![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/9f/386a68c48e8e4ac6f0810bc887f79420.jpg)
鹿児島県 ・・・
雄大な桜島を見ながら薩摩半島を南へ ・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/4c/c14a61638c044859eeaea126c8a34f36.jpg)
麓川 (ふもとがわ ) ・・・
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そして、庭が印象的な武家屋敷 ・・・
知覧町 (ちらんちょう ) ・・・
ここは薩摩の小京都とも ・・・
また、ここには、第2次世界大戦中、
沖縄戦線に向かう特攻隊の前線基地がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/01/febefc17d59b109f84e6bee3b1e50295.jpg)
いまは静かなこの城下町に
「知覧特攻平和会館 」 があります。
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板津 忠正 (いたつ ただまさ 1925年-2015年 ) さん
知覧特攻平和会館 初代館長。
元特攻隊員。
機体の故障により奇跡的に生き延びる。
板津さんは、
与えられた命に使命を感じ、戦後全国を行脚。
遺族に (仲間の ) 特攻時の様子を知らせるとともに、
(特攻隊員が ) 家族に宛てた手紙などを収集。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/6e/a95ea5e121f9c2e91e7b3c8f14781911.jpg)
知覧特攻平和会館には、板津さんが生涯をかけて集めた
1000人を超える特攻隊員の
手紙や遺影が展示されています。
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平和会館の横には、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/20/7bd924f6eb5b8d65a04f2a5f17fd1606.jpg)
『三角兵舎 (さんかくへいしゃ ) 』 が復元されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/69/27471547cbaa993b6c74eef0b23ac157.jpg)
全国から集められたうら若き特攻隊員は、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/af/a0b18ae1fdd34f632efc29a0ad4807fc.jpg)
出撃までの時間をここで過ごしたそうです。
彼らは 『軍神 (ぐんしん ) 』 と呼ばれていました。
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特攻隊員の頃の板津さんと
鳥濱 トメ (とりはま とめ 1902年ー1992年 ) さん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/27/e037cba8d5c52effdfd46164296b3fac.jpg)
知覧の町で食堂 (富屋食堂 ) を営んでいた鳥濱さんは、
特攻隊員から母のように慕われました。
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鳥濱さんは、戦後、語り部として、
特攻隊員の在りし日の姿を後世に伝えました。
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東京帝国大学文学部の2年生だった
久保 恵男 (くぼ よしお ) さんは、
特攻隊員として散りました。
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久保さんが家族に宛てた手紙 ・・・
(一部 )
『我々はあまりに弱いし、不完全であるので、
やむを得ず戦争という最も醜い営みにも
没頭せねばならぬのだと思います。
ともかく、日本の国は私たちがきっと護り抜きます。
ただ、何よりも案ずるのは、
私たちが護ったこの国が次の時代にいかなる生成をし、
発展をするかということです。
私のなしえなかった生活と理想を完成させてください。
その頃にはすでに戦争も終わって、
日本の国は、文化の上で苦しまねばならぬ
時代だろうと思いますから。 』
軍国主義を良しとしない強い意思が窺えます。
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