2016年のプロ野球ペナントレースも終了し、中日ドラゴンズの4年連続Bクラスが確定しました。さらに最下位です。
2001年から2012年にかけて11年連続Aクラス入りしていたのがウソのように2013年以降はBクラスクラブに仲間入りをしています。
それでも、Bクラスクラブには偉大なる名誉会員もいるものでして、日本プロ野球界で燦然と輝く1978年から1997年にかけて20年連続Bクラスという南海・ダイエー(現; 福岡ソフトバンクホークス)が名誉会長です。
ホークスは南海時代の1978年に最下位に終わると、そこからチームは末永く低迷します。親会社が身売りをしてチーム名が福岡ダイエーホークスに変更した1989年以降も、チーム状況は変わらず苦しい時代が続きました。
潮目が変わったのは1992年オフに西武ライオンズ黄金時代の基盤を作った根本陸夫さんが監督就任してからです。1年目は最下位に終わったものの、2年目の1994年には17年ぶりに勝率が5割を超えました。根本さんはこの年限りで監督を退き、球団専務になるとともに、1995年から王貞治さんが監督に就任します。しかし、最初の3年間はBクラスに終わり、20年連続のワースト記録を更新するものの、ドラフトで小久保裕紀さん、井口資仁選手(現; 千葉ロッテマリーンズ)、松中信彦さんなど有望株を獲得し、1998年についにAクラス入り。その後は優勝争い常連チームへと生まれ変わりました。
広瀬叔功監督時代
1978年 : 6位 -> 1979年 : 5位 -> 1980年 : 6位
ブレイザー監督時代
1981年 : 5位 -> 1982年 : 6位
穴吹義男監督時代
1983年 : 5位 -> 1984年 : 5位 -> 1985年 : 6位
杉浦忠監督時代 (最終年から福岡ダイエーホークス)
1986年 : 6位 -> 1987年 : 4位 -> 1988年 : 5位 -> 1989年 : 4位
田淵幸一監督時代
1990年 : 6位 -> 1991年 : 5位 -> 1992年 : 4位
根本陸夫監督時代
1993年 : 6位 -> 1994年 : 4位
王貞治監督時代
1995年 : 5位 -> 1996年 : 6位 -> 1997年:4位
セ・リーグの連続Bクラスクラブ副会長は広島東洋カープの18年になります。球団誕生の1950年は優勝した松竹に59ゲーム差をつけられてのぶっちぎりの最下位。そこから資金難などでチームの存続危機に陥りましたが、ファンの募金活動もあって、チームは現在まで存続しています。
Bクラスは1950年から1967年まで続き、この18年連続Bクラスがあり、その後1970年代後半から1980年代にかけて黄金時代を築きましたが、再び1998年から2012年まで15年連続Bクラスに沈んでいました。
石本秀一監督時代
1950年 : 8位 -> 1951年 : 7位 -> 1952年 : 6位
石本・白石監督時代
1953年 : 4位
白石勝巳監督時代
1954年 : 4位 -> 1955年 : 4位 -> 1956年 : 5位 -> 1957年 : 5位 -> 1958年 : 5位 -> 1959年 : 5位
門前真佐人監督時代
1961年 : 5位 -> 1962年 : 5位
白石勝巳監督時代
1963年 : 6位 -> 1964年 :4位
白石・長谷川監督時代
1965年 : 5位
長谷川良平監督時代
1966年 : 4位 -> 1967年 : 6位