「小池百合子さんに衆院選に出てもらった方が有権者にわかりやすい。都知事と衆院議員の靴を履き分けると言っているが、一つの靴を履いて出てきてください。私がわからないのは、相手はどこか。いま唯一わかっているのは、相手が民進党ではなくなったということ。じゃあその先にあるのは何なのか。小池さんが出て、がっぷり四つに組んで、どっちが夢と希望を皆さんに感じてもらえるのか。それを問う環境を整えるためには、小池さんが出るという決意を固めてもらうことだろう。(小泉純一郎・元首相が小池さんを応援しているから親子でねじれているのではないか、と問われて)でも昨日、私に投票すると言っていた。(小池氏が小泉元総理と同じ脱原発を訴えていることについて)私だって原発ゼロにするべきだと思っていますから。自民党でも河野太郎外相を見てください。原発ゼロを求めているけれど、外務大臣ですよ。自民党にもいろいろな考えがあるんです。(なぜ本会議場で解散のときに万歳をしなかったと問われて)なんで万歳するんですか。わかりませんよね。だからしないんです。慣習だからとか、今までやってきたからとか、合理的理由なくやり続けるのは僕は好きじゃない。そういったものを全部なくせばいいと思う。」
これは、昨日、前衆議院議員の小泉進次郎・自民党筆頭副幹事長が衆院解散直後に国会で記者団のインタビューに答えた言葉です。父は第87・88・89代内閣総理大臣の小泉純一郎さんです。まだ、36歳ですが、言っている言葉には、思わず納得してしまうような説得力があります。たぶん、自分の言葉に発言と覚悟があるからだと思います。
さて、これで約465人の議員先生が衆議院解散で無職となりました。失業手当が出るのかどうかは別として、仕事がなくなるというのに、衆院議員はなんで「万歳」するのでしょうか。
「日本国憲法第七条により、衆議院を解散する」
衆議院議長が天皇陛下の詔書を読み上げると、衆院議員がみな万歳をする場面は、毎度おなじみのシーンです。昨夜もニュースで流れていました。
前回の2014年の解散時には、当時の議長が「御名御璽(ぎょめいぎょじ、天皇の署名と捺印)」と言いかけたところで万歳三唱が始まり、「フライング万歳」などと呼ばれていましたが、今回はフライングもなく、普通に解散していました。
ところで、衆議院の解散時の「万歳」はいつから始まったのでしょうか。そもそも、なぜ「万歳」をするのでしょう。一説によれば衆議院解散時の「万歳」は明治時代からの伝統らしいですが、「万歳をしなければならない」という法的なものはありません。小泉さんの言うとおり、あくまで「慣例」なのです。
「万歳」の理由には諸説あり、これまで以下のような説があります。
・やけっぱちの絶叫
・いちばん無難なかけ声だから
・内閣への降伏の意
・天皇陛下への万歳、詔書への崇敬
・士気を鼓舞するため
・選挙という戦場に、「万歳、突撃」する気持ち
こんなジンクスもあるそうです。
・一番早く万歳をした人がまた国会に戻って来られる
・しっかりと大声で万歳するほど当選確率が上がる
フライングで万歳したのは、このジンクスからだったかもしれませんね。
さて、まじめな話、衆議院の解散時に議員が「万歳」をしたのが記録として残っているのは、1897(明治30)年12月25日の第11回帝国議会での解散が最初だったそうです。ただ、この頃の解散のすべてがそうだったわけではないようです。解散詔書の朗読が、
・本文+御名御璽+日付の場合
・本文+御名御璽の場合
・そもそも散会していたため本会議で解散詔書が読まれなかった場合
などもあり、解散時の流れは様々だったようです。
その後、大正から昭和へと時代が進むにつれて、衆議院の解散時に議長が本文のみを朗読した場合に議員が「万歳」をするという流れが定着したようです。ただし、戦後初、大日本帝国憲法の下では最期の衆議院解散が1945年12月18日にありましたが、この解散では戦前の慣例と異なり、議員が「万歳」をした旨の記述はなかったそうです。
その後、「馴れ合い解散(1948年)」、「抜き打ち解散(1952年)」、「バカヤロー解散(1953年)」、「天の声解散(1955年)」を経て、「話し合い解散(1958年)」からは戦前の慣例(議長が解散詔書の本文のみを朗読し、議員が「万歳」)が復活しました。これは、「ハプニング解散(1980年)」と「死んだふり解散(1986年)」を除いて、「近いうち解散(2012年)」まで、ずっと踏襲されてきていました。
私も小泉さんの言われている「慣習だからとか、今までやってきたからとか、合理的理由なくやり続けるのは僕は好きじゃない。そういったものを全部なくせばいいと思う」という考えには一票を投じます。意味が分からないことを、ただ単に「慣習だから」と言って、周りにも押し付けることは理解できません。そもそも、自分が説明できないこと、納得していないことを、どう相手に理解させようというのでしょうか。
今回の「国難突破解散」は未曽有の危機への判断と対応を誰に、どの政党に任せるかという重大な選択の場でもあります。でも、今そこにある危機に目をつむったままの無責任状態では、国民はたまったものではないと思います。
♪ バンザイ 君に会えてよかったこのまま ずっと ずっと
とでも、なればいいのでしょうけど。