領土問題とは、ある地域がどの国家に属するかをめぐって国家同士が主張し争う問題です。特に陸地である領土が、どの国家の領域に属するかをめぐって、国家間で戦争などが起こる場合もあります。
日本政府の主張では、「北方領土」と「竹島」は、日本の主権がおよぶ領土でありながら管轄権の一部を事実上行使することができていません。また、「尖閣諸島」においては、領有権の問題は存在していないにもかかわらず、他国・地域が領有を主張し、一方的な行動をとっています。
■北方領土
江戸時代に松前藩は17世紀初頭から北方四島を自藩の領域として認識し、徐々に統治を確立します。1855年にロシアとの間に「日魯通好条約」が結ばれ、択捉島とウルップ島との間に国境が法的に画定され、それ以降、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島から成る北方四島は一度も他国の領土になったことはありません。
1945年8月9日、旧ソビエト連邦は、当時まだ有効だった「日ソ中立条約」に反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾して降伏の意思を明確にした後に北方四島を占領しました。終戦時の北方四島には3124世帯、17291人の日本人が暮らしていましたが、1948年までには全員が強制退去させられました。
その後、日本政府と旧ソ連・ロシア政府との間で交渉が行われ、今日に至るまで継続しています。
■竹島
日本が初めて国家として竹島の利用を認めたのは、江戸時代、17世紀初め。江戸幕府は鎖国政策をとりますが、竹島への渡海は認められていました。そして、17世紀半ばには、竹島に対する領有権を確立しています。1900年頃から、民間の竹島利用が活発になり、1905年、日本政府は閣議決定により竹島を島根県に編入し、領有意思を再確認しました。
戦後、連合国との間で平和条約が結ばれるまで、日本は占領下に置かれ、1946年1月に行政権の一時停止(1952年4月失効)、1946年6月に竹島への接近禁止(1952年4月解除)となりますが、1947年頃から米国は平和条約の試案の作成をはじめ、1951年4月25日に米英共同により、竹島が日本領であるとの認識を踏まえた草案が作成されます。
これに対して、韓国が修正を要請するものの、米国は竹島が韓国に領有されたことはなく、日本領と回答。要請が聞き入れられなかった韓国は、強硬手段を発動し、1952年2月11日から韓国による占拠が続いています。
■尖閣諸島
19世紀後半まで、尖閣諸島は、どの国にも属さない琉球周辺の無人島でした。1868年の明治維新後、東シナ海周辺情勢の複雑化とともに、明治政府にとって尖閣諸島を含む日本周辺離島の位置づけを明確にすることは重要な課題となっていました。1880年代に入り、清仏戦争(1883~1885年)や巨文島事件(1885年4月)など、欧米列強の進出とともに東アジアの緊張が高まり、その重要性が一段と高まりました。
そして、1895年1月14日に漁業者取締の必要性から、国標建設、沖縄県所轄を閣議決定し、現在に至っています。
いずれにしても、関係国がお互いに自国の領有権を主張するばかりで、その争点がなかなか見えてこないのが現状です。歴史的事実と道理にたち、協力あるいは共存することで平和的に解決できないものでしょうか。
さて、関係国間の重大な外交問題には発展せずに済んだ領土問題が、2021年4月に欧州でありました。
ベルギー王国とフランス共和国の国境は全長約620kmあります。この国境はフランス皇帝ナポレオン1世が1815年にワーテルローの戦いで敗れた後、1820年に調印されたコルトレイク条約で確定しています。ところがこの国境を示す石のうち、約締結前の1819年に設置された石が最近、2.29m離れた場所に移動しているのが見つかったのです。
石を動かしたのはフランスと国境を接するベルギーのエルクリンヌ村の農家の男性。自分の土地の畑にあった石がトラクターで畑を耕すのに邪魔だからと、邪魔にならないように自分の畑に沿ってフランス領土側に移動させたのです。このことによって、ベルギーの国土は約1000m2広くなったのです。
エルクリンヌ村のダヴィド・ラヴォー村長は、「私は嬉しかった。自分の村が大きくなったので。でも(フランス側の)ブージニー・シュル・ロック村の村長は、面白くなかったようだ」「国境は元の場所に戻す。我々にベルギーを大きくしてフランスを小さくする意図はない」と笑いながら話しています。
一方のフランスのブージニー・シュル・ロック村のオレリー・ウェロネク村長は、「両国はこれまでうまくやってきた。従って現時点で重大な懸念はない」「国境戦争の再発は避けられそうだ」と話しています。
日本を取り巻く環境では夢のような話ですね。
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