勃発した当時は、日本と中国は金銀本位制からすべて離脱していました。 法貨制度という賭博場が初めて東アジアに敷かれたのです。 今では無制限に通貨增発を通じて日中両国に武器を買わせ、兵士を食べさせて石油を輸入させることで、勢力に産業を育てると同時に、この両国には莫大な借金を負わせることだけが残っています。 戦争は長引いても勝負をつける必要はありません。 この計画に応えるように日本が1941年真珠湾を空襲して第二次世界大戦につながります。 しかし、真珠湾空襲も、米国が日本の海外資産を凍結して誘導されたことを知る人は皆知っています。 満州事変と日中戦争を起こした策略のようなものでした。 韓中日はこれに巻き込まれ、1945年になって日本は核爆弾二発を受けて敗戦し、中国は二つに分かれ、韓国はこの過程で満身創痍になりました。 特に、韓国は5年後、再び新しい戦場になり、廃墟になった後、中国と日本を分断する地理的分岐点になります。まるで 陰極と陽極を絶縁するスイッチのように、二つに分かれてですね。 韓中日の中で勝者は誰もいませんでした。 勝者はこのアジアで最も大きい二つの勢力をこの二つがお互いに戦わせて簡単に除去してしまい、彼らの帝国主義的浸透手段である金融制度、すなわち法貨体系を移植して非戦闘的な搾取体系を完成した西欧の金融勢力だけでした。

¶15 私の文の全般的な内容に同意されたら歴史書の内容が最大の枠組みでは覇権のための「制度」の移植に達していることを理解していただけると思います。 戦後、中東の局地的な紛争以外はそれに比肩する超大規模、地球規模の物理力の衝突がなかったのは覇権国との戦力の超格差と核抑止力によるものと説明されているが、個人的にはその必要はなくなったと考えている。 理由は既に述べたとおりです。 やはり言葉が出てきましたが、中東紛争が金融通貨制度とつながるもう一つの「本位制」のおもしろい一軸は、米国が全世界の石油購買を米ドルでのみ可能にした作業と、これで誕生したいわゆるペトロドル体制なのですが、ここでお伝えしようとする制度上の本質とその進化の終りはすでに言及済みのようなので、中間過程であった石油本位制に関する至難な描写は省略させていただきます。 現在の状態(status quo)は、銃を撃ち、爆弾を落とすために侵略者の野蛮性を露出し、体面を傷つけながら盗みをする必要はなくなりました。銃と爆弾の役割は法貨がしてくれます。 根付くだけ多く死んでいくのと、それを握った方が生きて莫大な得をするというのが絶妙に似ていますね。 こんな悪人の役割は、他の悪人がしてくれます。 法で作ったのはまさにその人のことです。 この人はいくらあやまちを犯しても死刑になったり監獄に行かなかったりします。 罰金はただ簡単に作り上げたお金で払えばいいです。 税金はいつでも他の国に逃げて出さなければいいです。 侵略地どこでも悪人は忠実な彼らの下手人を雇うことができます。 それは主人が見るように、決めたものだけを一所懸命に学び、身につけた順に手下に職分と賃金を与えればいいのです。 すると、下手人は肩に力を入れることに比例して真実から遠ざかり、主人の正体を知らず、自分たちで自主規制するようになり、別途に管理する必要がなくなります。 今はもう土地を取る、資源を奪い、物を売るために戦争を起こす必要がなくなったのです。 これは、世界中が国民の生存に必要な物資の需給を貿易に依存させ、その貿易取引を国際決済システムを通じてのみ可能にし、システムの覇権を少数の国に握るようにすることによって成り立っているのです。 これはすべて、基底に法貨制度があるからこそ可能なことです。 金貨本位から無本位へと移ったのはこのためです。

¶16 出生について調べてからこの文を書くようになったと言いました。 そろそろまとめてみようと思います。 韓中日は、ある勢力が世界的に新しい秩序体系を完成していく過程で、彼らが行った仲違いにだまされて犠牲になり、その結果、彼らの体系に編入され奴隷化されてしまいました。 だから差し出がましい意見ですが、韓中日はとにかくうまくやっていく必要があります。 理想的にはすべての国が友好的に過ごせば良いですが、一気に実現するものではないので、まずは大きな塊の間に力のバランスが必要です。 そのためには、東アジアで欧州連合を超える連帯が必要ではないかと思います。 個人的には、韓中日が一つの国のように進む手続きを踏んでほしいという考えです。

¶17 三国には三国の分裂を画策するように植えられた人がいるようです。 先日、キムチの宗主国が中国という主張を流布した仕事とか強制徴用と慰安婦問題をいつも問題視する部類のことです。 自尊心ではない自尊心が強い国の国民になることより重要なのか聞きたいです。 実際、韓国と日本には中国的な起源を排除できるものがほとんどないにもかかわらずですね。 正直になってほしいです。 また、徴用と慰安婦問題も、上記のように真の原因提供者が誰か知っていたら、韓国と日本は喧嘩する必要がないのみならず、むしろ互いに連帯をしなければならない仕事だからです。 私は有名な人じゃなくて良かったと思います。 こんなものすごい挑発的な話ができるからですね。 次の話はなおさらです。 ハングルはそれ自体が立派な文字であることは確かです。 しかしハングルは中国と日本の間で、韓国を唯一漢字がなくなった国にしたのも事実です。 漢字語に由来する単語は、依然として非常にたくさん使われていながらも、もう漢字では表示しません。 国家間の統合における言語の類似性は非常に大きい利点です。 ちょうど中間に挟まれた国が独創性を発揮することでその利点を効率的に放棄しているわけです。西欧人は、自分たちの利益にならない限り、彼らと他の民族(人種)の成就を称賛することがありません。 だから西欧人がハングルとその創製者を絶賛してやまないのは好きではなく、考えてみる問題です。 北朝鮮、台湾、東南アジア諸国との関係でも同様の観点を持たなければならないと思います。 私の個人史を盛り込むには、あまりにも巨視的な談論のように思えますが、生みの親と分離せざるを得なかった究極の理由も、今まで言及した問題につながっていることは否めません。

¶18 最後に、目ざとい方であれば、このブログの過去のポスティングが別の金融通貨制度への移行を扱ったことをご存知だと思います。 上に述べた「物理的な戦争が必要なくなった時代」は、法貨制度から一歩進んで、ほぼすべての金融通貨装置をデジタル化したことによるところが大きいです。 個人としては、今回のパンデミックはそのデジタル化の完成により、新しい「スタンダード」の呼び水をつくるのではないかと思います。 どのような「本位」制への移行かについては、既に言及したようです。 それが人々に有益なのか、その逆なのか言うのは慎重になります。 しかし、今まで長く描写してきた金貨本位制から法貨制度へと変化すると、可能になったことがより早く、広範囲にわたって進められるということは明らかです。 法貨制度で直接影響を受けるのは国家や機関単位で、国民には間接的な影響を与える体制なら、次のスタンダードは個人に直接影響を与える体制なのです。 私たちにはどんな未来が待っているでしょうか。

¶19 私が現在暮らしている町内には、一つの行政単位に韓国銀行釜山支店、韓国取引所、在韓国連記念公園、国連平和記念館、そして国立日帝強制動員歴史館があります。 ここは韓国を越えて北東アジアの金融ハブを目指す、いわゆる金融拠点としての育成が予定されています。 人はよく知られていないが、個人的には上述の中央銀行(韓国銀行)の公開市場操作における『操作』の媒介となる各種証券の取引が行われている韓国取引所を、現代金融の中核機関として見ているのですが、その場所もソウルではなく、私の住む町にあります。 戦争が近現代の金融通貨制度においてどのような意味かも上記に言及しました。 朝鮮戦争とその遂行主体である国連の活動を記念するところもここにあります。 日本の徴用問題が韓日関係の分裂の手段だといいましたが、『国立日帝強制動員歴史館』もここにあります。 金融という手段、戦争という手段、以夷制夷手段があいにく私の暮らすところにすべて集まっているわけですね。 私はただ冬の寒さを避けて、懐事情を考えてここに来ただけなのにですね。 私にはこんな偶然がたくさん起きます。 文を終えた後、自転車に乗って通ることになる宿舎の近くの海辺が、日本の新潟を眺めるのも似たような偶然だと考えたら、あまりにも強引なのでしょうか。 では、神の平和を祈ります。

*Epilogue: 日本語バージョンでは一つだけ付け加えたいと思います。 私は2018年の末に群馬県庁で展示されている写真展の廣告を偶然見た後、その展覧会を見に行ったことがあります。 そのとき、もともと見ようとした写真展が開かれたすぐ隣の展示室で広島·長崎原爆当時の被害の惨状を写した写真展が開かれていました。 そこで見た写真は私が生まれて今まで見たどんなものよりももっと恐ろしくて残忍なのでした。 犠牲者の方々の霊を慰める最善の方法は,我々がその方々が受けたことの本当の原因を知ることではないかと思います. 周辺に展示がありましたら、ぜひ一度お越しください。


正貨 (韓国語)

2021-03-06 12:10:54 | Unknown Knowns

*近いうちに日本語バージョンでもポスティングする予定です。

¶1 금본위제, 많이 들어보셨을겁니다. 주류경제학교과서와 인터넷검색에서 발견할 수 있는 금본위제에 대한 설명을 요약해보면 대체로 화폐의 가치를 금의 가치에 두는 것이라 말하는데 그칩니다. 그래서 이 설명은 금본위제의 본질을 보지 못하도록 하는 측면이 있습니다. 금본위제는 국내의 통화제도로써가 아니라 국가 간 무역에 필요한 개념이기 때문입니다. 우선 금본위제, 금지금본위제, 금환본위제를 구분할 필요가 있습니다. 금본위제는 나머지를 모두 포괄하는 개념으로 쓰여지기도 해서, 의도적인 것인지는 모르겠습니다만 종종 오해를 불러일으킵니다. 사실 금본위제(gold standard)는 금화(gold coin or specie)를 주조해 유통시키는 제도를 뜻합니다. 중국, 한국, 일본 같은 한자문화권에서 정화(正貨)라고 부르는 바로 그 화폐를 말합니다. 화폐 자체가 가치를 품은 금속으로 만들어져 있는 것이지요. 그래서 ‘올바른’ 돈인 것인데, 이것의 함의는 후술하겠습니다.

¶2 금지금본위제(gold bullion standard)는 금을 은행만이 보유하고, 은행은 금과의 교환이 약속된 은행권을 발행해 유통시키는 제도입니다. 금환본위제(gold exchange standard)는 국제적인 속석이 있는 제도입니다. 금지금본위제를 채택한 영향력 있는 국가가 중앙은행권을 발행하고 이 화폐를 다른 나라들이 서로의 결제에 이용하되 그 발권국가에다 금과의 교환을 요구하면 발권 중앙은행이 이에 응해야 되는 제도입니다. 모두 화폐가치가 금에 결부돼 있지만 뒤로 갈수록 금과의 연결이 느슨해지는 편이지요.

¶3 아시다시피, 지금은 전 세계 주요국가들의 통화제도가 금 또는 다른 귀금속과 완전히 이별한 상태입니다. 1971년 닉슨대통령이 느슨하게나마 금과의 연결을 유지하고 있던 미국중심의 금환본위제에서 금과의 교환을 중단하겠다고 선언했기 때문입니다.

¶4 다시 금본위제의 본질에 대한 이야기로 돌아가겠습니다. 금본위제는 국내외를 불문하고 거래 자체에 관한 통화제도상의 한 개념이란 인상을 주지만 사실 국외거래, 즉 무역에 닿아있는 개념이라고 말씀드렸습니다. 왜냐하면 어떤 주권국의 화폐가 국경 내에서만 사용되는 것이라면 지금처럼 법으로 강제로 통용되도록만 하면 될 뿐 화폐의 가치를 어딘가에 묶어둬야 할 필요는 없기 때문입니다. 잘 아시다시피, 법이란 강제력이 있어야 비로서 법인 것인데 국경을 넘어서면 이것이 잘 확보되지 않습니다. 지금도 많은 국제실정법이 있지만 법 자체의 강제력에 의해서라기 보단 국가 간의 힘의 논리에 따라서만 적용되고 있는 실정이지요. 따라서 국가 간에는 '강제통용력'을 법으로 정할 수 없기 때문에 무언가 화폐를 이용한 거래에 있어 다른 제어요소가 필요했다는 것을 역으로 알 수 있습니다. 사실 금본위제의 영어표현인 ‘gold standard’는 금을 ‘기준’으로 한다는 뜻입니다. 국가 간의 교역에서는 서로 화폐가 다르니 통화간의 가치를 비교해볼 기준이 필요했던 것이고, 그래서 이 기준을 통해 우회적으로 통용력을 만들어 냈던 것입니다. 이런 관점에서 보면, 금본위라는 단어에서 ‘본위’라는 말에 적용된 명명법 자체가 약간은 기만적인 것임을 보여줍니다. 사실 전문분야 어디서든 그렇지만 재정과 금융에서도 대중이 실체를 직관적으로 파악하기 어렵도록 의도된 명명법이 적지 않습니다. 대표적인 예가 ‘공개시장조작’ 같은 것이죠. 정부가 국채를 발행하면 상업은행(시중은행)이 이를 사들여 중앙은행에 담보로 제공하고, 그럼 중앙은행은 발권력을 이용해 제공된 담보에 상응하는 돈을 창조한 뒤 은행에 쥐어줍니다. 이는 현재 돈이 ‘탄생’되는 과정을 가장 간단하게 묘사한 것이기도 하고, 전국민이 미래에 납부할 세금을 기반으로 돈이 생겨나는 것을 이야기한 것이기도 합니다. 달리 말하면 은행은 온전히 자신의 것에서 유래된 게 없으면서도 통화를 생성하고 분배하며 이를 통해 수익을 낼 수 있는 실질적인 권한을 가지고 있는 셈이지요. 이건 굉장한 특권인데, 이 조작엔 ‘아무나’ 참여할 수도 없고 그 실질이 공중에 잘 알려져 있지도 않습니다. 그런데 ‘공개’라는 단어는 뭔가 투명하고, 모두에게 열려 있다는 느낌을 주고 있지요. 잠깐 옆길로 샜는데, 아무튼 금본위제는 무역에 관한 것이며, 이름 자체만으로도 대중적인 설명이 될려면 ‘금기준외환거래’ 정도가 더 적당하지 않았나 개인적으로 생각해 봅니다.

¶5 국가 간의 상거래는 어제 오늘의 일이 아닙니다. 매우 역사가 길고, 우리가 ‘역사’란 이름 하에 배워왔던 모든 것들이 여기에 결부된 것들입니다. 하지만 제도권 교육에선 역사과목에서 주로 지배계급의 치적을 연대기 순으로만 나열할 뿐 경제사와 과학사를 자세히 병행시키지 않습니다. 그렇게하면 우리가 단편적으로만 알고 있던 역사적 사실의 진짜 배경이 드러나기 때문입니다. 간단히 말씀드리자면, 전혀 그렇지 않아 보이는 일들도 대게 ‘돈’ 때문에 일어난 일들입니다. 심지어 과학분야도 그렇습니다. 우리가 일상에서 겪는 인간관계에서의 갈등도 겉으론 이유가 다양한 것 같지만 속을 들여다 보면 대게 먹고사는문제, 즉 돈 문제로 귀결되고 말듯이요. 또 옆길로 새려 하는군요. 아무튼 무역의 역사는 짧지 않았고, 그렇다면 짧지 않은 시간 동안 금을 국제거래를 위한 통화제도의 기준으로 삼았던 이유가 있었을 것입니다. 또 이것을 폐지한 이유도 있었겠지요.

¶6 금화, 즉 정화를 만들어 쓰면 무역상의 잇점이 있습니다. 화폐의 소재 자체가 가치를 가지는 것을 만들어쓰는 것인데, 그렇다면 우선 왜 하필 그 소재가 금이어야 했는지를 언급하는게 순서일 것 같습니다. 현재 금이 가치를 가지는 이유는 이것이 흔하지 않기 때문입니다. 물론 금이 금속학적으로 가지는 우수함도 있습니다. 잘 알려져 있다시피 전기전도도와 늘어나는 성질에선 금이 금속 중에서 최강입니다. 이러한 성질을 대체할 만한 다른 소재가 없어 스마트폰에도 금이 일부 들어갑니다. 이 물리적인 특징은 녹이 슬지 않는 금의 특성에도 기여합니다. 화폐가 녹이슬면 곤란하겠지요. 녹이 슨다는 것은 산화되어 부서지고, 그래서 ‘양’이 줄어든다는 뜻입니다. 지금처럼 액면에 적힌 숫자가 아닌, 그 자체의 양이 곧 가진 부의 양이 되는 돈을 시간에 지남에 따라 양이 줄어드는 물질로 만들어 쓴다면 소유자가 곤란해 할겁니다. 또 옛날에는 무역거래의 결과로 화폐를 배로 옮겨야 했을 것입니다. 바닷물에 빠져도 녹이슬지 않는 금은 좋은 재료였겠지요. 그렇다면 이러한 특징을 가진 다른 금속이 있을 경우 굳이 금만을 소재로 고집할 이유가 없을 것입니다. 좋은 예로 은화가 있지요. 중국과 일본이 만들어 썼습니다. 알려진 바 대로, 주기율표 상 같은 축에 있는 원소들은 성질이 비슷합니다. 금, 은, 동(구리)이 같은 축에 놓여 있지요. 또 이 세 금속은 살균력이 아주 좋습니다. 화폐는 거래가 활발해지면 사람 손을 많이 타게 되는데 병균을 옮기기 쉬운 물질로 만들어지면 곤란하겠지요. 금과 은뿐 아니라 지금의 판데믹 상황에서도 사람들의 접촉이 많은 문 손잡이나 엘리베이터 버튼 등에 구리(동)로 만든 필름이 붙여진 것을 많이 보셨을 겁니다. 아직까지 올림픽에서 이 세 금속으로 만든 상을 주는 것은 이들이 화폐로 쓰였던 역사적 상징성과 더불어 그것을 가능케 했던 이러한 물리적 특성에 따른 우수성과도 관련이 있을겁니다. 하지만 금과 은이 화폐로 쓰였던 가장 큰 이유는 적당히 귀하다는 점일겁니다. 너무 흔하면 금속을 많이 확보할 능력이 있는 누군가에게는 화폐를 스스로 주조해 유통시켜 볼 큰 유혹이 될 것입니다. 또 이 금속은 창조해 내는 것이 거의 불가능합니다. 현대 과학으론 그것이 전혀 불가능한 건 아니지만 만드는 데 드는 비용이 만들어 낸 주화의 가치보다 훨씬 더 커서 만들어 쓸 수 없습니다. 금과 은이 소재로 사용되게 된 배경에 대한 얘기가 너무 길어졌군요. 이제 정화(금화)가 가지는 무역상의 잇점을 생각해 봅시다.

¶7 한국과 일본의 무역을 상정해보죠. 상품은 제가 좋아하는 일본의 맥주와 한국의 김이라고 합시다. 두 상품의 가격은 자국 화폐로 표시됩니다. 맥주 한 캔이 200엔이고, 김 한 봉지가 2000원인데 교역이 처음이라면 서로 상대 화폐의 가치가 어느정도인지 궁금해집니다. 그러나 걱정할 필요가 없습니다. 1엔이든 1원이든 모두 금으로 만들어져 있습니다. 실제론 실용상의 경도 유지를 위해 다른 금속이 섞여 있습니다만 아무튼 통화 한 단위에 들어 있는 금의 양만 알만 됩니다. 그러면 원하는 만큼 맥주와 김을 교환한 뒤 차액을 정산하기만 하면 됩니다. 맥주가 유별나게 맛이 좋아 총액(금의 양)상 김보다 더 많이 팔렸다고 가정해 봅시다. 그럼 한국의 원화가 일본으로 흘러들어가게됩니다. 일본의 무역상은 이 원화를 다음 번 한국과의 거래를 위해 보관해 두어도 되지만 그대로 녹여서 일본돈으로 만들어 써도 되고, 심지어 금 함량에 대한 신뢰만 있으면 굳이 주조비용을 들여 바꿀게 아니라 원화를 일본에서 그대로 써도 됩니다. 중요한 건 공통의 기준, 즉 금이니까요. 실제로 정화가 유통되던 시대엔 한 국가에 여러 국적의 화폐가 유통되었습니다. 일본 안에서 원화를 기축통화인 미국달러를 거쳐 엔화로 환전하지 않으면 그저 종이쪼가리에 불과한, 그것도 환전된 금액이 시간에 따라 변하는 지금의 원화(반대의 경우에 엔화)와는 상당히 다른 부분이지요. 전자는 화폐가 가져야 할 속성 중 하나인 ‘통용성’이 광범위하다는 점에서, 후자는 가치의 ‘안정성’ 이라는 점에서 정화가 가지는 장점입니다. 특히 지금의 통화가 국경을 넘어 환전될 때 시간에 따라 가치가 변하는 것은 화폐가 가치를 품은 실물의 거래에 봉사한다는 본연의 기능을 상실하고 그 자체가 투기의 대상이 되기 때문에 발생하는 것입니다. 이것은 정의에 반하는 것입니다. 누가 더 맛있는 맥주를 잘 만드느냐가 아니라 누가 더 도박을 잘 했느냐에 따라 부의 양이 결정되기 때문입니다. 이 투기가능성은 화폐의 ‘양’을 누가, 얼마나 임의로 조정할 수 있는지의 속성에 따라 결정되는데 이것에 관한 지금의 통화와 정화사이의 차이는 후술하겠습니다. 아무튼 ‘양’의 관점과는 별도로, 정화는 이런 투기의 가능성이 없습니다. 도박이란 확률적으로 상보적인 다른 것이 있어야 그 다른 것의 희생으로 이익을 얻을 수 있습니다. 원화와 엔화 모두 이름만 다를 뿐 모두 같은 금이어서 도박자체가 성립될 수 없는 것이지요.

¶8 윗 단락에서 언급한 정화의 장점들은 어찌보면 이제 얘기해 볼 남은 한 가지의 장점에 비하면 피상적인 것일수도 있겠습니다. 위의 예에서, 일본의 맥주가 품질이 뛰어나 한국에서 수입한 김의 수입총액보다 더 많은 액수를 수출했다면 한국의 통화가 일본으로 흘러들어간다고 했습니다. 그러면 원화도 엔화와 같은 ‘금’으로 만든 화폐이기에, 다시 말해 즉각 사용될 수 있는 화폐이기에, 일본에선 유통중인 총통화량이 증가하는 효과가 발생합니다. 이 말은 일본의 물가가 상승한다는 뜻입니다. 단기간에 실물의 양보다 화폐의 양이 더 많아진 상황이니까요. 그렇게 되면 일본 맥주의 가격도 올라갑니다. 당연히 맥주의 가격경쟁력은 떨어지고 수출이 줄게 됩니다. 여기까지의 제 설명이 정화 예찬론자들이 말하는 무역에서의 ‘자동조절기능’입니다. 아마도 국력차이에 의한 일방적인 무역에서의 우위가 종국에 겉잡을 수 없는 힘의 불균형을 초래하게 되는 상황을 미연에 자동으로 방지할 수 있다는 뜻에서 하는 얘기인 듯합니다. 물론 어떤 텍스트를 봐도 자동조절기능의 당위에 대해 적어 놓은 것은 없고 제 추측이 그렇다는 뜻입니다. 하지만 이 자동조절기능엔 반직관적인 면이 있습니다. 좋은 품질, 높은 생산량 등 열심히 노력해서 수출한 결과가 오히려 해당 국내상품의 대외경쟁력 약화를 불러온다는 것은 아무리 좋게 보려해도 찜찜한 결과입니다. 이 현상을 바로 보는데는 일전에 한국어로 출간한 저의 졸저 ‘통화제도에 의한 노예화 작동원리’를 쓰면서 알게 된 몇 가지 핵심 원리가 도움이 되는 것 같습니다. 폐쇄경제 내부에서, 그러니까 한 국가로 한정된 범위 내에서 물가가 오르는 것은 단순히 통화량이 증가해서가 아닙니다. 그 증가한 통화들이 ‘이미 존재하는’ 물건의 구매에 이용될 때 물가가 오릅니다. 경제학에서 가르치는 중앙은행의 기본 임무 중엔 물가안정이 있는데, 바로 중앙은행이 하는 일이 통화가 증가했다 싶으면 이를 어딘가 이미 존재하는 물건에 들러붙기 전에 거둬들이는 것입니다. 중앙은행이 스스로 발행한 채권으로 폭증한 통화를 흡수해 가지고 있다가 천천히 할인해주거나 심지어 소각해 버리기도 하는데 이는 공중에 잘 알려져 있지 않은 사실이기도 합니다. 위의 정화예찬론자들이 말하는 정화의 순기능 중 하나도 이 시각으로 봐야한다고 생각합니다. 이들의 논리 속엔 수출로 이득을 본 국가에서 상대교역국과 힘의 균형을 맞춰 나가는 원인이 수출국의 물가상승에 있었습니다. 그 행간의 의미는, 그러니까 정화의 숨겨진 순기능은 바로, 무역으로 추가로 벌어들인 정화를 다시 새로운 실물의 창조에 쓰지 않고 이미 존재하는 물건의 구매에 이용할 때 그것을 벌하는 기능인 것이지요. ‘이미 존재하는 물건’의 대표적인 예가 무엇일까요? 맞습니다. 바로 부동산입니다. 지금의 경제언어로 표현하면, 기업이 돈을 벌어 연구개발이나 고용창출처럼 경제생태계 내부 구성원 모두에게 도움이 되는 재투자를 하지 않고 주주와 본인(주주의 대리인)의 극단적인 이익추구를 위한 부동산 투기에 이용하는 것을 통화스스로가 징벌하는 셈입니다.

¶9 위에선 정화가 이용되었던 이유와 그 맥락을 얘기했습니다. 그렇다면 앞서 언급한대로, 이 좋은 정화가 없어진 이유도 있을겁니다. 금화본위제에서 금지금본위제를 거쳐 금환본위제를 끝으로 세계경제는 금(또는 은)과 완전히 결별했습니다. 왜 그랬을까요? 이것을 이해하려면 먼저 정화의 반대편에 있는 통화개념, 불환화폐(fiat money)를 인식해야 합니다. ‘불환’은 문자 그대로 바꿔주지 않는 것을 말합니다. 무엇과 바꿔주지 않을까요? 본위화폐입니다. 본위화폐는 금이나 은과 교환할 수 있는 화폐를 말합니다. 그러니 위에서 열거한 금본위제의 가장 느슨한 형태인 금환본위제 마저도 아닌, 그 다음에 생긴 화폐를 말합니다. 즉, 현재 우리가 사용하고 있는 법화(legal tender)를 뜻합니다. 법화는 문자 그대로 ‘법’에 의해서만 존재하는 화폐입니다. 불환화폐의 영문명칭인 ’fiat’는 라틴어로 “그것이 생겨나거라(may it be made)”를 뜻합니다. 그저 말씀 한 번으로 존재하는 것이지요. 성서의 창세기에서 태초에 하느님이 “빛이 있으라”고 하신 것과 똑 같은 말입니다. 정화인 금이나 은처럼 위에서 언급한 여러 특성에서 비롯된 가치상의 실체 없이 법이 정한 강제유통력에 의해서만 그 존재와 가치가 생긴것이지요. 물론 대게의 국내법엔 ‘우리나라 화폐는 법화다’고 명시적으로 밝히는 조항이 없습니다. 한국의 예를 들자면, 중앙은행의 설립이나 운영에 관한 법률에서 중앙은행권을 ‘유일한’ 결제수단으로 정하고 민법이나 상법 등에서 이 결제수단으로 결제를 원하면 반드시 받아들여야 한다거나, 이를 받아들이지 않으면 처벌된다고 하는 식으로 우회적인 형태의 산재된 조문들이 결합해 ‘강제유통성’이 부여되어 있는 것입니다. 아마도 이 역시 법화 개념이 공중에 정확히 인식되지 못하도록 하는 하나의 장치가 아닌가 생각합니다. 물론 주류경제학이나 법학에서도 이를 자세히 설명하지 않고 이미 ‘전제된’ 개념으로 언급할 뿐이지요. 왜그런가 하면, 정화와 대비되는 법화의 중요한 특징과 관련이 있습니다. 이 특징은 위에서 언급한 금본위제의 진화형태, 즉 금화본위, 금지금본위, 금환본위로 변화했던 과정이 설명해 주기도 합니다. 금화본위제와 금지금본위제의 차이점은 실제로 금이 이동하지 않는다는 것입니다. 금과 교환이 약속된 화폐만이 이동할 뿐이었지요. 대게의 경제사나 역사 책에선 금이 무거워서였다고 설명합니다. 물론 틀린 말은 아닙니다. 하지만 진정한 동기는 금지금본위제를 시험적으로 운영해 본 경험에서 나온 것이이었습니다. 이렇게 하면 ‘금교환권’을 이것과 바꿀 수 있는 금의 양보다 더 많이 발행할 수 있다는 걸 알게된 것이었죠. 금교환권이라 하지만 실제로 금과 바꿔가는 사람이 일정비율 이하라는 통계적 경험칙과, 금교환권이 발행된 규모는 발행자만 알 수 있다는 정보의 비대칭성 때문에 가능한 것이었습니다. 이건 책이나 인터넷을 통해 많이 알려져 있는 은행업의 기원입니다. 제가 강조하는 부분은 통화의 ‘양’ 입니다. 금화본위제는 금이나 은을 추가로 채굴하지 않으면 통화량을 늘릴 수 없는데 반해, 금지금본위제나 금환본위제는 그것이 가능하다는 점입니다. 처음엔 부족하거나 심지어 없는 것을 충분하거나 있는 것처럼 속여 발행된 금교환권이 이제는 버젓이 부분지급준비금(fractional reserve)이란 이름의 합법제도로 자리매김하게 된 것이지요. 그렇다면 통화의 ‘양’을 늘려야 했을 당위에 대해 자연히 관심을 가지게 됩니다. 이 역시도 교과서적인 대답이 존재합니다. 인구증가로 경제규모가 커지고, 실물생산이 늘어나면 이를 유통시킬 충분한 양의 화폐가 필요하다는 논리입니다. 물론 이 역시도 틀린 말은 아닙니다. 화폐는 현대 경제학의 용어로 ‘지급’과 ‘결제’가 주요 기능인데, 사회활동(경제)의 주체이자 객체인 사람을 움직이게 할려면 그 대가로 뭔가를 지급해야 하고, 상품이나 서비스가 생산되고 유통되도록 거래가 일어나게 하려면 결제가 이루어져야 하니까요. 그래서 충분한 ‘양’이 중요합니다. 그런데 정화와 법화 두 화폐 간에 통화를 늘리는 방식에는 중요한 차이가 있다고 말씀드렸습니다. 전자는 금이나 은이 추가로 존재해야 하지만 후자는 그렇지 않다는 것입니다. 이 사실은 많이들 인식하고 있습니다. 중요한 건 그 사실이 의미하는 바를 아는 것입니다. 정화만이 유통 중이라면, 화폐는 사회 구성원에 골고루 나뉘어져 소유되게 됩니다. 혹여 화폐가 소수에게 유난히 집중되어 있다면 그들은 실질가치가 높은 상품이나 서비스를 제공하는, 그러니까 사람들의 후생에 실제로 큰 기여를 하는 사람들일 수 밖에 없습니다. 반드시 그런 상품과 서비스를 제공할 때에만 사람들은 ‘각자가’ 소유한 화폐를 지불할테고, 초유의 물리력을 동원하지 않는 이상 이렇게 분산되어 있는 화폐의 소유와 그 처분을 누군가 일률적으로 통제할 수는 없는 일이니까요. 다시 말하면, 정화는 인간이란 존재에 무엇이 가치 있는 지를 다수의 평범한 사람들이 선택하게 하는 민주성, 화폐가 반드시 실질가치를 쫓게하는 실체성, 그리고 그 가치교환이 실시간으로 일어나게 하는 동시성을 부여한다는 것입니다. 이렇게 좋은 정화도 ‘양’의 증가가 필요한 시점이 올겁니다. 아무리 정당한 방법으로, 실제로 가치있는 것을 생산한 소수에게 화폐가 집중되었다 할지라도 그 소수가 자신에게 필요한 소비를 통하여 사회에게 재공급하는 화폐의 양은 극히 미약할 것입니다. 이 때는 다른 이들 중에서 높은 생산성과 혁신을 가져올 능력이 있다해도 사회 전체에 유통하여 그것을 공유할 화폐가 부족하다면 발이 묶여 버리게되는 셈입니다. 그렇다고 모든 것을 물물교환으로 해결할 수는 없을테니까요. 사실 이 상황은 제가 극단적인 통화흐름의 정체상황을 가정해 본 것이고 이런 통화의 집중이 일어나지 않게 경제구조를 디자인할 수도 있으며 그 구조 하에서는 통화의 집중이 일어날 가능성도 크지 않습니다. 이 글의 전체 맥락과 관련해서 이 부분의 함의는 후술하겠습니다. 다만 이번 단락의 주제에 한정해서 이렇게 가정해 본 상황은, 제가 언급했던 바람직하게 디자인된 경제구조가 아닌 상황에서 실제로 일어났던 일이었고, 그렇다면 금화본위제에서 금지금본위제로의 이행에 아주 큰 동기가 되었을 것입니다. 금화대신 금화교환권의 발행이 가지는 속성이 부분지급준비제를 가능케했고, 이는 아주 손쉽게 통화를 증가시킬 수 있도록 하니까요. 문제는, 인간이란 이기적이고 탐욕적인 존재가 이 쉬운 통화증발을 앞서 언급한 문제의 해결에만 선용되도록 내버려 두지 않았다는 점입니다. 그렇다면 임의로 통화증발이 가능한 제도로의 이행, 즉 금화본위제의 폐지는 엄청나게 큰 유혹이었던 것이지요. 이제 여기에 대해서 얘기해 볼까 합니다.

¶10 금지금본위제에서 통화증발이 가능한 이유는 금과 교환할 수 있는 권리증서, 즉 중앙은행권의 발행 때문이었고, 좀 더 구체적으로는 이 증서를 제출해 실제로 금을 인출해 가는 경우는 많이 없어 가능했던 부분지급준비금제도 때문이라고 언급했습니다. 부분지급준비금제도에 의한 기하급수적인 통화증발 메커니즘은 다들 알고계실 테니 굳이 이야기할 필요는 없을 것 같습니다. 이를 알고계시다면 시중은행이 막연히 그냥 돈을 찍어내 통화를 뿌리지 않는다는 것도 아실것입니다. 하지만 후자에 관한 상세는 이 단락의 요점에 닿아있어 한 번 언급할 필요가 있을 듯합니다. 금교환권의 발행주체는 형식적으로 중앙은행이지만 실제 그 발행이 일어나는 창구는 동네마다 보이는 은행들, 즉 일반 상업은행들입니다. 일반 시민들의 입장에서 이 과정의 가장 이해하기 쉬운 예는 주택담보대출일듯합니다. 집은 누구나 필요로하고, 누구나 가지고 싶어하며, 은행 빚을 내지 않고 사는 사람은 거의 없기 때문입니다. 대체로, ‘미래에’ 생겨나 자신의 것으로 예정된 주택의 소유권을 은행에 담보로 맡기고 주택구입대금을 대출받습니다. 지금까지의 ‘통화증발’이라고 표현 했던, 금화본위제에서 문제가 되었던 부족한 통화량을 해결하기 위해 새로운 화폐(통화)를 만들어 내는 것의 실체, 즉 새로 사회에 추가되는 통화가 바로 이 때 생겨나는 것입니다. 흔히 주류경제학에서 경제의 세 주체를 가계, 기업, 정부라고 가르치고 있죠. 이건 현재의 법화 체계 아래서 새로운 통화를 창출케 하는 주체에 따른 분류라고 보시면 됩니다. 주택담보대출은 가계부문의 통화창출 중에서 액수 면에서 가장 크고 직관적으로 이해하기 쉬운 것을 예로 든 것이었고요. 먼저 가계부문의 예를 든 이유는 본질은 같지만 잘 알려져 있지 않은 나머지 두 부문을 얘기하기 위함입니다. 기업과 정부도 마찬가지의 과정으로 새로운 통화를 창출합니다. 다만 은행에 맡기는, 아니 저당잡히는 담보가 다를 뿐입니다. 또 전문성이나 규모가 가계와 달라 일반 상업은행뿐 아니라 기업은행, 중소기업은행, 산업은행, 수출입은행 등 별도의 전문은행이 더 있을 뿐입니다. 일본을 포함한 다른 자본주의 국가에서도 명칭이 다를 뿐 비슷한 기관들이 있습니다. 기업과 정부가 은행에 제공하는 담보는 두 주체가 이미 가지고 있는 유무형의 자산도 있지만 ‘미래에’ 가지게 될 자산도 있습니다. 예를 들면, 회사가 앞으로 영업해 벌어들일 수익을 받을 수 있는 권리인 ‘매출채권’ 같은 것입니다. 회사가 발행하는 채권인 회사채도 본질은 ‘미래에’ 생길 자산을 맡기는 것과 다름 없습니다. 만약 어떤 기업이 사업을 확장하기 위해 회사채를 발행하여 자금, 엄밀히는 통화를 조달해 사무실을 추가로 임차하고 새로운 직원을 뽑았다고 합시다. 그 새로 생겨난 돈, 그러니까 ‘빌림으로써’ 새로 생겨난 그 돈의 상환은 신규사업으로 벌어들일 수익으로 이루어지는 것입니다. 지금 글을 읽는 분이 막 대학을 졸업해 취업하신 분이라면, 또 거기서 번 돈으로 생활하고 계시다면 여러분은 그 일자리로 말미암아 돈을 벌고 있다고 생각하기 쉽습니다. 그러나 사실 그 일자리는 급여와 같은 돈이 생겨났기 때문에 생겨난 것입니다. 눈치가 빠른 분은 이미 깨달으셨을 겁니다. 애초에 회사가 빌린 돈은 은행에서 나왔고, 그 은행의 주인은 은행의 주주들이고, 그 주주들은 모두 사적 집단이며 심지어 외국인들도 있습니다. 은행의 회사에 대한 대출결정은 그 주주들의 뜻을 위임받은 대리인들이 내린 것입니다. 그러니 정치인 뽑는 투표를 잘 한다고 해서 취업난이 해소되지 않는다는 것이지요. 물론 그들이 입법과 행정수단으로 사적집단의 통화창출 의사를 유도해 줄 국내적 환경을 조성해 간접적으로, 단기적으로 취업난을 해결 해 줄 수 있습니다. 그런데 여러분은 절대 다수이고 사적집단은 극소수입니다. 통화창출을 유도해 줄 수 있는 환경의 조성이란 것은 그 소수의 이익에 봉사하는 것일 수 밖에 없고, 그렇다면 그것은 장기적으로 여러분에게 도움이 되는 것이 아닌 것이지요. 여기에 관한 것은 재미난 이야기가 많지만 자꾸 옆길로 새는 것 같아 이정도만 하겠습니다. 다시 통화창출에 제공되는 담보 얘기로 돌아가 볼까요? 가계와 기업까지 살펴봤습니다. 둘 다 미래에 가지게 될 자산, 다시 말해 ‘지금은 없는 것’을 맡기고 은행을 통해 새로운 통화를 창출한 다음 자신이 그것을 받아서 쓰는 겁니다. 이제 정부를 얘기할 차례군요. 똑같습니다. 기업의 예에서 회사채를 예로 들었듯이, 국가의 경우에도 국채를 대표적인 예로 들 수 있습니다. 다만 제가 ‘똑같다’고 말한 의미에 대해서 대부분의 사람들은 크게 신경을 기울이지 않는 듯합니다. 화폐생성과정만 같을 뿐 가계와 기업과 달리 국가에 통화를 창출해 주는 주체가 상업은행이 아니라 중앙은행이라고 믿거나 국가 스스로라고 생각하는 듯합니다. 아닙니다. 앞의 두 경우와 같습니다. 가계, 기업, 정부 모두 민간은행에 담보를 제공하고, 그 담보를 중앙은행이 할인해 중앙은행 명의의 화폐가 생겨나는 것입니다. 단지 현대 금융에선 이 담보들이 증권화되어 유통되는 과정이 워낙 복잡해 가장 거시적인 흐름이 잘 보이지 않을 뿐입니다. 또 국고금계정이 중앙은행에 개설된 것으로 알려져 착각을 주는 것이기도 한데, 사실 상업은행들 또한 중앙은행에 모두 계정을 가지고 있고 국가의 계정도 이것과 쓰임이 같은 계정일 뿐입니다. 국채는 다른 담보들에 비해 국가의 세금징수권으로 원리금의 상환이 보증되므로 은행들, 즉 사적 집단의 입장에선 가장 안정성이 크다는 의미에서 안전자산으로 불리기도 합니다. 떼일 위험이 적어 안전하기에, 수익률은 가계나 기업에 대출할 때보다 적을 수 있습니다. 그러나 운영규모를 고려해야 합니다. 사적 집단에겐 엄청난 이익의 원천인 셈이지요. 지금 전세계적인 감염병 사태, 이른바 판데믹으로 국가가 빚을 내어 생계가 어려워진 국민들을 돕는 경우가 많습니다. 한국의 경우도 감염병사태로 피해를 본 사람들에게 정부가 현금지원도 하고 세제혜택도 주고 있습니다. 일본도 마찬가지라고 들었습니다. 처음엔 예산을 쥐어짜 이 급부행정의 재원을 마련했지만 사태가 장기화되면서 정부도 국채를 발행할 수밖에 없었습니다. 지원대상의 범위와 총액 면에서 전례가 없었던 초대형 정부지출이었지요. 여기에 대해 야당과 언론은 선거를 대비해 결국 미래세대가 갚아야 할 빚인 나라 돈으로 국민들에게 선심을 쓰고 있다고 비판합니다. 아주 틀린 말은 아니지만 이 빚잔치 프레임은 정작 국민들이 본질을 보지 못하게 할 뿐입니다. 결국 이 돈은 현재 납세주체와 경제공동체인 그들의 아들 딸들, 그리고 그들의 후대가 갚아야 하므로 선심은 국민들에게 쓰는 것이 아니라 금융세력에 쓰고 있는 것이지요. 저는 이 급부행정을 위해 발행한 채권의 규모가 흡사 국가가 전시에 발행하는 그것의 규모와 비슷하거나 더 많다는 생각을 했습니다. 일전에 제 한국어 소셜미디어에 지금의 판데믹이 새로운 개념의 ‘전쟁’임을 제시한 영시 한 편을 적어 올린 적 있는데 단지 전쟁당사자와 전장의 모습만 다를 뿐 그 기저의 경제적 침탈과 얻게 되는 전리품, 이를 위한 금융수단 등의 모습은 꼭 닮아 있다는 생각이 듭니다. 정부의 급부행정 얘기가 나왔으니까 말인데요, 지금처럼 판데믹에 완전 무방비로 직격탄을 맞는 서민들, 특히 취약계층에의 직접적인 현금지원은 잘 하는 것입니다. 단 한 가지 전제가 있습니다. 그 재원을 이 전쟁 아닌 전쟁의 수익자로부터 얻어야 합니다. 그냥 이렇게만 이야기해 두고 싶군요. 또 옆길로 새려고 합니다. 정리하면, 가계와 기업에 이어 정부 역시도 금화본위제를 폐지한 뒤 새로운 법화체제 아래서 ‘새로운’ 통화를 창출하는 방법은 마찬가지로 지금 가지고 있지 않은 것을 담보로, 미래에 얻을 것을 맡겨 빌리는 것입니다. 이 단락의 얘기는 이러한 통화증발 방식이 증가된 화폐의 선용을 보증하지 못한다는 점에서 출발했습니다. 그러나 보증이 안 됨을 넘어 심각한 오남용과 악용의 가능성을 잉태하고 있다고 해야 정확할 것 같습니다. 그러니 이제 본론으로 들어가 보겠습니다.

¶11 제가 통화증발 과정에 대한 묘사에서 일관되게 강조한 것이 있습니다. 바로 화폐란 것이 거래와 유통, 가치저장 등의 대상이자 본래 그것의 존재 이유로서 봉사하는 실질가치를 품은 어떤 실체보다 ‘먼저’ 세상에 나온다는 것입니다. 지금 존재하지 않는 것이 먼저 나온 돈에 사후적으로 갖다 붙는 셈이지요. 이건 단순히 앞뒤가 바뀌어도 별 문제없는 두 사건 간에 시간적인 선후만 바뀐 것이 아닙니다. 실체를 예정함으로써 화폐가 발행되기에, 단순히 생각하면 실체 없는 화폐가 있을 수 없을 것 같지만 현실에서 벌어지는 일은 먼저나온 화폐가 실체를 구성해 나가는 방식인 것입니다. 특히 예측이 어렵고, 또 바로 이러한 속성 때문에 이익이 큰 분야에의 투자, 그러니까 새로생긴 화폐를 새로운 활동에 투입하는 행위에 있어 더욱 그러한 특징이 도드라집니다. 예컨데 미국인이 일본 규슈의 어떤 광산에 투자한다고 가정해 봅시다. 투자시점에 광물은 사용가능한 상태로 존재하지 않습니다. 화폐가 먼저 나와서 그것으로 광부를 고용해 부리고, 기계를 임차해 사용해 봄으로써 비로소 그 사업의 양상이 구체화됩니다. 광부와 기계임대인은 현대 금융의 기작을 모르기에 자신이 먼저 돈을 받았기에 노동과 자산을 제공한다고 생각하게 됩니다. 앞서 든 대졸 취업자의 착각과 같은 맥락의 이야기입니다만, 여기서는 화폐가 실체를 ‘견인’하는 것에 초점을 맞춘것입니다. 이것의 본질을 인식해야 합니다. 이것은 좋게 얘기하면 모험이고, 조금 삐딱하게 얘기하면 도박입니다. 위에서 든 예처럼 최종생산물이 광물이고, 그 광물이 인간의 생활을 윤택케 하는 물건의 원료로 쓰이고, 또 그 과정에서 여러 사람에게 선량한 일자리를 창출해 준다면 그건 좋은 일입니다. 여기에 발행된 화폐는 최종적으로 해당 광물에 안착하게 되고, 그건 ‘새로’ 생겨난 것에 들러붙은 것이어서 앞서 언급한 인플레이션의 기작 대로 기존 화폐의 가치를 떨어뜨리지 않습니다. 다르게 말하면 다른 사람의 부를 그 사람들도 모르는 사이에 갉아먹지 않는다는 뜻입니다. 물론 새로운 통화를 창출받은 사람이 ‘적정한’ 이윤을 챙길 때를 전제한 것이긴 합니다. 하지만 이러한 모험과 도박의 차이는 그리 크지 않습니다. 위의 예에서 그 광물이 총이나 탱크와 같은 군수물자 생산을 위한 것이었다고 상황을 바꿔봅시다. 미국인은 전시 상황이라 광산의 채산성이 얼마나 되는지는 중요하지 않습니다. 원료를 먼저, 그리고 빨리 확보하는 것이 중요합니다. 그런데 그건 자금을 투입해 일을 벌여봐야 알 수 있습니다. 거기서 나온 원료를 이용해 무기를 만들고, 그것으로 말미암아 전쟁에서 이길 수만 있다면 미국인은 패전국이 보전해 줄 생산비뿐 아니라 엄청난 배상금과 패전국 내에서의 사업이권을 얻을 수 있습니다. 우리는 이런 행위를 도박이라 부릅니다. 제가 도박의 예로 전쟁을 예로 든 건 이유가 있습니다. 이 전쟁이야 말로 법화제도라는 통화증발기계의 발행능력을 거의 최대치로 가동할 수 있고, 그렇게 발행된 막대한 양의 통화는 실로 엄청난 양의 이익을 가져다주기에 극단적인 도박으로써의 통화제도 악용에 관한 적절한 예가 될 수 있기 때문입니다. 물론 이는 해당 도박판의 참여자가 베팅한 곳이 이겼을 경우의 이야기입니다. 제가 도박이란 일반명사를 써 얘기했지만, 사실 이는 진실로 최선을 다한 후에 남겨진 ‘우연’에 투자의 성부를 맡기는 건설적인 모험이나 좀 덜 파괴적인 도박판의 이야기일 뿐이고, 실제 국가 간의 대규모 ‘전쟁’ 같은 극단적인 경우는 ‘사기도박’에 가깝습니다. 미리 판을 ‘설계’하고, ‘호구’를 선정한 다음 조금 따게 해 줘서 끌어들인 뒤 크게 미끼를 물면 그 때 사정없이 벗겨 먹는 것는다는 점에서 그 모습이 꼭 닮았습니다. 상상의 이야기를 하는 것이 아닙니다. 일본과 관련된 예만 든다면 1905년의 러일전쟁이 그랬습니다. 아무도 일본이 이길거라 생각지 않은, 객관적인 전력상 일본이 절대열위의 상황이었습니다. 구체적인 지원주체를 밝히지는 않겠습니다만, 일본의 승리 비결은 위에서 언급한 통화증발 메커니즘에 있었습니다. 임의로 창출할 수 있는 통화를 어느 쪽에 대느냐에 따라 승부가 갈린 것입니다. 이는 위에서 든 광산개발의 기작과 같습니다. 일단 실체 없이도 화폐가 먼저 세상에 나와 광부와 기계주인을 부려서 광물을 캐낸 뒤 거기에 화폐가 안착하듯, 전쟁도 ‘먼저’ 무기를 만들고, 군인을 부리고, 이를 이길 때까지 밀어부치면 빚으로 탄생한 화폐가 비로소 거기에 안착해 도박판에서 승리할 수 있습니다. 이것은 실로 큰 유혹입니다. 금본위제에서 이탈해 야금야금 금에서 멀어져 결국 현재의 불환화폐(법화) 제도로 진화해 온데는 커지는 경제규모를 감당할 통화량 증가가 용이하지 않아서라기 보다는 이렇게 막대한 이익을 안겨다 줄 도박을 가능케 하는 제도가 필요했다고 보는 것이 더 합당합니다. 사실 금본위제 하에서도 통화증발이 필요할 경우 이에 완전히 대응하지 못하는 것도 아닙니다. 금생산량을 늘여 실체가 있는 생산에 통화로 공급하면 되고, 그 생산이 여의치 않으면 유통중인 주화를 회수해 현대적인 용어로 리디노미네이션을 하면 됩니다. 회수와 재주조의 비용이 만만치 않겠지만 지금까지 언급한 불환화폐의 부작용에 비하면 아무것도 아닌 것이지요. 또 화폐단위가 재조정되면 대외적으로 상품가격이 낮아져 수출이 늘고 다시 교역국으로부터 금이 들어오게되는 정화의 황금률같은 자동조절장치가 작동되기 시작합니다. 물론 금의 매장량이 유독 많은 지역이 있을 수 있습니다. 그러나 이런 금의 생산량이 어떤 국가의 우연한 지리적 행운에 결부되어 일시적으로 불공정한 구매력 증가로 이어지더라도 국내적인 물가조정을 거쳐 무역을 통해 다시 자동조절장치의 통제를 받게 됩니다. 무엇보다도, 금본위 하에서도 유통중인 금화를 획기적으로 늘려야 할 만큼의 이벤트는 산업혁명과 같은 말 그대로 ‘혁명’적인 일 외에는 그리 흔하지 않습니다. 오히려 불환화폐 체제에서 임의로 증발된 통화가 다시 통화증발을 부르는 핵폭발의 연쇄반응 같은 통화증가를 통해 이 과정의 이니셔티브를 쥔 소수집단에 통화가 집중되고, 이 때문에 부의 불평등한 분배와 양극화가 나타나고, 그래서 엄청난 총통화량(총유동성) 속에서도 대부분의 사람들은 가진 돈의 구매력 저하와 같은 간접적인 방식으로 돈이 부족해지는 것이지요. 이 금융통화체계의 내부자들인 소수집단은 임의로 늘릴수 있는 통화를 이용해 실제로 사람을 부리는데서 그 제도의 의미가 완성되기 때문에 부림을 당하는 사람이 굶어 죽지 않을 정도의 물가를 유지해 주어야 합니다. 중앙은행의 물가안정기능의 본질은 여기에 있는 것이지요. 또 이는 동경 시내에 집 한채 사기가 하늘의 별따기만큼 어려운 이유이기도 합니다. 노예들의 노예됨을 영속시키기 위해선 그들의 생필품가격이 안정되어야하고, 그러기 위해선 생필품가격의 상승분은 어디에선가 흡수되어야 합니다. 그렇다면 이왕에 불가피한 상승분을 부동산에 흡수시켜 자신들의 부를 증가시키면 꿩먹고 알먹기가 되는 것이지요. 일본은 세계제일의 초고령사회인데다 인구도 10년 이상 연속으로 감소하고 있고 빈집도 많다는데 희한하게도 동경의 집값은 이를 비웃기라도 하듯 반대로 갑니다. 이것은 조금 전에 말한 불환화폐의 핵폭발 연쇄반응과 관련있습니다. 실체 없이 세상에 먼저 나온 통화가 누군가의 손에 쥐어져 자산이 되고 이 자산이 다시 통화창출의 근거가 되어서 그렇습니다. 한 번 이 통화증발기계를 사용해 아무 것도 가진것 없는 상태에서도 사람과 물자를 모아 어떤 임계점만 넘겨 놓으면 그곳은 비가역적으로 연쇄폭발하는 통화의 핵폭발 현장과 같은 곳이 되는 것이지요. 그러니 이 기계를 움직일 수 있는 세력에겐 스스로를 엄청난 부자로 만들어 줄 수 있고, 그러한 금권으로 사람을 지배토록 해 주는 이 장치야 말로 거부할 수 없는 유혹인 동시에 영원히 수호해야 되는 것이며, 그래서 사람들이 실체를 알아서는 안 되는 것이기도 하지요.

¶12 이제 금본위제에서의 화폐인 정화가 금본위제를 이탈한 화폐인 법화로 바뀐 배경에 대해서 개략적으로 얘기한 듯합니다. 글의 내용에 동의하신다면, 꼭 귀금속이어야 할 필요는 없습니다만 금으로 만든 돈이 왜 정화(正貨)인지, 그러니까 그것이 왜 ‘올바른 돈’이란 이름을 가지고 있었는지를 이제 아실겁니다. 그렇다면 바른 돈의 반대편에 있는 현재의 불환화폐의 명칭은 법화가 아니라 ‘악화’가 되어야 하는 것이 아닌가 싶습니다. 사람의 인식과 사고는 언어의 영향을 크게 받기에 어떤 개념의 명명법은 참 중요합니다. 그럼에도 ‘악화’란 명칭은 지나친 악마화가 아니냐는 반론을 제기할 수도 있을겁니다. 하지만 ‘악화’란 단어는 저만 사용한 게 아닙니다. 일찍이 그레셤이란 사람이 ‘악화가 양화를 구축한다’고 했지요. 물론 제가 지금까지 전개해 온 담론과는 다른 맥락에서 나온 말입니다만, 그 결과만 놓고 볼 때 악화가 양화인 정화를 몰아낸 것은 똑 같은 것 같습니다. 두 개의 주화중 액면가는 같지만 소재가치가 더 적을 뿐인 한쪽의 주화를 가리켜 ‘악화’라 부를 정도였으니 소재가치가 아예 없는 법화를 악화로 부르는 건 지나친게 아닌 것입니다. 저는 법화만큼 해악이 크지만 그 개념이 공중에 거의 인식되어 있지 않은 또 다른 장치로써 법인격을 꼽습니다. 둘다 악한 속성에도 불구하고 권위와 존중의 대상으로 느껴지게 만드는 ‘법’자가 들어가 있다는 묘한 공통점도 있습니다. 이 공통점은 단순히 명칭에서만 유래된 것이 아닙니다. 법화가 금이라는 진짜 실물 없이도 임의로 통화량을 늘릴 수 있게 해주는 것이라면 법인은 진짜 사람 없이도 그 늘어난 통화를 사람의 권리처럼 집행하게 해주는 역할을 하는 것입니다. 이 둘은 환상의 콤비였던 셈이지요. 자고로 돈이란 건 ‘모였을 때’ 힘을 갖습니다. 모인 돈은 자석처럼 또 다른 돈과 사람을 끌어들입니다. 모인 돈을 굴려 큰 수익을 낼 수 있는 극단적인 예로 위에서 전쟁을 들었습니다. 전쟁은 나쁜 짓입니다. 나쁜 짓을 하면 법적인 책임을 져야하고 도덕적인 비난을 받습니다. 이 모든 것을 해결해 주는 것이 법인입니다. 법인에게 여러 자연인들이 돈을 모아주고, 나쁜 짓을 시켜 큰 돈을 번뒤 다시 그 뒤의 자연인들에 나눠주되 모든 위험은 ‘법적인 행위자’인 법인이 지도록 하는 것이지요. 법화와 법인격이 처음 생겨날 땐 교회의 권력이 강했습니다. 사람은 범죄뿐 아니라 교회법에서 엄격히 금했던 고리대금업을 해서도 안되었지요. 하지만 사람들은 ‘돈이 돈벌게 하는 것’이 돈 버는 최고의 방법임을 그 때도 알았기 때문에 교회법을 피해 갈 법인격이 필요했을겁니다. 개인적으론 ‘제도’ 차원에서 인간불평등의 가장 근본적이면서도 영향력이 큰 기원으로 법화와 법인을 상정했고, 이 둘에 관한 책을 쓰면서 그 개념 창안의 꼭대기에 교회법이 있음을 알았습니다. 그래서 한 때 가톨릭 신앙을 잊고 무신론에 경도돼 있었던 적도 있었습니다. 이후 여기 모두 다 열거 할 수 없는 신비한 체험과 가톨릭이 두 장치의 해악에 맞설 수 있는 다른 좋은가치가 많음을 알았기에 다시 돌아 올 수 있었지만서도요. 후자에 관해선 살짝 언급하고 넘어가고 싶습니다. 개인적으론 법인과 법화가 처음 교회에서 생겨날 당시엔 절대권력에 맞서 절대다수의 피지배자들을 구휼하는 수단이었다고 생각합니다. 그런데 지금은 이게 오남용을 넘어 악용되기에 이르렀고 되려 신흥세력의 지배수단이 되어버린 것이지요. 노동운동을 하다 완장을 차게되자 그 노동자들이 쥐어준 권력으로 부를 축적해 되려 노동자를 착취하게 된 것과 비슷한 경우랄까요. 이 정도로만 이야기 하겠습니다. 그러니 선과 악을 상대적인 개념으로 희석해 구분을 모호하게 하는 나쁜 세력과는 달리, 저는 이 둘을 선험적으로 명확히 구분된 것이라 여기는 성도로써 이 둘을 악화와 악인으로 부르는데 주저함이 없습니다. 말이 나왔으니 말인데요, 법화와 법인이 지배하는 세상이 되었기에 악화가 양화를 구축하는 세상이 된 것입니다. 그러니 악인이 양인을 구축하게 된 것도 이상할게 없는 현실이지요.

¶13 사실 이글은 제 출생에 관해 들여다보다 촉발된 것입니다. 이 작업엔 역사적인 사실들, 그리고 이웃나라와의 관계 등을 알아보는 것도 포함됩니다. 원래 역사엔 관심이 없었고 잠깐 기록학을 공부해 보니 이 분야도 꽤 많은 거짓을 잉태하고 있단 생각에 외면하고 있었지만 친부모님과 저 사이에 일어났던 일에 대한 탐구욕이 그 왜곡된 역사마저 들여다보게 하더군요. 그 이웃나라라는 곳은 국경을 맞댄 북한과 그 넘어의 중국, 동남아시아의 여러 국가들도 있습니다만 대만과 일본에 특히 관심을 두었습니다. 대만은 중국을 떼 놓고 생각할 수 없기에, 한중일 세 나라의 역사를 탐구하던 중 이 글의 주제와 관련해 특기하고 싶은 것을 발견한 것이고요. 그 얘기를 하고자 금본위제를 먼저 얘기한 것입니다.

¶14 멀게는 1945년에 시작된 아시아태평양전쟁의 계기였기도 하고, 좀 더 가까이는 중일전쟁의 계기였기도 한 사건이 1931년에 일어난 만주사변입니다. 이 사건은 일본이 만주를 중국침략의 병참기지로 삼기위해 일으킨 사건으로 알려져 있습니다. 반복해 말씀드리지만 언어는 사람의 사고를 가두는 측면이 있습니다. “중일전쟁”은 그 명칭으로 인해 당연히 중국과 일본의 싸움으로 인식됩니다. 그 배경도 일본의 야만적인 욕구에서 비롯된 것으로 알려져 있습니다. 하지만 만주사변 전후로 일어났던 잘 알려져 있지 않은 사건에 주목해 볼 필요가 있습니다. 당시 미국과 미국의 주요교역상대였던 유럽국가들, 그리고 일본의 화폐체제는 주로 금본위제에 일부가 금은복본위제였습니다. 그런데 만주사변 1여년 전인 1931년, 미국에선 스무트-홀리관세법이 통과됩니다. 이 법의 요지는 자국 농민을 보호한다는 명분으로 수입농산물에 대한 관세를 엄청나게 올린데 있습니다. 아시다시피, 수입관세는 교역상대국의 수출을 좌절시킵니다. 유럽국가들의 대미수출이 막히고 급기야 이들도 미국에 보복관세를 부과했습니다. 미국과 유럽이 외국의 농산물에 대해 문을 걸어잠근겁니다. 공교롭게도, 그 해 일본에 대풍년이 들었습니다. 그런데 수출길이 막혀있으니 농산물은 국내소비로 돌릴 수밖에 없었고, 이 때문에 농산물 가격은 대폭락하게 됩니다. 여기까지는 일반적인 역사책엔 잘 나오지 않지만 그래도 경제사쪽에선 이를 다루는 문헌이 없지 않습니다. 하지만 경제사쪽에서도 잘 언급되지 않는 사실이 있습니다. 스무트홀리관세법 시행 직후 유럽의 주요국가들이 금본위제를 폐지한 것입니다. 그 직후엔 일본이 금수출을 정지합니다. 이 두 사건의 연속은 무엇을 의미하는 것일까요? 일본은 이제 더 이상 자국으로는 금이 들어오지 않을 것이란 걸 깨달은 것입니다. 미국의 일방적인 조치로 말입니다. 또 일본정부는 미국의 조치로 자국 농민의 공분을 사버렸고, 급기야 농민들은 새로운 경제적 돌파구가 있는 만주침략의 중심세력인 군부를 지지하기에 이릅니다. 실제로 1932년 일본군부는 만주국을 세웠는데, 여기서 또 역사책이 잘 언급하지 않는것이 있습니다. 바로 그해 만주국은 은본위제의 화폐제도를 성립합니다. 당시 중국이 은본위제 국가였던 것, 그리고 일본이 새로운 무역출구를 찾아나선 것과 무관하지 않았던 일련의 사건들입니다. 미국의 책동은 여기서 끝난게 아닙니다. 일본에 했던 짓을 그대로 중국에 적용합니다. 미국은 1934년 6월 은매입법을 제정합니다. 1년 전 주요 은생산국들과 은매입협정을 체결한 후에 벌인 일입니다. 이로써 전세계의 은이 미국에 집중됩니다. 미국에서 은 값이 가파르게 오르게됩니다. 은을 미국에 팔면 큰 이익이 되므로 중국의 은도 미국으로 빨려들어갑니다. 그래서 중국에서도 일본과 똑 같은 일이 벌어집니다. 농산물, 즉 실물의 생산량은 일정한데 화폐, 즉 은화가 쓸려나가자 농산물 가격이 급등합니다. 이는 중국농산물의 대외가격경쟁력이 하락함을 의미합니다. 기존의 은화는 이미 빠져나갔고 수출은 막혀 들어올 은화도 없어졌습니다. 자금흐름이 완전히 끊겨 몇 년 전의 일본에서처럼 기업들이 대거 파산합니다. 이는 분열 중이던 중국 국민당과 공산당이 힘을 합쳐 항일전에 전력을 다하도록 하는 큰 동인이 됩니다. 1937년 중일전쟁이 발발할 당시에는 중국과 일본 모두 금은본위제에서 모두 이탈한 상태였습니다. 법화제도라는 도박판이 비로소 동아시아에 깔린 것입니다. 이제 무제한 통화증발을 통해 중일 양쪽 모두에 무기를 사게 하고 병사를 먹이게 하며 석유를 수입케 해 세력에겐 산업을 키우면서 동시에 이 두 국가엔 엄청난 빚을 지우는 일만 남았습니다. 전쟁은 오래끌되 승부를 낼 필요는 없습니다. 이 계획에 화답하듯 일본이 1941년 진주만을 공습해 2차 세계대전으로 이어집니다. 하지만 진주만공습도 미국이 일본의 해외자산을 동결해 유도된 일임을 아는 사람은 다 압니다. 만주사변과 중일전쟁을 일으켰던 책략과 같은 것이었지요. 한중일은 여기에 말려들어 1945년이 되어서야 일본은 핵폭탄 두 방을 맞고 패전했고, 중국은 둘로 나뉘었으며, 한국은 이 과정에서 만신창이가 되었습니다. 특히 한국은 5년 뒤에 다시 새로운 전장이 되어 쑥대밭이 된 뒤 중국과 일본을 갈라세우는 지리적 분기점이 됩니다. 마치 음극과 양극을 절연시켜주는 스위치처럼 두 개로 쪼개져서 말이지요. 한중일 중 승자는 아무도 없었습니다. 승자는 이이제이로 아시아에서 가장 큰 두 세력을 이 둘이 서로 싸우게해 손쉽게 제거해 버리고, 그들의 제국주의적 침투수단인 금융제도, 즉 법화체계를 이식해 비전투적인 착취체계를 완성한 서구금융세력뿐이었습니다.

¶15 제 글의 전반적인 내용에 동의하신다면 역사책의 내용들이 가장 큰 틀에선 패권을 위한 ‘제도’의 이식에 닿아있음을 이해하실 것입니다. 2차 세계대전 이후 중동의 국지적인 분쟁 외엔 그것에 비견할만 한 초대규모, 전지구적인 물리력 충돌이 없었던 것은 패권국과의 전력 초격차와 핵억지력에 의한 것으로 설명되고 있지만 개인적으론 그럴 필요가 없어진 것으로 보고 있습니다. 이유는 이미 언급한 바 대로입니다. 역시 말이 나왔으니 말인데요, 중동분쟁이 금융통화제도와 연결되는 또 다른 ‘본위제’의 재미난 한 축이 미국이 전세계의 석유구매를 미국달러로만 가능케 했던 작업과 이로써 탄생된 이른바 페트로달러체제인데 이글에서 전달하고자 하는 제도상의 본질과 그 진화의 끝은 이미 다 언급한 것 같으므로 중간과정이었던 석유본위제에 관한 지난한 묘사는 생략토록 하겠습니다. 현재상태(status quo)는 총을 쏘고 폭탄을 떨어뜨리느라 침략자의 야만성을 노출해 체면을 구기면서까지 도둑질을 할 필요가 없어졌습니다. 총과 폭탄의 역할은 법화가 해줍니다. 뿌리는 만큼 많이 죽어나가는 것과, 그걸 쥔 쪽이 살아서 막대한 이득을 취한다는 것이 절묘하게 닮아있지요. 이러한 악인의 역할은 다른 악인이 해 줍니다. 법으로 만들었다는 바로 그 사람말입니다. 이 사람은 아무리 잘못해도 사형을 당하거나 감옥에 가지 않습니다. 벌금은 그저 손쉽게 만들어 낸 돈으로 내면 됩니다. 세금은 언제든 다른 나라로 도망가 내지 않으면 그만입니다. 침략지 어디서든 악인은 충실한 그들의 하수인을 고용할 수 있습니다. 그건 주인이 보도록 정해놓은 것만 열심히 배우고 익힌 순서대로 하수인에게 직분과 임금을 주면됩니다. 그럼 하수인들은 어깨에 힘을 주는 것에 비례해 진실과 멀어져 주인의 정체를 알지 못하고 그들끼리 자율규제를 하게 돼 따로 관리할 필요가 없어집니다. 이제 더 이상 땅을 따먹고, 자원을 빼앗고, 물건을 팔아먹기 위해 전쟁을 일으킬 필요가 없어진 것입니다. 이것은 전 세계가 국민의 생존에 필요한 물자의 수급을 무역에 의존하게 만들고, 그 무역거래를 국제결제시스템을 통해서만 가능토록 하되, 시스템의 패권을 소수국가에 쥐도록 만들어짐으로써 이루어진 것입니다. 이 모든 것은 기저에 법화제도가 있으므로 가능한 것입니다. 금화본위에서 무본위로 옮겨 온 것은 바로 이 때문입니다.

¶16 출생에 관해 알아보다 이 글을 쓰게 되었다고 했습니다. 이제 정리를 해 볼까 합니다. 한중일은 어떤 세력이 전지구적으로 새로운 질서체계를 완성해 가는 과정에서 그들이 벌인 이간질에 넘어가 희생되었고, 그 결과 그들의 체계에 편입되어 노예화 되었습니다. 그러니 주제 넘는 의견입니다만, 한중일은 무조건 잘 지낼 필요가 있습니다. 이상적으론 모든 나라가 잘 지내면 좋겠지만 단번에 이루어지는게 아니니 우선은 큰 덩어리 간의 힘의 균형이 필요합니다. 그럴려면 동아시아에서 유럽연합을 넘어서는 연대가 필요하지 않나 생각합니다. 개인적으론 아예 한중일이 한 국가처럼 나아가는 절차를 밟았으면 좋겠다는 생각입니다. 세 나라엔 세 나라의 분열을 획책하도록 심어진 사람들이 있는 듯 합니다. 얼마 전 김치종주국이 중국이라는 주장을 퍼뜨린 일이라든지 강제징용과 위안부 문제를 시도 때도 없이 문제삼는 부류들 말입니다. 자존심 아닌 자존심이 부강한 나라의 국민이 되는 것보다 중요한 것인지 묻고 싶습니다. 사실 한국과 일본에는 중국적 기원을 배제할 수 있는 것이 거의 없는 데도 말이지요. 솔직해졌으면 좋겠습니다. 또 징용과 위안부 문제도 위에서 언급한 대로 진정한 원인제공자가 누구인지 안다면 한국과 일본은 싸울 필요가 없는 정도가 아니라 서로 연대를 해야 하는 일이니 말입니다. 저는 유명한 사람이 아니어서 다행이라는 생각을 합니다. 이런 엄청난 도발적인(?) 얘기를 할 수 있어서 말이지요. 다음의 이야기는 더욱 그렇습니다. 한글은 그 자체로 훌륭한 문자인 건 맞습니다. 그런데 한글은 중국과 일본 사이에서 한국을 유독 한자가 없어진 나라로 만든 것 또한 사실입니다. 한자어에서 유래한 단어는 여전히 엄청나게 많이 쓰고 있으면서도 더 이상 한자로 표시하진 않지요. 국가간의 통합에 언어유사성은 엄청난 이점입니다. 정확히 중간에 끼인 나라가 독창성을 발휘함으로써 그 이점을 아주 효율적으로 포기하고 있는 셈이지요. 서구인들은 자신들에게 이익이 되지 않는 다음에야 그들과 다른 민족(인종)의 성취를 칭찬하는 법이 없습니다. 그러니 서구인들이 한글과 그 창제자를 극찬해 마지 않는 것은 좋아할 게 아니라 생각해 볼 문제입니다. 북한, 대만, 동남아시아 국가들과 관계에서도 마찬가지의 관점을 가져야 한다고 생각합니다. 제 개인사를 끼워넣기엔 지나치게 거시적인 담론인 것 같습니다만, 친부모님과 떨어질 수 밖에 없었던 궁극의 이유도 지금까지 언급한 문제들에 닿아 있음을 부정할 수 없습니다.

¶17 마지막으로, 눈치가 빠른 분이시라면 이 블로그의 지난 포스팅들이 또 다른 금융화폐제도로의 이행을 다룬 것임을 아실것입니다. 위에서 언급한 ‘물리적인 전쟁이 필요 없어진 시대’는 법화제도에서 한 발 더 나아가 거의 모든 금융통화장치를 디지털화 한데 힘입은 바가 큽니다. 개인적으로 이번 판데믹은 그 디지털화의 완성으로 새로운 ‘스탠다드’의 마중물을 만드는 게 아닌가 생각해 봅니다. 어떤 ‘본위’제로의 이행인지는 이미 언급한 것 같습니다. 그것이 사람들에게 유익한 것인지 그 반대의 것인지 말하기는 조심스럽습니다. 그러나 지금까지 길게 묘사했던, 금화본위제에서 법화제도로 바뀌면서 가능해 진 것들이 더 빠르고 광범위하게 수행될 수 있다는 것만은 분명합니다. 법화제도에서 직접영향을 받는 것은 국가나 기관단위로, 국민들에겐 간접적인 영향을 주는 체제라면 다음 번 스탠다드는 개인에게 바로 영향을 주는 체제인 것이지요. 우리에겐 어떤 미래가 기다리고 있을까요?

¶18 제가 지금 지내고 있는 동네엔 한 행정단위에 한국은행부산지점, 한국거래소, 재한유엔기념공원, 유엔평화기념관, 그리고 국립일제강제동원역사관이 모두 있습니다. 여긴 한국을 넘어 동북아 금융허브를 표방하는 이른바 금융거점으로의 육성이 예정된 곳이기도 합니다. 사람들은 잘 모르지만 개인적으론 위에서 언급한 중앙은행(한국은행)의 공개시장조작에서 ‘조작’의 매개가 되는 각종 증권들의 거래가 이루어지는 한국거래소를 현대금융의 핵심기관으로 보는데요, 바로 그곳도 서울이 아닌 제가 머무는 동네에 있습니다. 전쟁이 근현대 금융통화제도에서 어떤 의미인지도 위에서 언급했습니다. 한국전쟁과 그것의 수행주체인 UN의 활동을 기념하는 곳도 여기에 있습니다. 일본의 징용문제가 한일관계 분열수단이라고 했는데요, 국립일제강제동원역사관도 이곳에 있습니다. 금융이란 수단, 전쟁이란 수단, 이이제이의 수단이 공교롭게도 제가 지내는 곳에 모두 모여있는 셈이군요. 저는 단지 겨울의 추위를 피해, 주머니 사정을 고려해 이곳에 온 것뿐인데 말이지요. 제게는 이런 우연이 많이 일어납니다. 지금 글을 마치고 난 뒤 자전거를 타고 지나가게 될 숙소 인근의 해변이 일본 니가타를 바라보는 것도 비슷한 우연이라 생각하면 너무 억지스러울까요? 그럼 하느님의 평화를 빕니다.