徒然なるままに

日々のことを綴ります。

「行かないで」〜玉置浩二

2024-02-24 23:05:00 | 音楽
TVドラマ「さよなら李香蘭

 これは観たよ〜🤗

▣1989年、フジテレビ開局30周年記念番組として製作され、視聴率は前編が22.9%、後編が25.5% (ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した。
▣主演:沢口靖子

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「山口淑子」という名を知っている人も今では少なくなったかもしれないが、歌手・女優として国際的に活躍した後、政治家に転身して参議院議員を3期務めた昭和の有名人である。昭和初期から終戦までは、「李香蘭」という名の満州・中国を代表する大スターであったが、戦乱の世に飲み込まれて数奇な運命をたどった。そんな彼女の人生をドラマ化したのが、1982年にフジテレビ系で放送された「さよなら李香蘭」だ。

 物語は、戦前から戦中にかけて女優・歌手として活躍し、「白蘭の歌」「支那の夜」「夜来香」など数々のヒットを飛ばした李香蘭が、日本人であるにもかかわらず、日中両国の暗い時代の狭間に立たされるという激動の人生を描いていく。13歳の淑子は父・文雄(平幹次郎)の友人の養女となり、李香蘭と名付けられた。当時の山口家の周りには亡命ロシア人家族がいて、香蘭は親友のリューバチカの父親の紹介で歌の勉強を始め、中国人歌手として奉天放送局に出演するようになり、スターへの道を歩み始める...。
(スカパー!より転載)
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【さよなら李香蘭のエピソード】
中国ロケの終盤、中国政府側から安全保障が困難との理由で撮影の中止を求められる。それに従い、予定していた撮影の一部をとりやめ、ロケ終了ということにして緊急に帰国した。直後、天安門事件が起こった。
(Wikipediaより引用)


山口淑子(李香蘭)

▣エンディング・テーマ曲
「行かないで」〜玉置浩二
 作詞:松井五郎 作曲:玉置浩二


宝塚歌劇団

2024-02-24 13:36:00 | 日記

ご遺族代理人との2024年1月24日のお話し合いについて(2024年2月1日) | ニュース | 宝塚歌劇公式ホームページ

このたびの宝塚歌劇団宙組生の急逝を受け、ご遺族の皆様には心よりお詫び申し上げます。2024年1月24日にご報告しましたとおり、同日、当方代理人を通じて、今回の件に関する...

宝塚歌劇公式ホームページ


何か空々しい文面やな🤬

引き続き誠意をもって

って、今まで誠意があったとは感じられへんけど?

死亡の劇団員へのパワハラ、宝塚歌劇団側が認める…遺族とは一部見解の相違も

【読売新聞】 宝塚歌劇団の 宙 ( そら ) 組に所属する女性(25)が死亡した問題で、歌劇団側が、パワーハラスメントがあったことを認め、遺族側に伝えていたことが、関...

読売新聞オンライン


関係者によると、歌劇団側は、上級生らへの聞き取りなどを進めた結果、15件のうち一部について、行き過ぎた言動があり、パワハラにあたると判断。遺族側にその見解を伝えたという。一方で、他の行為について、遺族側と見解の違いがあるといい、協議を続けていくという。
(記事より引用)

警察、学校とかもそうやけど、純粋培養された外の世界を知らん者たちだけの組織はあかんね。

亡くなった女性の「夢」や「希望」が無残に踏みにじられたままでは済ませられへんよ。
上級生から額にヘアアイロン「わざとな気がする」…宝塚歌劇団員は母に「今までありがとう」とLINE

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【読売新聞】 宝塚歌劇団の 宙 ( そら ) 組に所属する女性(25)が死亡した問題で、遺族側代理人の川人博弁護士らが7日、歌劇団側に提出した意見書の内容を明らかにし...

読売新聞オンライン



「夜来香(イエライシャン)」〜山口淑子(李香蘭)

2024-02-24 08:25:00 | 音楽
「夜来香(イエライシャン)」
 〜山口淑子(李香蘭)
 *1958年、山口淑子(李香蘭)映画界
  20周年・引退記念



李香蘭(山口淑子)
◇ 本名:大鷹淑子(旧姓:山口)
◇ 生年月日:大正9年2月12日
◇ 出身地:満州・奉天

 女学校時代にその美貌北京語が認められて女優の道を歩みだし、昭和13年に日本人ながら中国人の女優

李香蘭

としてデビュー。映画『白蘭の歌』『支那の夜』などに出演し、日本でも爆発的なヒットとなった。また、歌手としても「夜来香」「何日君再来」、「紅い睡蓮」などをヒットさせた。
終戦後、日本に協力した中国人=漢奸として死刑になるところだったが、日本人である事が証明されて追放刑となり、難を逃れた。
 昭和21年に帰国し、名を本名の山口淑子と改めて『わが生涯の輝ける日』『暁の脱走』などの映画に主演。昭和23年にはレコード界にも復帰し、このビクター時代には日本語詩による「夜来香」をヒットさせるなど活躍したが、昭和33年の結婚を機に女優業を引退。
 その後、昭和44年にはワイド・ショーのホスト役として芸能界にカムバック。49年には自民党から参議院議員選挙に出馬し初当選。平成4年に引退するまで3期18年務め、環境政務次官などを歴任。平成5年には、勲二等宝冠章を受章した。
平成26年9月7日、94歳で死去。
(日本コロンビアのサイトより引用)

 激動の人生を歩んだ女性やな🤔