お盆も近いので、菩提寺である瑞祥庵へ行ってきました。
実はこのお寺には、日本のミケランジェロと称される石川雲蝶の仁王像が安置されています。
仁王像も三密対策・・・というわけではないのでしょうが、以前は金網だったものが6月にアクリル板に修復されたと聞いたのでカメラを持って訪問しました。
案内看板によると
湯沢町指定文化財 彫刻 仁王尊 二体
曹洞宗瑞祥庵楼門の西側に安置されている仁王尊二体は、幕末から明治初年に越後で才腕を振るった三条市の石川雲蝶の作品である。雲蝶は文化11年(1814)江戸雑司ケ谷に生まれ、姓を石川、名を正照、雲蝶と号した。越後に来てから三条氏四ノ町酒井弥助に見込まれて養子になった。一般では三条の安兵衛と呼ばれていた。雲蝶の作品は、越後各地はもとより魚沼郡内に多くの作品を残している。小出町大浦の西福寺開山堂、堀之内町根小屋の永林寺欄間、塩沢町鈴木屋の薄荷圓看板、湯沢町中里の瑞祥庵仁王尊一対などは、魚沼に残した雲蝶の代表作であろう。瑞祥庵の仁王尊は、いつ頃刻まれたのか明らかではないが、楼門が再建されたのが弘化4年でそれから数ヶ年後五であると伝えられているから安政以降ではないかと推定される。
と紹介されています。
アクリル板に外の杉が反射してしまいましたが、それはそれでなんだか幻想的かもと、そのまま撮影。
↑ 阿(あ)金剛力士像 像高 173.5㎝
↓ 呼(うん)金剛力士像 像髙 183㎝
こちらのカラフルな色彩に関しては、残念ながら後世に修復されているため石川雲蝶独自のものではありませんが、この修復に関しても面白いエピソードが残されています。
餓鬼を踏みつけている筋骨隆々に怒りを露わにした像が非常に恐ろしく塗り師が震え上がってしまい途中で作業を中断した。と言っても受けた仕事、途中で投げ出すわけにもいかず黒目を少し大きくして(可愛らしくして)なんとか塗り切ったとか、いないとか。
たしかに、吽形のくりっとした瞳の表情と手のそり具合がちょっぴり女性らしいと感じるのは私だけでしょうか。
石川雲蝶について詳細は、新潟県のHP【三条】越後のミケランジェロ石川雲蝶をご覧ください。
パンフレットはこちらからPDFで見ることもできます。
【瑞祥庵(ずいしょうあん)】
所在地:新潟県南魚沼郡湯沢町大字土樽4595
電話:湯沢町観光協会 025-785-5505
見学:無料(冬季は雪囲いをするため鑑賞不可)
なぐー、今日のひとこと
30代前半に「良い酒とノミを終生与える」という法華宗総本山 本成寺の世話役 内山又蔵に誘われ越後入りを決めたという石川雲蝶。その類まれなる才能と技でいくつもの作品を残したわけですが、「酒と博打をこよなく愛した」と言われる人間臭い面も雲蝶が愛されるひとつの理由なのかもしれません。