現在、日本には3つの独立リーグが存在しています。2005年に創設され、現在は四国4県で活動している「四国アイランドリーグplus(四国IL)」、2007年からスタートし、現在は福島県から滋賀県まで10球団が加盟する「ルートインBCリーグ(BCリーグ)」、そして2009年から2013年まで活動していた「関西独立リーグ」を前身とし、2014年から新リーグとなった「ベースボール・ファースト・リーグ(BFL)」です。
これらの独立リーグからドラフト指名を受けた選手は、今年を含めて総勢91人になり、一時期は指名人数が減ったものの、ここ3年間では合計30人が指名されており、特に今年は6人が本指名を受け、過去最多だった2010年の4人を上回りました。日本プロ野球機構(NPB)の球団入りするためのルートが1つ増えた状況です。
NPBを目指す選手にとって、独立リーグでプレーするメリットはいくつか考えられ、1つは、独立リーグの指導者や選手にNPB経験者が多いことです。2つ目には、マニー・ラミレス選手(高知ファイティングドッグス)や岩村明憲監督(福島ホープス)といった元MLB選手や、NPBでプレーしていた選手もおり、高レベルの技術を間近で学ぶことができます。3つ目として、ドラフト指名のチャンスが毎年あることも大きいです。例えば指名漏れした高校生の場合、大学進学なら4年後、社会人入りしても3年後までは指名を待た、なければなりませんが、独立リーグでプレーすれば翌年から指名を受けられます。
先日(11月19日)、放送された日本テレビ系「坂上忍の天国か?地獄か?運命の一戦」にBCリーグの信濃グランセローズ・柴田悠介選手が出演しました。柴田選手は愛知県出身で中京大中京高三年の時、夏の甲子園決勝で2安打3打点と活躍し優勝(ピッチャーは広島東洋カープ・堂林翔太選手)。明治大四年時には東京六大学で2季連続リーグ優勝(ピッチャーには千葉ロッテマリーンズ・関谷亮太選手)。今年、「所属したチームで優勝していないのは信濃だけ」と冗談交じりに話していました。
大学卒業後、静岡ガスで軟式野球をしていましたが、夢を追うためグランセローズの門をたたき、2年目の昨年は正捕手で71試合に出場したものの、個人成績が終盤で下降。「甘さがあった。もっと突き詰めてやれる部分があった」。今年を独立リーグでの最後の年と決め、自らを追い込み志願して主将に就いていました。高校でも大学でも優勝し、主将を務めたグランセローズでも今年、全71試合に先発出場してチームを初の優勝に導きました。
その柴田選手が自分の給料明細を公開しました。現在は長野県中野市内の家賃3万4000円の1Kの部屋に1人で暮らしています。シーズン中の9月分は、基本給が18万円、その他で1万7000円が支給され、所得税などが引かれた差引支給額は約17万5000円でした。ヒット、2ベースヒット、3ベースヒット、ホームラン、打点などの出来高(インセンティブ)も付いているといい、単価としてヒット1本が300円、2ベースになると+100円、3ベースは+200円、ホームランは+300円となっています。
柴田選手は今年86安打を放ち、打率は.323、58打点。ヒットには二塁打10、三塁打5、ホームラン7本が含まれ、単打86本×300円で2万5800円+4200円が加算されることになります。ただし、給料は年間通してではなくて、シーズン中の試合がある時とキャンプのある時だけですから、3月から10月までしかでません。11月からキャンプ前の2月までの4カ月間は、アルバイトで生活費を捻出しています。
プロ入りを夢見て独立リーグで3年間を過ごした柴田選手ですが、26歳という年齢もあり、今年のドラフト会議をラストチャンスと位置付けていました。お兄さんの健斗さんも2014年からオリックスバファローズでピッチャーとして2年間プレーしたこともあり、指名が期待されましたが、育成ドラフトでも指名されることはありませんでした。
柴田選手は「現役終了です。未練は無い。やり切りました」とキッパリ。10月30日に「本人の申し出により」という理由で任意引退選手として公示されました。
BCリーグからNPBのドラフト会議で指名を受けたのは昨年までの10年間で29人(グランセローズは6人)です。今年、グランセローズの選手はいませんでしたが、リーグからは6人が指名されました。一方で、大多数の選手にとっては夢を諦める場にもなっています。BCリーグで結果を残し、チームが優勝したとしてもドラフト会議で指名されるわけではありません。
BCリーグでは来年から原則26歳以下とする年齢制限制を導入します。昨年までに指名された29人の平均年齢は23.4歳です。
夢を追い掛けられる時間は決して長くありません。一人また一人と厳しい現実を見つめ、現役に終止符を打っていかねばなりません。
ドラフト会議終了後、お父さんからの電話に「すっきりした」と語った柴田さん。就職活動はこれからだそうです。野球をやめてからの長いセカンドキャリア。野球とどう関わっていくかはまだ決まっていないそうですが、「独立リーグで学んできたことは、かなり生かせると思う」と話しています。