実際、万延年間(1860~1861)は実質1年間しかないため、あまり出来事はありません。
災異(凶事)を断ち切るために行われた(災異改元)。黒船の来寇や江戸城の火災、桜田門外の変などの凶事が念頭にあったとされています。元々は翌1861年に辛酉革命(しんゆうかくめい)による改元が予定されていたことから、この改元に反対する意見もありましたが、孝明天皇の強い意向もあって決せられたといわれています。
井伊さんの代わり幕政を取り仕切る役は安藤信正さんと久世広周さんの2老中。あのキャラの経つ井伊さんと比べるとなじみ薄いキャラであり、教科書にも出てきません。
ところが、この2人組は皇女和宮さんを14代将軍家茂さんに嫁がせてしまいます。この件で攘夷派の恨みを買った安藤さんは翌年襲撃を受け、それが元で失脚。久世さんもフェイドアウトしちゃいます。
さて、万延といえば、大江健三郎さんの「万延元年のフットボール」でしょう。でも、堅すぎるのでここは、筒井康隆さんの「万延元年のラグビー」と思うのですが、こちらは、書いていいのかどうなのかと思えるので自粛です。
道祖神は、路傍の神様です。村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神様で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されています。
塩尻市の洗馬小曽部地区には多くの道祖神が点在しています。その中に仲睦まじい男神と女神の双体道祖神がいます。お互い相手の肩に手を掛け、手と手を取り合っています。碑の裏に萬延二酉二月と建立年が刻んであります。万延(萬延)2年は2月19日に文久に改元しています。ですから、万延2年の建立というのは非常に珍しいものだと思います。
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