インターネットが普及するに連れ、事件や事故の背景を深く知ることができるようになりました。アナログ且つテレビやラジオが情報源だった頃は流される事柄から大雑把にしか判断できませんでしたが、ネットによる詳細な情報が載せられることで、それまで白だったものが黒になり、黒だったものが白だったのではないかという疑問が出てくるようになったのです。
私は報道の第一報だけでは総てを判断しないことを心掛けています。より詳細な情報が出てこないと判断を誤る可能性があるからです。今回の様な交通事故は警察による実況見分が発表されないと最終的に何が原因だったのか判りません。多少は状況を想像すれば判ることもありますが、それは所詮“想像の域”なのですから断定は不可能です。
事故が一定の法則によって同じ様な結果になるならば机上の判断もできるでしょうが、ひとたび事故が起きればスピードや衝突具合などで結果は様々です。だからこそ鑑識がいる訳であり、グチャグチャになった現場から1つずつ状況を積み重ねて最終的な結果を出す訳です。
そんな警察側が事故が起きたことをメディアに伝え、それをメディアが媒体に流す訳ですが、今回の件を思えば、いったい最初の報道に於いて誰が原因だったのかを特定できないうちは事故に遭った人たちの氏素性は勿論、飲酒云々の話は暈したものにするべきだったのではと思うのです。
不思議に思うのは、事故によっては第一報から暈したものがあれば、最初から氏素性を明らかにしているものがあることです。如何なる事故であれ、結果が明確にならないうちは暈した表現に統一する協定は結べないのでしょうか。一度でも偏見を持たれると徹底的に騒がれてしまうネットがあるだけに尚更だと思うのです。