毎日書きたいことがいっぱいあるが、ついついプライバシーに関ってくることを思うと、躊躇して、今日に至ってしまった。
昨年、開業すぐの人から、義理でマッサージを受け、体調を崩し、全身筋肉痛で、あちこち病院へ行ったが、良くならなかった。
最後には、一切の痛み止めや薬をやめ、腹をくくって、ネットで探した、5種類の体操を、毎日することで、回復してきた。
9カ月かかった。
長男夫婦が、ハワイで、一歳のこどもを連れた結婚式を上げることになった。
私達両親に、特に父親に来て欲しかったが、80歳の夫は、「もう行けない」と言う。
何度も「行きましょうよ」と進めたが、「行けない」の一点張り。
ゴルフはするし、たいへんな作業も好きでやったりしているにも関わらず、「若いものに合わせては行けない。命を縮める」だ。
その代りの経済的支援は少しすることになった。
クリスチャンである私は、長男夫婦がハワイのチャペルで結婚式を挙げると言うことは、たいへん嬉しいことだし、
ぜひ出席したいと言う思いが、続く。
「あなたと9歳も違う私は、ぜひ出席したいから、行くよ。」と夫に言って、長男にも了承を得て、
長男夫婦や相手方の両親に迷惑を掛からないように、全て自分で旅行を整えた。
こんなことは、お手の物。
アメリカ滞在にはESTAと言う手続きがいる。
オーストラリアのETASやアメリカのも4年前にも手続きしたことがあった。
しかし、最近はネットで、商売をする人が多く、沢山の手続きの為のサイトが出来ていた。
ロゴマークを見て、アメリカ政府と同じだと思ったので、手続きをし終わって、カード番号を入れて、初めて気付いたのが80ドルの請求額。
「しまった!」と思ったので、急いで、キャンセルの英語のメールを出し、24時間待って、幸いにキャンセルできた。
今度は間違わないように、アメリカ政府のサイトかどうかをよく確認して、結局14ドルだけで手続きはできた。
旅行もDeNAで予約し24日から26日まで息子夫婦と相方の両親と一緒の時を過ごした。ホテルは別だけれど。
27日からは一人旅。
29日に帰国。
東京で二泊し、Y市の義理の姉を見舞い、7月1日、帰りは新幹線で、H市、K市に降り、親族に会い、
気にかかることを皆済ませた。
羽田からハワイアンエアーラインを利用したので、往路はオアフへ直接、復路はコナ市で一泊した。
なかなかコナ市には飛べないので、一人、よい観光の時を楽しんだ。
付け足しの様な一日と思っていたが、期待以上の観光ができ、ハラハラの一泊とその明くる日を楽しんだ。
満足の結婚式と、旅行を楽しんだが、
帰宅途中、実兄の死の知らせを受けた。
その後の通夜、葬儀を済ませた。
そして、長男からは、「今後、良い関係を持ちながら付き合っていきたいので」と言う長い意見書のメールを受け取り、
挙句の果てに、嫁からも意見書のようなメールが来た。
71歳の私自身はめちゃくちゃ刺激のある楽しい旅だったと満足していたのに、こんなことで、一気に夢から覚めた。
楽しいと思っていたのが、「相手にとっては不愉快なことがあった」とはと思うと、申し訳ないような、悲しい気持ちになった。
取り返しはつかない。
しかし、お互い言いたい事も言い合って、理解を深め、これからは{S父さん、R母さん」と言うことにし、
わたしを「お婆ちゃん」と、夫は「お爺ちゃん」と言う身分で呼び、長男夫婦の生活に深入りしないこと決めた。
と言っても、相手は東京での生活。私たちはこの町での生活なのだが。
あんな、こんなで毎日が過ぎて行っているが、何のわだかまりや、思いはない。
自分の良い人生を最後まで、楽しんで、乗り越えて行くことが、私のやるべきこと。
シルバー大学で、また中国語の初級から学び始めた。
宿題でもやっておこう。
今日も皆さんにとって良い一日でありますように。
昨年、開業すぐの人から、義理でマッサージを受け、体調を崩し、全身筋肉痛で、あちこち病院へ行ったが、良くならなかった。
最後には、一切の痛み止めや薬をやめ、腹をくくって、ネットで探した、5種類の体操を、毎日することで、回復してきた。
9カ月かかった。
長男夫婦が、ハワイで、一歳のこどもを連れた結婚式を上げることになった。
私達両親に、特に父親に来て欲しかったが、80歳の夫は、「もう行けない」と言う。
何度も「行きましょうよ」と進めたが、「行けない」の一点張り。
ゴルフはするし、たいへんな作業も好きでやったりしているにも関わらず、「若いものに合わせては行けない。命を縮める」だ。
その代りの経済的支援は少しすることになった。
クリスチャンである私は、長男夫婦がハワイのチャペルで結婚式を挙げると言うことは、たいへん嬉しいことだし、
ぜひ出席したいと言う思いが、続く。
「あなたと9歳も違う私は、ぜひ出席したいから、行くよ。」と夫に言って、長男にも了承を得て、
長男夫婦や相手方の両親に迷惑を掛からないように、全て自分で旅行を整えた。
こんなことは、お手の物。
アメリカ滞在にはESTAと言う手続きがいる。
オーストラリアのETASやアメリカのも4年前にも手続きしたことがあった。
しかし、最近はネットで、商売をする人が多く、沢山の手続きの為のサイトが出来ていた。
ロゴマークを見て、アメリカ政府と同じだと思ったので、手続きをし終わって、カード番号を入れて、初めて気付いたのが80ドルの請求額。
「しまった!」と思ったので、急いで、キャンセルの英語のメールを出し、24時間待って、幸いにキャンセルできた。
今度は間違わないように、アメリカ政府のサイトかどうかをよく確認して、結局14ドルだけで手続きはできた。
旅行もDeNAで予約し24日から26日まで息子夫婦と相方の両親と一緒の時を過ごした。ホテルは別だけれど。
27日からは一人旅。
29日に帰国。
東京で二泊し、Y市の義理の姉を見舞い、7月1日、帰りは新幹線で、H市、K市に降り、親族に会い、
気にかかることを皆済ませた。
羽田からハワイアンエアーラインを利用したので、往路はオアフへ直接、復路はコナ市で一泊した。
なかなかコナ市には飛べないので、一人、よい観光の時を楽しんだ。
付け足しの様な一日と思っていたが、期待以上の観光ができ、ハラハラの一泊とその明くる日を楽しんだ。
満足の結婚式と、旅行を楽しんだが、
帰宅途中、実兄の死の知らせを受けた。
その後の通夜、葬儀を済ませた。
そして、長男からは、「今後、良い関係を持ちながら付き合っていきたいので」と言う長い意見書のメールを受け取り、
挙句の果てに、嫁からも意見書のようなメールが来た。
71歳の私自身はめちゃくちゃ刺激のある楽しい旅だったと満足していたのに、こんなことで、一気に夢から覚めた。
楽しいと思っていたのが、「相手にとっては不愉快なことがあった」とはと思うと、申し訳ないような、悲しい気持ちになった。
取り返しはつかない。
しかし、お互い言いたい事も言い合って、理解を深め、これからは{S父さん、R母さん」と言うことにし、
わたしを「お婆ちゃん」と、夫は「お爺ちゃん」と言う身分で呼び、長男夫婦の生活に深入りしないこと決めた。
と言っても、相手は東京での生活。私たちはこの町での生活なのだが。
あんな、こんなで毎日が過ぎて行っているが、何のわだかまりや、思いはない。
自分の良い人生を最後まで、楽しんで、乗り越えて行くことが、私のやるべきこと。
シルバー大学で、また中国語の初級から学び始めた。
宿題でもやっておこう。
今日も皆さんにとって良い一日でありますように。
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