日本人の国民性でしょうね。日本人の日本語の表現には曖昧なものがたくさんあります。
外国の人から見ればイエス・ノーをはっきり言わずに、判ったかは判らないけど、その微妙な間というか、感覚をお互いに察し合うという風潮は理解できないのでしょうね。
これが政治の世界でもそのままですから、欧米のみならず、近隣諸国を相手にしても自己主張をせず、何を考えているか判らない日本人だと見られ、付き合いにくい存在なのでしょうね。
「じゃ、また今度ね」と別れ際に言いますが「また今度」って一体いつなんでしょう。
「何月何日の何時何分」のことでしょうか?
私たち日本人は単なる挨拶程度の感覚で使っているのですが、外国の人から見れば挨拶なのか、約束なのかがまったく判りません。
まあ、すべてではないにしてもこんな調子ですから、「ニッポンジンハ、ヨクワカリマセーン」となってしまうのでしょう。
でも、この曖昧さが逆にストレートに表現する文化と違って相手を思いやる場面も出てくる反面、相手の顔色を伺っていると思われてしまうような場面もあるでしょう。
日本人の特徴として相手の気持ちを思いやるということがあります。これは数少ない世界に誇れることの一つだと考えます。だから言葉を選んで、さらに曖昧な表現をすることになるのでしょうね。
でも、それによって誤解を招いたり、場合によって相手を傷つけたりしてしまうこともあるかも知れません。
前述の「また今後」で相手は連絡を待っているにも関わらず、何の連絡もないままでいたりするとね。
スポーツでもビジネスでも海外を相手にしていくことが非常に多い。
F1ドライバーなどモータースポーツの世界でなかなか日本人が成功しないのも一理あるかも知れません。外国人は「俺が、俺が」と自己主張にして前へ前へと進むのに対して、周りの状況を見ながら進んでいくという感じで。
他にも物事が決まったあとでの締めの一言でよく使う「じゃ、そんな訳で」という一言。
YouTube: American Guys learning Japanese (Review)
日本人は相手の気持ちを優先するあまり、率直に物事を言わない。しかし、相手が外国人の場合には日本人相手のような以心伝心というか、阿吽の呼吸というかの察するといったコミュニケーションは無理だと考えたほうがいいかも知れません。
日本人は外国人と会話するときは、もっとストレートに自己表現すべきであって、日本人と付き合うのとは別の価値観を持ち合わせる両面性を使い分けられるようになることが、これからの国際化社会を生きるために必要だと考えます。
まとめますと、こんな感じになりますね。
YouTube: Zuiikin' English - Learn Japanese
では、今日の話はそろそろお終いです。
じゃ、そんな訳で。