迫撃砲弾のこと。Gazaをめぐる記事に頻出する。直線で相手を狙う対戦車砲とは異なり、対象を直線で狙わず、向かって上空に打ち上げるように発射する。Gazaを実効支配するHamasはGazaからイスラエルに向けてカッサムQuassamと呼ばれるロケットや迫撃砲弾を打ち込んでこれにイスラエルが怒って、08年12月27日以来の空爆。09年1月3日からの地上部隊の侵攻になったとされる。
今回の戦闘に際してのイスラエルの本音は、射程の長いロケット攻撃を停止させることにあったとみてよい。
パレスチナ自治政府内では穏健派のファタハと武闘派のハマスが対立していたが、2005年9月のイスラエルのガザからの撤退以降、両派はガザの支配を巡って武力衝突を繰り返した。しかし結局2007年6月がハマスがガザを武力制圧。前後で多数のファタハ系の人々が投獄殺害された。ヨルダン川西岸のファタハの人たちが、ハマスへのイスラエルによる攻撃に冷静であるのは、自分たちの仲間をハマスに殺されているからだ。
ハマスによるガザ支配という事態に対してイスラエルは、ガザを封鎖。限られた物資以外の運び込みを禁止している。之に対してハマスはロケット攻撃で対抗することになった。ハマスを取り除けばというイスラエルの思いはわからなくはない。
ただ南北40キロ。東西40キロに150万の人々が密集しているところに正規部隊が侵攻すれば多大な人的犠牲が生じることが予想される。
イスラエルのロケット攻撃への不満はわかる。ただこのロケット攻撃は精度が悪く人的損傷は少なかったとされている。
これに対してパレスチナ側への大規模空爆では犠牲者のほとんどは民間人で1月2日までに死者は400人を超えた(09年1月14日午後には08年12月27日以来19日間でガザの死者は合計1013人。1000人を突破してしまった。負傷者は4580人に達した。対してイスラエルの死者は民間人を含めても13人である。イスラエルという国はどこまで傲慢なのだろうか。確かにロケット攻撃で安寧を奪われる怒りは理解できる。しかしだからといってこの無差別で一方的な殺戮はなぜ許されるのだろうか。こういった無差別攻撃をすればするほど憎悪の連鎖が収まらないことをイスラエルの人たちはなぜ理解できないのだろうか。イスラエル人には他の民族の生存権への配慮や人道的感情というものはないのだろうか。)。
失われた人命という点でイスラエルによる対パレスチナへの報復は、かねて均衡を失しているが今回も同じだ。ハマスを選んで攻撃するならわかるが、結果として一般民衆を巻き添えにしている。これでは民衆はハマスの側に団結してしまうだろう。イスラエルによる苛烈で執拗な攻撃は忌まわしく強い非難に値する。イスラエルによるこのような攻撃は逆効果だ。国際社会はイスラエルを非難するべきだ。
この間、ハマスはガザ内でファタハをはじめ穏健派の人たちを弾圧してきた。しかしガザへの封鎖や攻撃を続ければ、民衆は自分たちが攻撃されていると考えて武闘派に却ってなびいてしまう。
イスラエルはハマスの拠点を叩いたあと、できるだけ速やかに退却し封鎖を解除してガザ地区の経済再建をむしろ急ぐべきだ。明日の生活への展望のなさが人々を過激な思想に走らせるのである。打開の道は、和解にあるはずだ。
なお一般に戦争では、さまざまな非人道的な武器が登場する。
ナパーム弾napalm bombを含む焼夷弾は広範囲を焼き尽くすことを目的とするもの。クラスター弾(集束弾)は親弾が衝突すると多数の子爆弾が飛散するもの。いずれも無差別的殺人を目的としており、人的被害の大きさから非人道的兵器と非難されるもの。劣化ウラン弾は、鋼鈑を貫通するとき尖頭が過熱により先鋭になる性質を持ち貫通性に優れるが、酸化ウランの微粒子が飛散することから戦闘員や現地住民への健康被害が懸念される。
しかし軍事的には目的が優先され、非人道性や健康被害には十分な注意が払われているとはいえない。
Written by Hiroshi Fukumitsu. You may not copy, reproduce or post without obtaining the prior consent of the author.
0riginally appeared in Jan.6, 2009
Rewrited and reposted in Jan.16, 2009