「ああ、この人にはかなわないなぁ」
半ば畏れにも似た思いを抱かずにはいられない人がいます。
その人は村瀬明道尼。
大正13年生まれで、9人兄妹の真ん中に生まれて9歳の誕生日に
京都の臨済宗大徳寺派の高源寺へ。
出家がどんなものであるか、まだ理解できない年頃に剃髪して
尼として生きることが、どんなものであるか。
正直、私には想像できません。
30歳を過ぎた頃、彼女はひとりの老師様に恋をします。
20歳以上年が離れた僧侶は、それは素敵なはずです。
仏に仕え、日々修行し、澄んだ水のようでありながら
底をのぞくことが出来ないほどに深い泉のようであり。
老師様が病に倒れたことで2人は会うことも無くなり。
「尼僧が戒律を破って恋をすると、死に値する制裁が下る」
その罪の意識と怖れに苛まれて日々を過ごす明道尼は
交通事故に遭い、右半身が不自由に。
でも.....
老師様の病、明道尼の交通事故は制裁だったのでしょうか?
恋する気持ち。
これを煩悩と考えることもありますが、恋心も世に存在する
様々な欲や願いも、それはすべて人が生きる力になるものです。
それを超越することこそ仏門に入ることなのでしょうね。
60年の歳月が過ぎて。
明道尼は禅宗の尼寺・月心寺の庵主として訪れる人たちに
法話を行なったり、心づくしの精進料理をふるまっています。
季節の旬をふんだんに盛りこみ、ごま豆腐、白和え、汁ものなどと
あわせて11種類余。
これらは禅宗に伝わる料理で「斎膳(ときぜん)」と呼ばれるそうです。
月心寺の住所はこちら
〒520-0062滋賀県大津市大谷町27
交通JR東海道線大津駅下車。バス10分
波乱の人生を送ったからこそなのでしょう。
明道尼の言葉には底知れない強さと温かさがあります。
「人間はひとりで生まれて、ひとりで死ぬ」
「恋は命懸け。そうでない恋はまがい物でしかない」
「愛する人と苦労を分かち合うなどとんでもない。苦労は
自分ひとりで背負うべきもの」
目からウロコです。ウロコ、ウロコ、ウロコ
ウロコの雨
カンタンに恋を口にしてきたけれど、ただときめくための
楽しいばかりのものを恋と思い込んでいなかった?
命懸けになれないなら、それはまがい物。
だとすると私は未だ本物の恋をしていないのかもしれない。
優しくて包容力がある男性。とっても惹かれるけれど
自分が甘えてばかりでは、それは恋でも愛でもないですよね
今日は久々に写経をしようと思います。
自分に喝を入れなきゃ
半ば畏れにも似た思いを抱かずにはいられない人がいます。
その人は村瀬明道尼。
大正13年生まれで、9人兄妹の真ん中に生まれて9歳の誕生日に
京都の臨済宗大徳寺派の高源寺へ。
出家がどんなものであるか、まだ理解できない年頃に剃髪して
尼として生きることが、どんなものであるか。
正直、私には想像できません。
30歳を過ぎた頃、彼女はひとりの老師様に恋をします。
20歳以上年が離れた僧侶は、それは素敵なはずです。
仏に仕え、日々修行し、澄んだ水のようでありながら
底をのぞくことが出来ないほどに深い泉のようであり。
老師様が病に倒れたことで2人は会うことも無くなり。
「尼僧が戒律を破って恋をすると、死に値する制裁が下る」
その罪の意識と怖れに苛まれて日々を過ごす明道尼は
交通事故に遭い、右半身が不自由に。
でも.....
老師様の病、明道尼の交通事故は制裁だったのでしょうか?
恋する気持ち。
これを煩悩と考えることもありますが、恋心も世に存在する
様々な欲や願いも、それはすべて人が生きる力になるものです。
それを超越することこそ仏門に入ることなのでしょうね。
60年の歳月が過ぎて。
明道尼は禅宗の尼寺・月心寺の庵主として訪れる人たちに
法話を行なったり、心づくしの精進料理をふるまっています。
季節の旬をふんだんに盛りこみ、ごま豆腐、白和え、汁ものなどと
あわせて11種類余。
これらは禅宗に伝わる料理で「斎膳(ときぜん)」と呼ばれるそうです。
月心寺の住所はこちら
〒520-0062滋賀県大津市大谷町27
交通JR東海道線大津駅下車。バス10分
波乱の人生を送ったからこそなのでしょう。
明道尼の言葉には底知れない強さと温かさがあります。
「人間はひとりで生まれて、ひとりで死ぬ」
「恋は命懸け。そうでない恋はまがい物でしかない」
「愛する人と苦労を分かち合うなどとんでもない。苦労は
自分ひとりで背負うべきもの」
目からウロコです。ウロコ、ウロコ、ウロコ
ウロコの雨
カンタンに恋を口にしてきたけれど、ただときめくための
楽しいばかりのものを恋と思い込んでいなかった?
命懸けになれないなら、それはまがい物。
だとすると私は未だ本物の恋をしていないのかもしれない。
優しくて包容力がある男性。とっても惹かれるけれど
自分が甘えてばかりでは、それは恋でも愛でもないですよね
今日は久々に写経をしようと思います。
自分に喝を入れなきゃ