ジグフリード

真実を愛する心

無題

2021-05-10 14:48:48 | Unknown Knowns

¶1 二週間ほど前、ある美しい女性が宿の近くの道路に立っていました。 ただきれいだという描写では物足りないし、気品のある顔でした。 落ち着いた黒のジャケットに、グレーベースの薄手のチェックのパンツをはいていましたね。 記憶に残る理由は、磁石がお互いに惹かれるように、わからない力に引かれたからです。

¶2 最近宿舎にいなかった友達が見えたので挨拶を交わしました。 私が住んでいるところはバングラデシュから来た方々が大多数で、ネパールの友達が一人いる、韓国人より外国人の方がもっと多いところです。 でも、ニューフェイスが南米国家から来たというから、本当に国際的な宿舎になったと思いました。 ところで、なぜ最近になって会話をするようになったのかわかりませんが、すでに2週間前に入ってきていたそうです。 そういえば、この人から二週間前に街からもらったあの妙な引力に似た感じがしたような気がします。


¶3 出生について本格的に調べ始めた時、強力な分析ツールがフェイスブックだったことは何度も言及されています。 「分かる人」フィードは、単に個人に対する情報だけでなく、その個人の集合として持つ属性や傾向に関する情報も与えます。 もちろん、それを有意義に縫い付けるのはフェイスブックではなく、私の役目ですが。 その中の一つが京畿道高陽市という地域です。 特定の都市を知ったことも重要ですが、分析の初期に、つまり私が何か気づいて実母探しに突入したという印象を与えてから、一番最初に、最も多くの流入があった都市であったというのが主要な部分でした。 携帯電話番号を作って持ち歩いた時代は、この地域からかかってきた怪電話も多かったです。 しかし当時は、その傾向の変数が私の出生なのか、そこで博士課程をしたためなのか不明でした。 二つの変数が互いに無関係ではないことを、その時は知らなかったからです。 しかし、高陽市と私の出生を結びつける手がかりと関連し、最も記憶に残るのは修士課程の時、大学図書館でアルバイトをしながら会った同僚とのエピソードだと思います。 その友達がいきなり高陽市のマスコットが猫だと言って、前後の脈絡もなく話を始めたことがありました。 なんであの話を僕にするのか 気になってたけど、ただ猫が好きだからかな考えてしまったんですが、今考えてみると私が修士課程を航空に関して始めて間もない頃でしたから、高陽市の話をした時の私の反応から、何かを探ろうとしたに違いありません。 まあ、私はだいたいこのような形で手がかりを得ています。 こんな記憶こそ、遡及して全体の絵に合わせて入る重要なパズルのピースになります。 自分から何かを知ろうとした行動が自分に情報をくれるなんて、人生がいつも奇妙な気がします。 類例は他にもあります。 先に述べたように、博士課程は高陽市にある大学でしたが、ある日、教授が同じようにいきなり私を自分の研究室に呼んでいました。 部屋のドアを開けて入ったら、高陽市役所の方が私を「スキャン」していたことを覚えています。 そしてもういいと言いながら出て行けと言ってましたね。 あっけないことだったが やはり貴重なパズルのピースになりましたね。 似たような手がかりを全部列挙することができないほどだと思います。 高陽市に選挙区を置く政治家と関連したエピソードもあるが、あまりにも深く入り込んでいるような気がして、ここで減らしておきましょう。 私がこのように分析の過程を一部でもあえて公開するのは、これまで人々が私に特別なソースがあると思っていることを何度も感じたからです。 そうではないということを見せる程度にします。

¶4 私は就学後、強制的にプロテスタント教会に通わせられました。 行きたくなくても毎週日曜日には教会に行かなければならなかったんです。 私を教会に行かせなければならなかった人は、その強制性そのものも手がかりになるということを知らなかったのですが。 小学校から中学校に移った時期に出会った聖書教理先生がいましたが、当時も似たような印象を受けましたが、振り返ってみると、何か特別な出会いだったような気がします。 フェイスブックに、いつか投稿した葉書もそうだし、その方の外見、私に対する態度、ここにすべて書くことのできない行動···。 全部頭に残って体が記憶するようになることですが、私が感じることほど、他の人は感じないことがあるようです。 だからできる行動だっただろうし、そのおかげで事後的にでも物語を描いてみることができるようになるでしょう。 聖書教理先生は授業時間にとても厳しかったそうです。 それで告白すると、実はその時先生が怖かったんです。 今はこんなに探しているが、その時はできるだけ避けようとした方だったのですから、このようなデコヒーレンスはどこにもないと思いました。 先生も私が自分を怖がっていることをご存知だったのか、それとも他の事情があったのかわかりませんが、先生との別れはある日突然訪れました。 ある日曜日、教会に行ったら、同僚の方から先生が他の所に行ったと知らせてくれましたが、それも外国に行かれたと言われました。 言い繕ったのか実際にそうだったのかはわかりませんが、まだ外国がどこなのか生々しく覚えています。 不慣れな台湾という国だったからです。 幼い頃私を知っていた人は、この文章を見るとあれを覚えているのかと思うようになります。 台湾がどう連結されるかは敢えて書く必要がないでしょう。 もうこの文を読む人たちが誰なのかも大体分かっていますから。

¶5 それで出生について調べなければならないという考えが成熟した時、調査の出発点が教会の聖書教理先生だったことは自然なことでした。 多くない歳に加え、足らない経験でしょうが、他人の言うこと、本に書かれた言葉よりも絶対に信じられることは、自ら経験したことしかないという小さな悟りのようなことも影響を及ぼしたのです。 先生の名前で検索されるFacebookアカウントの中に、私と関係のあると思われる方が何人かいました。 そのうちの一人は、英国の大学院に通っていた時に(偶然であるように)出会った全羅道出身の方と関連のある方と思っているのに、その話までしようとすれば話が長くなりますね。 もう一人いました。 この方の外見と最初の段落で言及した高陽市に住む、ある方の外見との類似性に注目していました。 複数の名前を使いている同一人、又は同じ名前を使う複数の人々、 兄弟姉妹や親子関係のように外見的類似性のある人々からその関係を選り分けるなど、裸眼で人の写真を見て、ある意味を見出す作業は決して容易ではありません。 すべてが見えるままの事実であっても難しい作業なのに、意図的に歪曲された情報を載せる場合もあるからです。 ですから、この作業を繰り返してみると最初は直感に依存していたのですが、自然と客観的な指標に目がいくようになります。 例えば人造人間を作るレベルの整形手術ではでなければ変えられない顔の各点を繋ぐ線の「比率」というか(実際に顔面認識システムに使われる原理です)、家族関係を少し知っていれば遺伝的に出てこない耳の形の人を排除するか、といった具合です。 私が注目したのは、二人が共に持っている右目側の傷跡のような影でした。 これが有効な識別子(identifier)なら、他の要素も当てはまるようになります。 高陽市にお住まいの方がフェイスブックで見せている敬虔なクリスチャンの姿、第一段落で描写した方との外見の類似性、何よりもこの方が私のフェイスブックを訪問したという点、その訪問時期、また重要には同時に訪問した姉妹関係と推定される同一性を使う方を分析して知った内容との強力な関連性まで。 最後に言及したのは含意が大きいが、これも私の明確な記憶によるものでした。 聖書の勉強当時、先生と同じ姓を使う別の先生がいましたが、その方は書類上双子になっている、私の弟が属したクラスを担当していました。 その方の名前を正確に覚えており、すでに前述のポスティングで言及した「航空」という枠での分析により、公衆に知られた有名な事件での具体的な時空間を把握している状態で、いわゆる「被納日本人」情報を通じて知られたある方との名前と時空間が一致したためでした。 これだけでも一次元的な疑問はかなり合理的に解消されましたね。 しかし、私が見逃していた最後のパズルのピースがありました。 いくら秘密の事に係わる出生でもこんなにまで当事者本人への情報接近が遮断され、抑圧され、私がどこで何をしてもどうして見えない手が私を統制しているのかということでした。 この疑問が増幅したのは、調査の過程で、他の出生の秘密を持ったインサイダたち(他に違う表現が浮かびません)は、生みの親と子の間で意思疎通があったように見えたからです。 これについては次の段落で迂回的に述べるようにしましょう。

¶6 2016年の夏ごろだったと思います。 私に悟りを与えることの様態はいつもそうであるように、いきなり友達から連絡が来て、思いもよらなかった華やかな食事の席を持ちました。 会った友達は皆、小中学校の時から故郷だと思っている大邱で一緒に学生時代を過ごしたやつらでした。 私は菜食を2012年半ばから始めたが、まるでタバコを止めて吸うことを繰り返すように、 菜食も途中で何度も諦めてから再開する浮き沈みを経験し、友達に会った当時は情熱的に菜食をまた始めた時期でした。 その直前に菜食を放棄した状態だったことを知っていたからか、友達は1回目の飲み会で大邱中心街の焼肉屋に私を誘いました。 もちろん、肉は手もつけずにご飯とお酒ばかり飲んでいましたが、その時、友達がまるで私が好きなように注文した「日本酒」が「純米」だったと記憶しています。 私はそんなに高いお酒を飲んだことがないですけどね。 ところが、1次会食の時全く席を共にできなかった友達が一人いたのですが、その友達が私たちと合流しに職場から出発するという連絡が来た時でした。 一緒に食事をしていた友達は慌てて席を移さなければならないと言って、その高い牛肉を残して合流する友達と行くことになる食堂に向かいました。 それがその時の集まりを特別に記憶に残るようにした始まりだったようです。 日常の集まりのように、ただ良い食べ物を一緒に食べながら、今まで話せなかったことを話し合う場ではなく、まるである目的を持って一糸乱れずに動く人のようでした。 実はその子達が自分のお金で私のために買ってくれそうなメニューでもなかったです。 移転した2次会の場所は妖精風の「和食レストラン」でした。 メインメニューが刺身であり、いわゆるつきだしが並んでいる日本食の定食屋でした。 菜食をしていた私としては2番目の苦役でした。 その日一番おいしく食べたものが、揚げたての天ぷらだと思います。 菜食を始めると、特に韓国や日本のような菜食の裾野が弱い所で食べたことのある方はご存知でしょうが、様々な反菜食主義的な経験をします。 その中には「君が食べずに耐えるのか見てみよう」という風の誘惑も含まれ、その日も似たような雰囲気でした。 質の良い牛肉や和食屋さんで食べる刺身は、非菜食人でも食べにくい肉ですからね。 また、食事で菜食の当為を否定する論理を聞くのはよくあることです。 一般的に倫理道徳的な面と科学的な面に分かれますが、その日は後者の話がありました。 お話した通り、ありふれたことなので特別なことではないのに、あの日の会話は記憶に残りますね。 ご存知のように生物の軟組織は大体C(炭素),H(水素),O(酸素),N(窒素)で構成されていますね。 これを根拠にした友達が野菜には「エヌがない」と言うのです。 激しい論争があったそれも、本当に自分の論理を押し付けるために必死になっている、そんな会話ではありませんでしたし、ただ淡々とした一言のやり取りで落ち着いた雰囲気でしたが、その時、その友達の言葉と妙な表情が忘れられません。 「窒素」がまるでタブー語だったようにですね:-) 前のポスティングで、あるありがたい方が一つの漢字で私の出生の本質を知らせてくださったと言いましたが、そこから触発されて調べたもう一つのトラックでの写真分析作業で先に述べた最後のパズルのピースを見つけることができました。友達が直接醤油を買ったことがなかったことに感謝しなければならないことでしょうか。:-) 私のような菜食人は成分表を見るのが癖なのでよく知っているのですが、醤油の包装紙には窒素含有量が表示されていて、しかもその含量によって醤油の等級が決まるので、友達が醤油を一度でも買ってみたらその話を聞くことはできなかったはずですから。

¶7 今知っていることを全然知らない昔から印象的な回想が浮かんだりしました。 その中の私は怖がりやですごく恥ずかしがりやでした。 ある場所について行ったのに、なぜそこに行ったのかわからず、途方に暮れています。 そんな私を黄色い系統の色のノースリーブワンピースを着た女の人が、小さな部屋に連れて行きます。 写真を撮りに来たと言っていました。 女は私を慰めます。 何かを握らせてくれた気がします。 いつか住んでいた場所に置かれていた、訳も分からないパンダグマの人形のような形をしています。 続いて、人々が入ってきて、女性に頼ったまま、やっと写真を撮りました。 回想はここまでです。 一度ずつ神秘的な夢を見ます。 その「ふしぎ」とは、寝る前に、まったく考えた事も、思い出す引き金になる関連性も無かった、それこそ突然登場する人や事件があるからなのです。 この回想もその通りです。 いわゆる既視感かとも思いましたが、たとえそうだとしても、いずれにせよ原因があるということは同じです。 大事なことはこの回想が何回も聞いたということです。 そして出生に関する探索を始めてからは、その回想が闇のトンネルを抜ける門の鍵になるかも知れないという漠然とした考えをしたりもしました。 私の出生に関してよく分かるような人が遺伝子検査をしてみなさいと強権したことがありました。 そのため、これは逆説的に造作された遺伝子検査が準備されているという意味でしょう。 分析過程で読んだ本の一つに、東京足立区のようなところには工作を専門にする病院もあったそうですね。 数十年前もそうだったので、現代にはもっと精巧に行われるようです。 昨年は不本意ながら新型コロナウイルスに関する文章をたくさん読んだり書いたりしたが、その時そのような感じをたくさん受けて、一部はここですべて明らかにできない事実もありました。 昨年1月にフェイスブックに、ある文章を書いた直後、私が住んでいた大邱で、ある宗教団体の集団感染を皮切りに、韓国での爆発的な感染事態が始まりました。 ただの偶然でしょう。 もっとも最近は時間的に隣接している二つの事件に対しては、その明白な隣接性にもかかわらず、その二つを因果関係として見ないのが流行のようです。 どうせ免責契約になっていますから、寝た子をつくる必要がないということでしょう。 まるで時間的進み(temporal precedence)そのものが自分の能力よりずっと自分の持つ富の蓄積に寄与したことが多いにもかかわらず、これを敢えて人々が知らん振りをするのと似ています。 今日は社会的弱者層のための映画館割引デイが帰ってきましたね。 内容はよくわかりませんが、タイトルだけ見て目立つ映画が1本ありますね。 「私が死ぬことを望む者たち」 まあ、これを見るかは分かりません。 名探偵コナンの方がもっと惹かれる気もします。 それでは、これで失礼。

 

最後のアップデート:2021.5.13.12:53@Suyeong-guOffice

韓日抄訳ツール: http://papago.naver.com

 

¶1 대략 2주 전 어떤 아름다운 여성분이 숙소 근처 도로에 서 계셨어요. 단지 예쁘다는 묘사로는 부족하고 기품이 있는 얼굴이었지요. 차분한 검은색 재킷에 회색바탕의 엷은 체크무늬 바지를 입으셨던걸로 기억합니다. 기억에 남는 이유는 자석이 서로 끌리듯 알 수 없는 힘에 끌렸기 때문이에요.

¶2 최근 숙소에 못보던 친구가 보이길래 인사를 나누었지요. 제가 사는 곳은 방글라데시에서 온 분들이 대다수고 네팔 친구가 한 명 있는, 한국인 보다 외국인이 더 많은 곳이에요. 그런데 뉴페이스가 남미 국가에서 왔다하니 참 국제적인 숙소가 되어간다 싶었지요. 그런데 왜 최근에야 대화를 나누게 된 건지는 모르겠지만 이미 2주 전에 들어와 있었다는군요. 그러고보니 이 친구에게선 2주 전 거리에서 받은 그 묘한 인력(引力)과 비슷한 느낌이 들었던 것 같아요.

¶3 출생에 대해 본격적으로 알아보기 시작했을 때 강력한 분석도구가 페이스북이었단 건 여러번 언급했었지요. '알 수도 있는 사람' 피드는 단순히 개인에 대한 정보 뿐 아니라 그 개인들의 집합으로서 가지는 속성이나 경향에 관한 정보도 줍니다. 물론 그걸 유의미하게 씨줄날줄로 꿰어 내는 건 페이스북이 아니라 제 몫이지만요. 그 중 하나가 경기도 고양시라는 지역이에요. 특정 도시를 안 것도 중요하지만 분석초기에, 그러니까 제가 뭔가 낌새를 채고 친모찾기에 돌입했다는 인상을 풍기고 나서 제일 먼저, 제일 많은 유입이 있었던 도시였다는 것이 주요한 대목이었지요. 휴대폰 번호를 만들어 가지고 다니던 때엔 이 지역에서 걸려온 괴전화도 많았고요. 하지만 당시엔 그 경향의 변수가 저의 출생인지 그곳에서 박사과정을 한 것 때문인지가 불분명 했었지요. 두 변수가 서로 무관한 것이 아님을 그 때는 몰랐으니까요. 하지만 고양시와 제 출생을 연결시켜 줄 단서와 관련해 가장 기억에 남는 건 석사과정 때 대학 도서관에서 아르바이트 하며 만난 동료와의 일화인 것 같아요. 그 친구가 뜬금 없이 고양시의 마스코트가 고양이라며 앞뒤 맥락없이 이야기를 시작한 적이 있었지요. 도대체 내게 왜 저 얘길 하는 걸까 싶었지만 그냥 고양이를 좋아하나보다 하고 말았는데, 지금 생각해 보면 제가 석사과정을 항공에 관해 시작하고 얼마 지나지 않았을 때였으니 고양시 얘기를 했을 때의 제 반응을 통해 뭔가 알아내고자 했던 것이 분명합니다. 뭐, 저야 대체로 이런 식으로 단서를 얻습니다. 이런 기억들이야 말로 소급해서 전체 그림에 맞춰 들어가는 중요한 퍼즐조각들이 되지요. 제게서 뭔가를 알아내려 한 행동들이 되려 제게 정보를 주는 것이 되니 인생사 늘 묘하다는 생각을 갖게됩니다. 비슷한 예가 또 있지요. 앞서 언급한 대로 박사과정은 고양시에 소재한 대학에서 했는데, 어느 날 교수 한 분이 마찬가지로 뜬금 없이 저를 자신의 연구실로 부르더군요. 방문을 열고 들어갔더니 고양시청에서 나오신 한 분이 저를 '스캔' 했던 기억이 납니다. 그리곤 됐다면서 나가보라고 하더군요. 어이 없는 일이었지만 역시 귀중한 퍼즐조각들이 되었네요. 비슷한 단서들은 전부 열거할 수 없을 정도인 것 같아요. 고양시에 지역구를 둔 정치인과 관련한 일화도 있고 한데 너무 깊게 들어가는 것 같아 여기서 줄이도록 하지요. 제가 이렇게 분석의 과정을 일부라도 굳이 공개하는 것은 그간 사람들이 제게 특별한 소스가 있다고 생각하는 것을 여러번 느꼈기 때문이에요. 그렇지 않다는 것을 보이는 정도만 하겠습니다.

¶4 저는 취학 후 강제로 개신교 교회에 다녀야 했습니다. 가기 싫어도 매주 일요일엔 교회에 가야만 했었지요. 저를 교회에 보내야 했던 사람(들)은 그 강제성 자체도 단서가 된다는 걸 몰랐겠지만요. 중학생으로 넘어 가던 시기에 만났던 성경공부 선생님이 계셨는데, 당시에도 비슷한 느낌을 받았지만, 돌이켜 보면 조금 특별한 만남이었단 생각이 듭니다. 페이스북에 언젠가 올린 적 있던 그 분께 받은 엽서도 그렇고, 그 분의 외모, 저를 대하던 태도, 여기에 다 적을 수 없는 행동들... 전부 머리에 남고 몸이 기억하게 되는 것들인데 제가 느끼는 것 만큼은 다른 사람들은 못 느끼는 것들이 있는 것 같아요. 그러니까 할 수 있는 행동들이었을테고, 그 덕분에 사후적으로라도 이야기를 그려볼 수 있게 되는 것이겠지요. 성경공부 선생님은 수업시간에 굉장히 엄하셨더랬어요. 그래서 고백컨데, 사실 그 때는 선생님이 무서웠더랬어요. 지금은 그토록 찾고있지만 그 때는 가급적 피하려 했던 분이었으니 어디 이런 결어긋남이 있나 싶습니다. 선생님도 제가 자신을 무서워하는걸 아셨는지, 아님 다른 사정이 있었는지 모르겠지만, 선생님과의 이별은 어느 날 갑작스럽게 찾아왔었어요. 어느 일요일 교회에가니 동료분께서 선생님이 떠나셨다고 알려주셨는데, 그것도 외국으로 가셨다고 했지요. 둘러댄 건지 실제로 그랬던 것인지는 모르겠습니다만, 아직도 그 외국이 어디인지 생생히 기억합니다. 생소했던 대만이라는 나라였기 때문이었어요. 어릴 때 저를 알던 사람이 이 글을 보면 저런 것도 기억하고 있느냐 생각할 것 같습니다. 대만이 어떻게 연결되는지는 굳이 적을 필요 없겠지요. 이젠 이 글을 읽는 사람들이 누군지도 대충 알고 있으니까요.

¶5 그래서 출생에 대해 알아봐야겠다는 생각이 성숙했을 때 조사의 출발점이 교회 성경공부 선생님이었던 건 자연스러운 것이었지요. 많지 않은 나이에다 보잘 것 없는 경험이겠지만, 남이 하는 말, 책에 쓰인 말 보다 절대적으로 믿을 수 있는 건 스스로 경험한 것 밖에 없다는 조그만 깨달음같은 것도 영향을 미쳤고요. 선생님 이름으로 검색되는 페이스북 계정 중에서 저와 연관이 있는 것으로 보이는 몇 분이 계셨지요. 그 중 한 분은 영국에서 대학원을 다닐 때 (우연인 것처럼) 만난 전라도 출신의 어떤 분과 관련이 있는 분으로 정리하고 있는데 그 얘기까지 하려면 너무 길어지겠군요. 또 다른 한 분이 있었습니다. 이 분의 외모와 첫 단락에서 언급했던 고양시에 사는 어떤 분 외모와의 유사성에 주목했었지요. 다른 이름을 쓰는 동일한 사람, 또는 같은 이름의 다른 사람, 형제자매나 부모 자식 관계처럼 외모적 유사성이 있는 사람들에서 그 관계를 가려내는 등 맨눈으로 사람의 사진을 보고 어떤 의미를 찾아내는 작업은 결코 만만치 않습니다. 모든 게 보이는 그대로의 사실이어도 어려운 작업인데, 의도적으로 왜곡된 정보를 올려 놓는 경우도 있기 때문입니다. 그래서 이 작업을 반복하다보면 처음엔 직감에 의존하다가 자연스레 객관적인 지표에 더 눈이가게됩니다. 이를 테면 인조인간을 만드는 수준의 성형수술이 아닌 다음에야 바꿀 수 없는 얼굴 각 지점을 이은 선들의 '비율'이랄지(실제로 안면인식시스템에 쓰이는 원리입니다), 가족관계를 조금 알고 있다면 유전적으로 나올 수 없는 귀의 모양을 가진 사람을 배제한다든지 하는 식으로 말입니다. 제가 눈여겨 본 건 두 분이 공통적으로 가지고 있는 오른쪽 눈가의 흉터 같은 그림자였지요. 이게 유효한 식별자(identifier)라면 다른 요소들도 맞아들어갑니다. 고양시에 사시는 분이 페이스북에서 드러내고 있는 독실한 기독교인의 모습, 첫단락에서 묘사했던 분과의 외모유사성, 무엇보다도 이 분이 제 페이스북을 방문했다는 점, 그 방문 시기, 또 주요하게는 동시에 방문했던 자매관계로 추정되는 동일 성을 쓰는 분을 분석해서 알게 된 내용과의 강력한 연관성까지. 마지막에 언급한 것은 함의가 큰데, 이것도 저의 분명한 기억에 힘입은 바 큰 것이었죠. 성경공부 당시 선생님과 같은 성을 쓰는 또 다른 선생님이 계셨는데 그 분은 서류상 쌍둥이로 되어 있는 제 동생이 속한 클라스를 맡으셨더랬습니다. 그 분의 이름을 정확히 기억하고 있었고, 이미 앞선 포스팅에서 언급했던 '항공'이란 틀에서의 분석을 통해 공중에 알려진 유명한 사건에서의 구체적인 시공간을 파악하고 있는 상태에서, 이른바 "피납일본인" 정보를 통해 알려진 어떤 분과의 이름과 시공간이 맞아 들어갔기 때문이었지요. 이 정도만 해도 일차원적인 궁금증은 꽤 합리적으로 해소가 된 것이었지요. 그러나 제가 놓치고 있던 마지막 퍼즐조각이 있었습니다. 아무리 어떤 비밀스러운 일에 연결된 출생일지라도 이렇게까지 당사자 본인으로의 정보접근이 차단되고, 억압되고, 심지어 제가 어디서 무얼해도 왜 보이지 않는 손이 통제하고 있는 가 하는 것이었지요. 이런 의문이 증폭된 건 조사과정에서 다른 비밀스런 출생을 가진 내부자(다른 적당한 표현이 생각나지 않습니다)들은 친부모와 자식들간에 소통이 있는 것 처럼 보였기 때문이었습니다. 여기에 대해선 다음 단락에서 우회적으로나마 얘기해 보지요. 

¶6 2016년 여름 즈음이었을겁니다. 제게 깨달음을 주는 일들의 양태는 언제나 시작이 그렇듯, 뜬금 없이 친구에게서 연락이 와 생각지 못했던 화려한 식사자리를 가지게 되었더랬죠. 만났던 친구들은 모두 초중학교 때부터 고향으로 알고 있는 대구에서 같이 학창시절을 보낸 녀석들이고요. 저는 채식을 2012년 중반부터 시작했는데, 마치 담배를 끊었다 다시 피우길 반복하듯 채식도 중간에 몇 번을 포기했다 재개하는 부침을 겪었고, 친구를 만날 당시엔 다시 열정적으로 채식을 재개하던 시기였습니다. 그 직전에 채식 포기상태였던 걸 알아서 그랬던 것이었을까요, 친구들은 1차 회식으로 대구 중심가의 '일식' 소고기 집(야키니꾸)으로 저를 인도했습니다. 물론 고기는 손도 안 대고 밥과 술만 마셨는데, 그 때 친구가 마치 제가 좋아할 것 처럼 주문한 '일본술'(니혼슈)이 "쥰마이"였던 것으로 기억합니다. 저는 그런 비싼 술을 마셔본 적이 없는데 말이지요. 그런데 1차 회식 때 미처 자리를 같이 하지 못한 친구가 하나 있었는데요, 그 친구가 우리와 합류하러 일터에서 출발한다는 연락이 왔을 때였습니다. 같이 밥을 먹던 친구들은 황급히 자리를 옮겨야 된다면서 그 비싼 소고기를 다 남기고 합류할 친구와 가게될 식당으로 향했지요. 그게 그 때의 모임을 특별히 기억에 남도록 만든 시작이었던 같습니다. 일상의 모임처럼 그저 좋은 음식을 함께먹으며 그간 못나눈 얘기를 나누는 그런 자리가 아니라 마치 어떤 목적을 가지고 일사분란하게 움직이는 사람들 같았지요. 사실 그 친구들이 자신의 돈으로 저를 위해 사줄법한 메뉴들도 아니었고요. 옮겨간 2차 회식장소는 요정 느낌의 '일식집'이었습니다. 주 메뉴가 생선회(사시미)이고 이른바 쯔키다시가 즐비한 일식 정찬집이었지요. 채식하던 저로선 두 번째 고역이었지요. 그날 제일 맛있게 먹었던 것이 갓 튀겨져 나온 야채튀김(덴뿌라)이었던 것 같습니다. 채식을 시작하면, 특히 한국이나 일본같이 채식 저변이 약한 곳에서 해 보신 분들은 아시겠지만 별에 별일을 다 겪습니다. 그 중엔 '니가 안 먹고 베기나 보자' 식의 유혹도 포함되는데 그 날도 비슷한 분위기였더랬지요. 질 좋은 소고기나 일식집에서 먹는 생선회는 비채식인도 평소에 먹기 힘든 고기니까요. 또 식사자리에서 채식의 당위를 부정하기 위한 논리를 듣는 건 흔한일입니다. 보통 윤리도덕적인 면과 과학적인 면으로 나뉘는데, 그 날은 후자쪽의 이야기가 있었고요. 말씀드린데로, 흔하디 흔한 일이라 특별한 일은 아닌데 그날의 대화는 기억에 남는군요. 다들 아시다시피 생물의 연조직은 대게 C(탄소), H(수소), O(산소), N(질소)로 구성되어 있지요. 이걸 근거로 한 친구가 야채(식물)에는 "N이 없다"고 하더군요. 격렬한 논쟁이 있었다거나 진실로 자신의 논리를 주입시키기 위해 안간힘을 쓰는 그런 대화는 전혀 아니었고 그저 담담한 몇마디만 오갔던 차분한 분위기였는데, 그 때 그 친구의 말과 묘한 표정이 있혀지지가 않는군요. "질소"가 마치 금기어였던 것 처럼 말이지요:-) 앞선 포스팅에서 어떤 고마운 분이 한 개의 한자로 제 출생의 본질을 알려주셨다고 했는데요, 거기서 촉발돼 알아본 또 다른 트랙에서의 사진분석작업으로 앞서 언급한 마지막 퍼즐 조각을 찾을 수 있었더랬지요. 친구가 직접 간장을 사 본적이 없었음에 감사해야 할 일일까요? :-) 저 같은 채식인들은 성분표 보는 일이 습관이라 잘 아는 것인데, 간장의 포장지엔 질소 함유량이 표시되어 있고, 심지어 그 함량에 따라 간장 등급이 결정되는 것이어서 친구가 간장을 한 번이라도 직접 사봤다면 그 얘기를 들을 수 없었을테니 말입니다.

¶7 지금 알고 있는 것을 전혀 모르던 옛날부터 인상적인 회상이 들곤 했습니다. 그 속의 저는 겁과 수줍음이 많은 아이였고요. 어떤 장소에 따라 갔었는데 거기 왜 간 건지 모르고 어쩔줄 몰라 하고 있습니다. 그런 저를 노란계통의 색깔로 된 민소매 원피스를 입은 여인께서 조그만 방으로 데리고 갑니다. 사진을 찍으러 왔다고 했습니다. 여인은 저를 달랩니다. 무언가를 쥐어 준 것 같습니다. 언젠가 지내던 곳에 뜬금 없이 놓여 있던 영문 모를 판다곰 인형처럼 생겼습니다. 뒤이어 사람들이 들어왔고, 여인에 의지한 채 겨우 사진을 찍었습니다. 회상은 여기까집니다. 한 번씩 신비로운 꿈을 꿉니다. 그 '신비함'이란 자기 전에 전혀 생각해 본 적도, 떠올려볼 방아쇠가 되어줄 연관된 일도 없었던, 그야 말로 난데 없이 등장하는 사람이나 사건이 있기 때문입니다. 이 회상도 그와 같은 종류의 것입니다. 이른바 기시감인가도 생각해 봤지만 설사 그렇다 한들 어쨌든 원인이 있다는 건 마찬가지입니다. 중요한 건 이 회상이 여러 번 들었다는 것이겠지요. 그리고 출생에 관한 탐색을 시작한 후엔 그 회상이 어둠의 터널을 빠져나올 문의 열쇠가 되어 줄 수 있다는 막연한 생각을 해보기도 했습니다. 저의 출생에 관해 가장 잘 알법한 사람이 유전자 검사를 해 보라고 강권한 적이 있었지요. 따라서 이건 역설적으로 조작된 유전자검사가 준비되어 있다는 뜻일겁니다. 분석과정에서 읽은 책 중의 하나에선 동경 아다치구 같은 곳엔 공작을 전담하는 병원도 있었다더군요. 몇 십년 전에도 그랬는데 현대에는 더 정교하게 이루어질 것 같습니다. 작년엔 본의 아니게 신형코로나바이러스에 관한 글을 많이 읽기도, 쓰기도 하곤 했었는데 그 때 그러한 느낌을 많이 받았고, 일부는 여기서 다 밝힐 수 없는 사실도 있었지요. 작년 1월에 페이스북에 어떤 글을 쓰고 난 직후 제가 지내던 대구에서 어떤 종교단체의 집단감염을 시작으로 한국에서의 폭발적인 감염사태가 시작되었습니다. 그저 우연이겠지요? 하긴 요즘은 시간적으로 인접한 일에 대해선 그 명백함에도 불구하고 인과관계로 보지 않는 것이 유행인 것처럼 보입니다. 어차피 면책계약이 되어 있으니 긁어 부스럼 만들어 뭐하겠냐는 것이겠지요. 마치 시간적 선재성(temporal precedence)그 자체가 자신의 능력보다 훨씬 더 자신이 가진 부의 축적에 기여한 것이 많음에도 이를 애써 사람들이 모른척 하는 것과 비슷합니다. 오늘 또 취약계층을 위한 영화관 할인데이가 돌아왔군요. 내용은 잘 모르겠고, 제목만 봤을 때 눈에 띄는 영화가 한 편 있네요. "내가 죽기를 바라는 자들". 뭐, 이걸 볼지는 모르겠습니다. 명탐정 코난 쪽이 좀 더 땡기는 것 같기도 하고요. 그럼 이만.

 

마지막업데이트:2021.5.13.12:53@수영구청

한일초벌번역툴: http://papago.naver.com