令和6年能登半島地震でお亡くなりになられた方々に、謹んでお悔やみを申し上げます。また、被災された方々にお見舞いを申し上げます。1日も早い安全と日常への復興を心よりお祈りしております。
自衛隊の任務の一つに災害派遣があります。
地震、風水害、火山噴火、雪害などの自然災害、火災、海難、航空機事故、感染症などの特殊災害など対象は幅広い。初動対処には、ファストフォースと呼ばれる特別な部隊が各地で備えているほか、航空自衛隊の航空救難団、海上自衛隊の救難飛行隊なども24時間待機状態にあります。
■要請による派遣(一般的な派遣形態)
自衛隊における「災害派遣」は、「自衛隊法第83条」の規定上、都道府県知事などからの要請により部隊などを派遣することが原則。
これは、知事などが災害対策の一次的な責任を負っており、災害の状況を全般的に把握できる立場にあるため、知事などの要請を受けることが適当と考えられたことによる。また、市町村長は災害が発生し、または発生しようとしている場合、応急措置を行う必要があると認めるときは、都道府県知事に対し、災害派遣の要請をするよう求めることができる。さらに、災害対策基本法第68条では市町村長は、知事に対する要求ができない場合には、災害の状況などを防衛庁長官または長官が指定する者に通知することができる。
■自主派遣
防衛庁長官又は長官が指定する者は、特に緊急な事態で、要請を待つ時間がないとき、要請がなくても例外的に部隊などを派遣することができる。
この自主派遣をより実効性のあるものとするため、95(同7)年に「防衛庁防災業務計画」3を修正し、部隊などの長が自主派遣する基準を次のとおり定めた。
・関係機関への情報提供のために情報収集を行う必要がある場合
・都道府県知事などが要請を行うことができないと認められるときで、直ちに救援の措置をとる必要がある場合
・人命救助に関する救援活動の場合など
このほか、部隊などの長は、防衛庁の施設やその近傍に火災などの災害が発生した場合、部隊などを派遣することができる。
地震防災派遣
「大規模地震対策特別措置法」に基づく警戒宣言4が出されたときには、地震災害警戒本部長(内閣総理大臣)の要請に基づき、防衛庁長官は、地震発生前でも部隊などに地震防災派遣を命じることができる。
原子力災害派遣
「原子力災害対策特別措置法」に基づく原子力緊急事態宣言が出されたときには、原子力災害対策本部長(内閣総理大臣)の要請に基づき、防衛庁長官は、部隊などに原子力災害派遣を命じることができる。
災害派遣における主体となる陸上自衛隊は1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争によって米軍は日本駐留部隊を朝鮮半島に出動させることとなりました。そのため、日本における防衛兵力、治安維持兵力が存在しなくなったため、8月10日にGHQのポツダム政令の一つである「警察予備隊令」によって設置された組織が基になります。その後、1952年10月15日に「保安隊」に改組されます。
当時は再軍備への懸念から、警察予備隊の出動命令は内閣総理大臣しか出せませんでした。
幸運にも戦後の日本は戦禍に巻き込まれることなく現在に至っています。そのため陸上自衛隊も発足以来、実戦での出動はありません。どちらかとい、自衛隊は災害派遣(人命救助)で活動するイメージの方があります。
主な事例
北海道胆振東部地震(2018年)
平成30年7月豪雨(2018年)
大阪北部地震(2018年)
九州北部豪雨(2017年)
熊本地震(2016年)
関東・東北豪雨(2015年)
御嶽山噴火(2014年)
台風26号(2013年)
東日本大震災(2011年)
宮崎県での口蹄疫(2010年)
岩手・宮城内陸地震(2008年)
新潟県中越地震(2007年)
新潟県中越地震(2004年)
三宅島火山噴火(2000年)
ナホトカ号海難・油流出(1997年)
地下鉄サリン事件(1995年)
阪神淡路大震災(1995年)
雲仙・普賢岳噴火(1991年)
その最初の災害派遣となったのが、1951年10月の「ルース台風」での救助活動です。
ルース台風は10月14日~15日に山口県東部へ接近。これに対し山口県知事は県内に所在する警察予備隊の駐屯部隊に救援を要請。当時、山口県には下関市に小月駐屯地(現;海上自衛隊小月航空基地)所在の、普通科第11連隊(現;陸上自衛隊第11普通科連隊)でした。
第11連隊は県の災害対策本部に隊員を派遣し、情報収集を開始。その後、指示を仰ぐために上級司令部である福岡県の第4管区総監部(現;第4師団司令部)へ連絡。
しかし第4管区総監部は「首相から命令が出ていない」「自然災害で警察予備隊が出動したという前例がない」などの理由により、「出行留保(出動不許可)」とします。
当時、警察予備隊の出動許可権は首相(内閣総理大臣)にしかなく、県知事をはじめ自治体の首長からの要請があっても部隊は出動できませんでした。
一方で第11連隊には死傷者多数、家屋倒壊、食糧や医薬品の不足などの被災情報が伝わります。また、警察予備隊が出動しない(できない)状況で、岩国飛行場に駐留する米軍が被災地に食料や医薬品、毛布の提供を始めた。
そこで、第11連隊長は副連隊長を第4管区総監部へ直接説明することにし、被災地の写真枚を持ち、10月20日朝一番の急行列車で福岡に派遣。
第4管区総監部に着いた副連隊長は副総監に会おうとしましたが出張中。副連隊長は官舎で副総監の帰りを待ち、直接話し写真を見せたものの、「一度決定した命令は変更できない」とのこと。
そこで副連隊長は命令系統の逸脱覚悟で、上級者である総監へ直訴するため帰宅直前の総監へ被災地の状況を報告。これを受け、総監は東京の警察予備隊総隊総監部(現;陸上幕僚監部に相当)へ連絡を入れ、そこから当時の吉田茂首相に出行要請が届き、派遣が決定。
そして、10月20日夕方に小月駐屯地から第11連隊を中心に隊員約300名が出動、26日までの約1週間、玖珂郡広瀬町(現;岩国市)で救助活動を行ないました。
ただし、当時は「災害派遣」制度が確立していなかったため、小月駐屯部隊は警察予備隊令第3条1項「警察予備隊は、治安維持のため特別の必要がある場合において、内閣総理大臣の命を受け行動するものとする」という規定に基づく首相命令によって活動でした。
これを教訓として、1952年3月3日に初めて災害派遣に関する規定が作られ、3月4日に北海道十勝沖地震に対する災害出動として帯広部隊が出動、4月17日には鳥取大火への対応として鳥取市に対して米子、姫路、千僧など複数の駐屯地から大規模な災害派遣が行われました。
8月1日に警察予備隊を改編して保安庁および保安隊の保安庁法のなかには「災害派遣」が明記され、災害派遣活動も主任務のひとつとして規定されました。
さらに1954年7月1日に防衛庁(当時)および自衛隊が発足すると、自衛隊法にも「災害派遣」が明記され、現在では「要請派遣」「自主派遣」「近傍派遣」ができるようになっています。
ちなみにルース台風災害派遣よりも前に、福知山駐屯部隊(京都府福知山市)や善通寺駐屯部隊(香川県善通寺市)が、現地部隊長の現場判断で派遣されたこともありましたが、これらは独自判断による応急措置という位置付けで、首相が出した命令によるものではないため、正式な派遣は1951年10月の小月駐屯部隊(普通科第11連隊)が初として記録されています。
毎年のように日本各地で自衛隊に対して災害派遣が要請されています。できることならば有事での出動は当然のことながらなく、災害派遣出動もない世の中であってほしいと切に願います。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
自衛隊の任務の一つに災害派遣があります。
地震、風水害、火山噴火、雪害などの自然災害、火災、海難、航空機事故、感染症などの特殊災害など対象は幅広い。初動対処には、ファストフォースと呼ばれる特別な部隊が各地で備えているほか、航空自衛隊の航空救難団、海上自衛隊の救難飛行隊なども24時間待機状態にあります。
■要請による派遣(一般的な派遣形態)
自衛隊における「災害派遣」は、「自衛隊法第83条」の規定上、都道府県知事などからの要請により部隊などを派遣することが原則。
これは、知事などが災害対策の一次的な責任を負っており、災害の状況を全般的に把握できる立場にあるため、知事などの要請を受けることが適当と考えられたことによる。また、市町村長は災害が発生し、または発生しようとしている場合、応急措置を行う必要があると認めるときは、都道府県知事に対し、災害派遣の要請をするよう求めることができる。さらに、災害対策基本法第68条では市町村長は、知事に対する要求ができない場合には、災害の状況などを防衛庁長官または長官が指定する者に通知することができる。
■自主派遣
防衛庁長官又は長官が指定する者は、特に緊急な事態で、要請を待つ時間がないとき、要請がなくても例外的に部隊などを派遣することができる。
この自主派遣をより実効性のあるものとするため、95(同7)年に「防衛庁防災業務計画」3を修正し、部隊などの長が自主派遣する基準を次のとおり定めた。
・関係機関への情報提供のために情報収集を行う必要がある場合
・都道府県知事などが要請を行うことができないと認められるときで、直ちに救援の措置をとる必要がある場合
・人命救助に関する救援活動の場合など
このほか、部隊などの長は、防衛庁の施設やその近傍に火災などの災害が発生した場合、部隊などを派遣することができる。
地震防災派遣
「大規模地震対策特別措置法」に基づく警戒宣言4が出されたときには、地震災害警戒本部長(内閣総理大臣)の要請に基づき、防衛庁長官は、地震発生前でも部隊などに地震防災派遣を命じることができる。
原子力災害派遣
「原子力災害対策特別措置法」に基づく原子力緊急事態宣言が出されたときには、原子力災害対策本部長(内閣総理大臣)の要請に基づき、防衛庁長官は、部隊などに原子力災害派遣を命じることができる。
災害派遣における主体となる陸上自衛隊は1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争によって米軍は日本駐留部隊を朝鮮半島に出動させることとなりました。そのため、日本における防衛兵力、治安維持兵力が存在しなくなったため、8月10日にGHQのポツダム政令の一つである「警察予備隊令」によって設置された組織が基になります。その後、1952年10月15日に「保安隊」に改組されます。
当時は再軍備への懸念から、警察予備隊の出動命令は内閣総理大臣しか出せませんでした。
幸運にも戦後の日本は戦禍に巻き込まれることなく現在に至っています。そのため陸上自衛隊も発足以来、実戦での出動はありません。どちらかとい、自衛隊は災害派遣(人命救助)で活動するイメージの方があります。
主な事例
北海道胆振東部地震(2018年)
平成30年7月豪雨(2018年)
大阪北部地震(2018年)
九州北部豪雨(2017年)
熊本地震(2016年)
関東・東北豪雨(2015年)
御嶽山噴火(2014年)
台風26号(2013年)
東日本大震災(2011年)
宮崎県での口蹄疫(2010年)
岩手・宮城内陸地震(2008年)
新潟県中越地震(2007年)
新潟県中越地震(2004年)
三宅島火山噴火(2000年)
ナホトカ号海難・油流出(1997年)
地下鉄サリン事件(1995年)
阪神淡路大震災(1995年)
雲仙・普賢岳噴火(1991年)
その最初の災害派遣となったのが、1951年10月の「ルース台風」での救助活動です。
ルース台風は10月14日~15日に山口県東部へ接近。これに対し山口県知事は県内に所在する警察予備隊の駐屯部隊に救援を要請。当時、山口県には下関市に小月駐屯地(現;海上自衛隊小月航空基地)所在の、普通科第11連隊(現;陸上自衛隊第11普通科連隊)でした。
第11連隊は県の災害対策本部に隊員を派遣し、情報収集を開始。その後、指示を仰ぐために上級司令部である福岡県の第4管区総監部(現;第4師団司令部)へ連絡。
しかし第4管区総監部は「首相から命令が出ていない」「自然災害で警察予備隊が出動したという前例がない」などの理由により、「出行留保(出動不許可)」とします。
当時、警察予備隊の出動許可権は首相(内閣総理大臣)にしかなく、県知事をはじめ自治体の首長からの要請があっても部隊は出動できませんでした。
一方で第11連隊には死傷者多数、家屋倒壊、食糧や医薬品の不足などの被災情報が伝わります。また、警察予備隊が出動しない(できない)状況で、岩国飛行場に駐留する米軍が被災地に食料や医薬品、毛布の提供を始めた。
そこで、第11連隊長は副連隊長を第4管区総監部へ直接説明することにし、被災地の写真枚を持ち、10月20日朝一番の急行列車で福岡に派遣。
第4管区総監部に着いた副連隊長は副総監に会おうとしましたが出張中。副連隊長は官舎で副総監の帰りを待ち、直接話し写真を見せたものの、「一度決定した命令は変更できない」とのこと。
そこで副連隊長は命令系統の逸脱覚悟で、上級者である総監へ直訴するため帰宅直前の総監へ被災地の状況を報告。これを受け、総監は東京の警察予備隊総隊総監部(現;陸上幕僚監部に相当)へ連絡を入れ、そこから当時の吉田茂首相に出行要請が届き、派遣が決定。
そして、10月20日夕方に小月駐屯地から第11連隊を中心に隊員約300名が出動、26日までの約1週間、玖珂郡広瀬町(現;岩国市)で救助活動を行ないました。
ただし、当時は「災害派遣」制度が確立していなかったため、小月駐屯部隊は警察予備隊令第3条1項「警察予備隊は、治安維持のため特別の必要がある場合において、内閣総理大臣の命を受け行動するものとする」という規定に基づく首相命令によって活動でした。
これを教訓として、1952年3月3日に初めて災害派遣に関する規定が作られ、3月4日に北海道十勝沖地震に対する災害出動として帯広部隊が出動、4月17日には鳥取大火への対応として鳥取市に対して米子、姫路、千僧など複数の駐屯地から大規模な災害派遣が行われました。
8月1日に警察予備隊を改編して保安庁および保安隊の保安庁法のなかには「災害派遣」が明記され、災害派遣活動も主任務のひとつとして規定されました。
さらに1954年7月1日に防衛庁(当時)および自衛隊が発足すると、自衛隊法にも「災害派遣」が明記され、現在では「要請派遣」「自主派遣」「近傍派遣」ができるようになっています。
ちなみにルース台風災害派遣よりも前に、福知山駐屯部隊(京都府福知山市)や善通寺駐屯部隊(香川県善通寺市)が、現地部隊長の現場判断で派遣されたこともありましたが、これらは独自判断による応急措置という位置付けで、首相が出した命令によるものではないため、正式な派遣は1951年10月の小月駐屯部隊(普通科第11連隊)が初として記録されています。
毎年のように日本各地で自衛隊に対して災害派遣が要請されています。できることならば有事での出動は当然のことながらなく、災害派遣出動もない世の中であってほしいと切に願います。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。