熊本市北区植木町(うえきまち)の田原坂は、西南戦争で最大の激戦地です。地元の「西南戦争田原坂顕彰会(けんしょうかい)」は、ここでの戦闘が終結した3月20日ごろに毎年、追悼式を開いています。
きょう(3月20日)の追悼式では、会場の田原坂公園に、遺族など約200人が訪れて、犠牲になった政府軍と薩摩軍の兵士などの霊を慰めました。
(記事より引用)
-----
何か、泣けるなー😭
西郷どん、兵隊さん、おやっとさぁ…。
-----
司馬遼太郎は、罪作りやな、と二十代半ばに思った。
「竜馬がゆく」
「翔ぶが如く」
「菜の花の沖」
「峠」
「花神」
…等々
十代半ばからハマってひたすら読み倒した。
でも、それは「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観。
影響されたこと、この上ないが…😱
しかし、
気付いて良かった。(二十代半ばに)🥺
フィクションだってことを😔
でも、読み物としては好きやけどね🙋
激戦地で今でも鉄砲の玉が
出土するんですよ〜
しかも、玉と玉が空中でぶつかった玉が
沢山発見されるから
凄い激戦地だったんでしょうね
田原坂近くの正念寺が
官軍の救護所になってましたが
西郷軍、政府軍の分け隔てせずに
負傷兵を看護して
日赤発祥の地だと言われいて
本堂は当時の建物とは違うけど
山門は同時の建物で
生々しい弾痕が残ってます。
境内の銀杏は樹齢400年を
超えると言われてますから
この銀杏の木は同時の悲惨な
状況を見てるんですね。