戦国時代に備前西部(岡山県から兵庫県)から美作(岡山県)、備中(ここも岡山県。つまり岡山県中心)に勢力を伸ばした宇喜多秀家さんが本拠としたお城です。
(天守閣の一部しか写っていない・・・)
ただ、今のお城は当時のままではなく、戦後に再建されたものです。
「烏城(うじょう)」とも呼ばれる黒漆塗の下見板の外観が特徴です。隣の兵庫県姫路市の姫路城が「白鷺城(はくろじょう)」と呼ばれていて、対象的です。
では、黒いお城と白いお城の違いは何でしょう?
一説によると「関ヶ原の戦いで、豊臣恩顧の家臣団のお城が黒く、徳川方が後に立てたお城が黒を嫌って白い」というのがあるようですが・・・
その理由は築城された時代。
お城が黒いのは「下見板張り」という、板に柿渋と墨を混ぜたものを塗って、雨風に耐えられるようにしたものを使っていることです。
この方法を使って建てられていたのが関ヶ原の戦い以前に築城された戦国時代のお城。
その後、江戸時代になって「塗籠」と呼ばれる石灰に麻を混ぜ込んで、城壁を白くした江戸城が建てられてから、白いお城が流行っていったということです。
まあ、そういう意味ではあながち、豊臣と徳川というのも間違いではなさそうです。
現在、日本の「黒い三大名城(?)」ということで、私の中途半端な写真ではなく、HPでお楽しみくださいませ。
岡山城 http://okayama-kanko.net/ujo/
熊本城 http://p.tl/YTa2
松本城 http://p.tl/zIdH
あっ、ちなみに今回の岡山城訪問(出張の途中で遠くから見ただけ)で、この「黒い三大名城」は完全制覇しました。