目の前のものに集中できないことがある。
それはなぜなのか?
おそらく他人の期待に沿った人生を生きようとするから、次から次へとあれもこれもやらなきゃという焦りが生まれるからです。
じつはそれって私自身何回も答えはでているはずなのに忘れています。
でもなぜ繰り返すのか?
今日はそこについて考えていきましょう。
もうあまり言いたくはありませんが、
他人の期待を満たそうとした先は地獄です。
なぜかというと、私なりに大きく3つ理由を考えました。
①人生と言う観点で違和感が生じ全力を出せないから。
②他人の期待には終わりがないから。
③そもそも人間は他人の期待を満たすようにできていないから。
それぞれ深掘って考えていきます。
まず
①人生と言う観点で違和感が生じ全力を出せないから。
なのですが、
まず人生とは誰のためにあると思いますか?
答えはそう「自分」です。
いやいや、誰かの役に立ててこその人生だろ!
この気持ちも分かります。
じゃあ人生は「誰か」のためにあるのでしょうか?
これには皆さんも違和感を覚えるのではないでしょうか?
なぜなら人生は自分の主観でしか感じ取れないからだと思います。
スポーツ後の達成感、朝食のいい匂い、ふかふかのベッド、自分なりの理論を構築する面白さ…etc
これらって自分でしか感じ取れませんよね?
もしかしたら他人に想像させて共感してもらうことは可能なのですが、実体験を肌で感じられるのは自分だけですよね?
そう、その感覚を共有して人の役に立つのにも、それを最終的に確実に感じられるのは「自分」ただ一人なのです。
それは主観から逃れられない限り、絶対です。
まさか他人になってその感覚を感じられる人がいれば別かもしれませんが、そんなのエイリアンでも無理でしょう。
だから私が満たせるのは、他人ではなく私以外はこの世に存在しないのです。
私は人間である限り、この世で「自分」というただ一人しか満たせませんし、そういう原理になっているとしか考えられないですね。
ガソリンが満ちているかどうかなんて自分のことしか知ることはできません。
なので満ちているかどうか原理的に知りえない、誰かのガソリンを気に掛けるより、
自分のガソリンを一杯にして、余力があってはじめて周りを引っ張ていくほうがどう考えても効率的だと私は思います。
次に
②他人の期待には終わりがないから。
ですが、
これは言葉通りです。
誰かに期待している人の期待を満たせば、その期待は消えてなくなるでしょうか?
そんなことはないですよね?
むしろ期待を満たすほど期待は大きく膨らみ、大きくなった期待が満たせないときが来た時には大きな不満に変わるでしょう。
つまり期待を育てるということは、その人の不満を育てていることになるのかもしれません。
むしろそういう人に対しては、自分の期待通りにならないのが当たり前だということを示すべきだと思います。
なので毅然とした態度で「私はこういう風に考えるんですけどどうでしょう?」という別解を示すのが、
長期的な相手のためになるし、自分のための軸をつくることにつながるのだと思います。
そして
③そもそも人間は他人の期待を満たすようにできていないから。
ですが、
いやいやいやいや!他人の期待に応えようとして苦しむのが人間でしょ!
そうできてるでしょ!
って私も文章で整理して考えないと思ってしまいます。
じゃあなぜ、そう言えるのかと言うと、あくまで他人の期待を満たすのは生きるための「手段」だからです。
そう目的はあくまでも自分が「生きる」ため。
もっと言えば「仲間を増やし、生きやすい環境を構築するため」だと思っています。
じゃあ誰かの期待を満たしまくれば仲間が増えまくってハッピーなのでしょうか?
そんなことはないですよね?
なぜなら人間全員が全員「仲間」になるとは限らないからです。
じゃあそもそも「仲間」ってなんでしょうか?
冗談言いながら盛り上がれるメンツ?
年齢が近い、学生時代遊んでいた友達?
自分の気持ちに共感してくれる方?
それもそのときは「仲間」なのかもしれませんが、もっと仲間として大切なことがあると思います。
それは同じ方向を向いて、歩んでいる人だと思います。
もっと言えば自分が達成しようとしている「目的」に対して、同じ方向を向いている人だと思います。
例えば
同じスポーツをしていて、「大会に出て勝ちたい!」と思っている人。
ゲームなどで、「新しい世界を探って好奇心を満たした!」と思っている人。
料理などで、「自分の店を構えて商売をしたい!」と考えている人。
このように同じ志しを持っている人間と言い換えてもいいかもしれないです。
そういった同じ方向を向いている人から人は影響を受け合って自分の力を伸ばせるのだと思います。
むしろ、そういった目的が途中でばらばらになってしまっている関係はむしろ潔く距離を置いた方がお互いのためなのだと思います。
「仲間」は日々変化していくものだと思います。
昔「仲間」だった人も今の自分に必要な「仲間」とも限りません。
なので、自分のためにも深く関わっていく人は自分の力で取捨選択すべきだと私は思っています。
人生は有限であり、自分のためにあるべきだと今私も改めて文章にして再認識しました。
なので、自分のために生きること、それが世界で唯一満たすことのできる「私」を満足させる生き方なのだと思います。
なので人のことは全然言えないですが、皆さんも自分のために生きましょう。
こんな人間の文章をここまで読んでいただけた皆さんも「自分のために生きる」という目的を持った「仲間」なのだと私は思っております。
お時間いただきありがとうございました!
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