野球シーズンは大詰めです。
日本のプロ野球では広島東洋カープと北海道日本ハムファイターズと日本一を争っており、広島地区ではTVの視聴率が50%以上という記録や黒田選手の最終登板か? 大谷選手のサヨナラヒットなど私の中では全く盛り上がっていませんが、日本の一部では盛り上がっています。そのカープが25年ぶりのセ・リーグ優勝、32年ぶりの日本一を目指していますが、海の向こう、MLBではシカゴ・カブスが71年ぶりにワールドシリーズ進出を決め、108年ぶりの優勝を目指してクリーブランド・インディアンズとの対戦を決めています。カブスファンの方は長生きをしなければなりませんよね。
さて、カブスと言えば「山羊(ヤギ)の呪い(ビリー・ゴートの呪い)」でも有名です。カブスファンであり、地元シカゴのバー、ビリー・ゴート・タバーンのオーナーを勤めるビリー・サイアニスさんはマーフィーという名の山羊を飼っており、いつも一緒に応援に出かけていました。そして、ビリーさんはいつもマーフィーの分のチケットまで買っていました。しかし、カブスがワールドシリーズ出場を果たした1945年、デトロイト・タイガースを相手に2勝1敗として4戦目を迎えた10月6日のシリーズ4戦目、カブス関係者が今まで問題にしていなかったマーフィーの入場を拒否しました。理由はマーフィーの臭いでした。これに激怒したサイアニスさんは「カブスは2度と勝てないだろう。リグレー・フィールド(カブスの本拠地)にヤギの入場が許されるまで、カブスは2度とワールドシリーズに勝てない」と言い放って球場を後にしました。そして、カブスはこの試合から3連敗を喫してワールドチャンピオンを逃すと、それ以降2016年にリーグ優勝を果たすまで、ワールドシリーズ優勝はおろか、ワールドシリーズ出場すら果たせないままでした。1972年と1983年にはビリーさんの甥のサムが再び山羊を連れて球場へ観戦しに行ったのですが、ここでも入場を断られ、直後にカブスはリーグ首位から陥落しています。
2003年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ(フロリダ・マーリンズ戦)でカブスは、3勝2敗でマーリンズをリードし、リーグ優勝まであと1勝に迫ったカブスは地元シカゴで第6戦に臨みました。3-0で迎えた8回表1アウト二塁、あとアウト5つでした。打席に入ったマーリンズのルイス・カスティーヨ選手の打ち上げたレフトのファウルフライをカブスのモイゼス・アルー選手が捕球しに行った際、ポール際に座っていたあるカブスファンがアルー選手よりタッチの差で先にボールに触ってしまいました。
これがきっかけとなり、球場の雰囲気は一変し、客席のあらゆる方向からこの男の人に罵詈雑言が浴びせられ、球場の外に詰めかけて放送を聞いていた人々からも怒号が沸き起こります。カブスは、次々バッターのミゲル・カブレラ選手が放った平凡な遊ゴロでの併殺に失敗したアレックス・ゴンザレス選手の致命的なエラーもあり、その後8点の大量失点で敗れてしまいました。しかし、観客の怒りはヒートアップし、この男の人にビールを浴びせかける者もいたそうです。そして、負けた理由がこの男の人にあるとされ、試合後には襲撃される事件にまで発展し、6人の警官が自宅の外で警備に当たったことになったそうです。男の人は「ファールボールを捕るのに夢中になり、アルーが捕球しようと近くに来ているのに気付きませんでした。申し訳ない気持ちで一杯です」というコメントを発表しました。カブスは翌日も連敗してワールドシリーズ進出の望みは絶たれました。この試合も山羊の呪いとも言われました。
現在ほどソーシャルメディアが普及していなかったのですが、このファールボールを邪魔したファンの男の人を戦犯扱いし、妨害の際に男の人の顔がTV画面に大写しにされ、ニュースなどでも何度も繰り返して報道されたため、その男の人がシカゴ郊外に住む26歳の青年であることが、試合後にインターネット上で特定されてしまいました。さらに、シカゴ・サンタイムズ紙が職業や家を掲載してしまいます。当時、その男の人は仕事の傍らリトルリーグチームのコーチも務めていたそうです。そして、その男の人の実家には度々嫌がらせが行われ、とうとうシカゴに住むことが出来なくなってしまいました。
事はさらにエスカレートし、その男の人のお陰でワールドシリーズ進出を果たしたマーリンズの地元フロリダからは、フロリダへのバケーションや移住プランのプレゼントが提供されたり(もちろん、広告効果を狙ったもの)、TVCMのオファーも届くなど、一躍“時の人”になってしまいました。しかし、CMのオファーをすべて断り、バケーションプランなどは商品券にしてもらい、それを寄付したそうです。
当時のイリノイ州知事のロッド・ブラゴジェビッチさんは試合後、「あの馬鹿から(刑務所入りした後)保釈申請が来たとしても絶対拒絶してやる」と発言。また、シカゴ市議会議員(当時)のトム・アレンさんは、「(その男の人)アラスカ州へ移住すべきだ」と述べた。一方、フロリダ州知事(当時)ジェブ・ブッシュさんは「彼の安全を守ることを約束する」と述べ、亡命者として受け入れる用意があると明かしました。
その後、そのファウルボールは競売にかけられ、10万ドル以上の値段で、あるレストランオーナーが落札。そして、レストランで“呪いのボール”の爆破イベントなども行われました。さらに、男の人が座っていたレフトポール際の席は観光名所にもなってしまったそうです。
その後、2011年に米国TV局のESPNもドキュメンタリー「Catching Hell(地獄をつかんだ男)」(日本ではJ SPORTS「ボールと共に逃した栄光」)を放送しました。このドキュメンタリーではファウルボールの代わりに地獄をつかんでしまった男の人の人生がが明かされています。さまざまな角度からの映像から、男の人が捕ろうとしたボールの落下点は観客席だったこと、他にも何人もの観客がボールを捕ろうとしていたこと、問題のシーンが何度も流されて彼を非難する雰囲気が出来上がってしまったことを放送しました。また、捕球できなかったモイゼス・アルー選手が過剰なまでに怒りをあらわにしたことで、「妨害した」という印象が強くなったという指摘もあるそうです。
チームを応援するファンの熱狂性も行き過ぎたものになってしまうと、単なる野球ファンだった一人の人間をここまで追い詰め、その人生をこうも狂わせてしまうのかと怖くなってしまいます。
事件後、その男の人は仕事も住所も変え、公の場には一切姿を現していないそうです。2011年になって、カブスのセオ・エプスタイン球団社長は「すべてを水に流して前に進むべきである。私はいつでも彼を暖かく迎え入れる」と述べ、公式の場で対面することを望んでいるそうです。
71年ぶりにワールドシリーズ進出を決め、「山羊の呪い」が解けたカブスですが、さすがにこの事件についてファンも行き過ぎを認め、贖罪の場を設けようという雰囲気になっているようです。シカゴでの初戦となる第3戦(現地10月28日)で、その男の人を始球式に招くというプランがあるようです。
まだ、実際、これを受けたというニュースはありませんが、過ぎ去ってしまった時間とともに、取り戻せない人生をどう考えるべきか。
この男の人がまだ野球が好きで、カブスのファンで居続ければ救いはあるかも知れません。