strategies and increasing capital of mega-banks
2009-08-02 07:08:26
09年7月末に日興アセットマネジメント(資産運用残高9兆円 運用会社として国内3位 個人資産の運用が中心)が住友信託銀行(運用資産残高26兆円)に約1000億円で売却されることになった(09年7月29日基本合意)。これにより住友信託銀行は国内最大級の運用規模に。
住友信託は買収(09年10月)に合わせて優先株により資本調達(08年6月に1100億円優先出資証券で。資本増強は2009年度内に実施。1000億円程度か)。日興アセットについては三井住友FGとの提携、の上場も考える。
販売ルートの日興コーディアル証券をすでに住友信託銀行の親密先である三井住友FGが買収を決めている。
三井住友が日興コ-ディを拾った(09年5月)
日興コーディアルは三井住友FG(2009年5月普通株公募増資を決定 7月に8610億円集める)が5450億円で、買収することになった(09年5月1日正式発表)。
その三井住友FGは、大和証券SMBC、ゴールドマンサックスなどを主幹事に、8000億円規模の普通株増資を計画した(公表09年5月28日)。その後、株価が堅調であることから最終的には8610億円の調達に成功した(09年7月17日)。
三井住友は2008年に比較的小規模な海外提携金融機関への出資を行った。一つは英バークレイズが行った45億ポンドの増資のうち5億ポンド(1065億円)を引き受けるというもの(08年6月25日公表)。出資比率は2%である。
2008年9月には2003年に優先株1500億円の出資を受けている米ゴールドマンからの出資要請を検討中との報道が流れ(08年9月24日)、翌日要請中止の報道が流れる(ウオレン・バフェット氏が単独で巨額増資を引き受けたためとされる9月25日)。
10月末にはかねて業務提携している韓国の国民銀行(07年3月に投資銀行や顧客支援で業務提携の覚書に調印)の親会社であるKBFGに対し発行済み株式の約2%200億円の出資で合意したと報道された(10月30日)。
そして三井住友FGは、08年12月と09年1月の2回に分けて優先出資証券6989億円(約7000億円)を機関投資家相手に発行した。
この08年12月から09年1月の資本増強と比較すると、09年7月の資本増強は公募で普通株だということは、資本調達の環境が大きく変化したことを示している。また年のコーディアル買収について投資家が好意的反応を示したことも影響しているようだ。
大和証券はどうでるか(09年5月)
三井住友は、日興コ-ディアル証券とともに、日興シティ証券の株式・債券引受部門を買収しているが、三井住友FGと法人取引で共同出資会社「大和SMBC 大和6割 三井住友」4割」を持つ大和証券は、三井住友が保有することになる日興シティの株式・債券引受部門との統合に関心を示した(09年5月12日に行われた経営説明会での鈴木大和証券社長発言)。
三井住友FG傘下のSMBCフレンド証券との関係も検討が必要だろう。
なおシティグループが売りに出した日興グループのうち日興シティ信託銀行(信託受託残高4兆5000億円 うち投信の受託残高 旧商工ファンドから引き継いだ貸出債権券について過払金変換の債務負担懸念があった。そこで野村側は過払い金返還の債務負担をシティ側がするように合意した。)は190億円で野村信託銀行に売却が決まった。
三菱UFJはモルガンへの巨額出資を選んだ(08年9月)
日興アセットをめぐっては一端は三菱UFJ信託銀行が買収で有力(08年12月11日)、さらには正式に売却と伝えられた(08年12月16日)。ところが三菱UFJFGはモルガンスタンレ-との提携を優先する意向を示し、三菱UFJ銀行は買収をあきらめざるとえなくなったとされる(2009年5月 買収計画を撤回)。
三菱UFGFGによるモルガンスタンレーに対する巨額出資(90億ドル 9500億円 転換後の出資比率21%)の決断は(2008年9月22日発表)、モルガン側の強い要請を受けて2008年9月に急遽行われたとされる(出資内容は当初は普通株だったが、モルガン株の下落もあり二転三転。10月13日に全額優先株で落ち着いた)。
三菱UFJFGでは、この直前には米有力地方銀行ユニオンバンカル(UNBC)へのTOBがあり(2008年8月18日から9月15日)。またアコムへのTOBが並行していた(2004年に資本提携 2008年9月から10月)。三菱UFJFGの戦略は大胆で、アコムにみられるように日本では社会的評価の低い消費者金融にあえて踏み込んでいるし(出資比率20%から40%に上げ連結子会社化 これまでは三井住友のプロミスに対する21%が指標)、みずほコーポ(メリルリンチへ1300億円08/01)、三井住友(バークレイズ08/06 1000億円)に続きそれを上回る海外大型出資(ユニオンバンカルUNBC 3850億円 連結子会社をTOBで完全子会社化)を行っている。
このモルガンへの出資要請は、さらなる大胆さを求めるものだった。さて出資受諾後に課題としてあがったのは、三菱UFJ証券と、モルガン・スタンレー日本法人の統合である。
そしてそこに生じた日興コーデイアル証券の売却は、三菱UFJ-モルガンにとり、リテール力強化の機会であるように思われた。それが実現しなかったのは、資金的な限界があることが一つ。またもう一つは情報管理問題である。
問題が多かった三菱UFJの大型増資(2008年11月-12月)
確かにモルガンへの出資は、三菱UFJの取った経営戦略として正しいものだったのかもしれない。しかし資金的裏付けに問題があった。
2008年10月28日に公表された1兆円に迫る増資計画は、市場環境が悪いときにぶつかった(巨額増資は、ほかの銀行の公募増資を困難にする面もある、みずほFGは2008年11月に優先出資証券の引受け要請のため有力生保など行脚したと伝えられる。)。このような市場環境の無視した調達の強行は大問題だ。三菱UFJの増資計画発表により銀行株は暴落した(11月に優先株で3900億円。さらに12月に普通株で4000億円調達した。株価下落で普通株での調達は2000億円ほど目減りした)。
三菱UFJ証券のお粗末な個人情報流出事件(09年4月)
このようなスケール感のある経営戦略を立案する三菱UFJに似つかわしくないのが、09年4月に表面化した三菱UFJ証券システム部長代理が引き起こした全顧客情報の持ち出しとその一部情報(投信ラップ口座開設顧客)の売却事件である(4月8日三菱UFJ証券が会見して発表。6月25日には金融庁が行政処分発動方針固める)。
部長代理は、職権を利用してデータにアクセスを繰り返し、データを売却して数百万円にのぼる収入を得た。収入はキャバクラ遊びや消費者金融からの借金の返済に消えたようだ。
部長代理氏が毎夜キャバクラ遊びをしたうえに、そのお金は顧客情報を盗んで売却で得ていたという事態はわびしさを感じさせる。三菱UFJ証券は業容拡大を急ぐ前に内部管理態勢を整備することが必要だろう。
2010年春にも三菱UFJ証券と米モルガンスタンレーの日本法人の統合が予定される。
サブプライムで動けなかったみずほ(08年1月-09年5月)
日興の問題でみずほはどう動いたのだろうか。
2008年1月にみずほコーポレート銀行は米メリルリンチへの出資をきめた(1986年のゴールドマンサックスへの住友銀行の出資5億ドル 12.5%以来。2002年に三井住友は全GS株を売却。 またゴールドマンサックスによる三井住友への2003年の出資と対比)。これが優先株(普通株への転換権付き 年利9% 転換時期は2年9ケ月後)12億ドル(1400億円)とされている。この金額の小ささからも理解されるようにみずほに余力はなかった(1月の66億ドル増資の一部 07年12月にも62億ドル増資)。背景にはサブプライムに伴う巨額損失があった。(その後08年9月15日にメリルリンチとバンクオブアメリカの合併が発表された)
みずほ証券(旧)では08年3月期にサブプライム関連の損失が4470億円にまで膨れ上がったとされる。この損失額は国内でも最大規模であるが、この数字を見る限り国内金融機関がサブプライムで深手を負っていないというのはウソである。このためみずほFGでは、みずほ証券に対する資本支援2007年11月に1500億円、2008年1月末には2500億円。計4000億円の支出を決めている。
これにともなって2008年5月7日(当初は2008年1月1日)に予定していた、みずほ証券(旧)と新光証券の合併が、損失の大きさを確定できないため合併比率を算定できないという事態になった。そして金融の動揺が続いたことから、両社の合併は延期され、1年後の2009年5月7日合併に変更された。合併後は新光証券が存続会社となり、みずほ証券と改称された。(なお、みずほインベスターズ証券は統合対象とならず放置されている。)
みずほ証券と新光証券の合併の経緯
みずほ証券(旧)はみずほコーポレート銀行(旧日本興業銀行色が強いとされる)の100%出資子会社で非上場である。他方、新光証券は旧日本興業銀行系の証券会社で、東証一部上場である。両社の合併は、2007年1月10日に当初は2008年1月1日として発表された。合併後の存続会社を新光証券とし、新光証券がみずほ証券と改称するという計画は投資家にとり誤解を残す面が多いと東京証券取引所から指摘を受けたことが話題になった。これは新光証券に比べて、みずほ証券(旧)が圧倒的に大きいことに原因がある。08年1月1日の合併比率は1対343。最終的な比率(09年5月7日)の合併比率は1対122である。
しかし他方で、この東証の指摘にも疑問が残るのは、みずほ証券(旧)と東証との間では2005年12月に発生したジェイコム株誤発注をめぐる裁判が続いていたという背景からである。この裁判で東証は誤発注を取り消せなかったという不備について、自らの責任を認めないという態度を貫いた。この裁判がこの指摘に反映しているとの疑惑が生じたのは止むを得ないことである。
合併期日は当初は2008年1月1日。これがサブプライム問題により2008年5月7日さらに2009年5月7日へと延期を繰り返した。その実現は、みずほグループにとって、まず超えるべき経営課題になっていた。
08年12月以降のシティによる日興シティ売却問題にかかわる余裕は、みずほ側にはまったくなかったといえるだろう。
成長戦略なき大型増資(09年7月)を行うみずほ
つまりみずほは、この合併をつつがなく終えることを優先して日興コ-ディ買収に熱心ではなかったと考えられる。
この合併が終わった直後の2009年5月15日にみずほFGが最大6000億円の普通株の発行(7月下旬実施 主幹事はみずほ証券と野村證券 内外で普通株15億株ずつ発行方針 最大30億株 総額6000億円)を柱とする8000億円(優先出資証券が2000億円)の資本増強策を発表したことは、この考え方を裏付ける。ただ今回の増資計画は集めたお金をどう使かが見えない(狙いは資本として質の高い普通株増資で財務の健全性を高めることに置かれた)。
今度は資金の目的(戦略)が見えない。やみくもに自己資本強化というのも大問題だ。結果論だが、みずほ証券の合併を急がなければ、みずほが日興を買収する選択が十分可能であったことを意味するものだろう。
Written by Hiroshi Fukumitsu. You may not copy, reproduce or post without obtaining the prior consent of the author.
Originally appeared in Aug.2, 2009.
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