鳥取県立米子東高等学校。国公立大に多数の合格者を出す鳥取県内屈指の進学校の米子東高。春の選抜大会への切符を23年ぶりに手に入れました。
県勢最多となる9回目の選抜大会出場となり、春夏合わせて22回目の甲子園出場となります1950年代後半と1990年代にかけて甲子園に出場し、「山陰の雄」と呼ばれ、そのプレースタイルは、試合中に見せる洗練されたマナーを含めて「実力と品位の野球」として多くの人々の心を掴み、「米東(べいとう)」の愛称で親しまれる公立校です。
1960年春の選抜大会では、県勢の最高成績である準優勝を達成。夏の地方大会は、1915年の第1回大会から現在に至るまで、一度たりとも欠かすことなく出場している、全国でも15校しかない“皆勤校・レジェンド校”でもあります。また、同校OBで、現在チームを率いるのが紙本庸由(かみもと のぶゆき)監督です。
今回のチームのベンチ入りメンバーはわずか16人。平日の練習時間は3時間程度。練習環境は、部員不足に悩む多くの地方公立校と変わりません。
紙本監督は2013年の5年前に新監督として米子東高に赴任し、保健体育科を教えています。年齢は38歳と若い方です。
高校時代は二年生夏からキャッチャーで1999年の春季県大会優勝し、この年には秋、春連続で中国大会に出場しています。その後、鳥取大ではピッチャーとして活躍し、中国リーグ2部優勝に貢献しました。
卒業後、米子東高で3年間コーチを務めた後、倉吉農高、境港総合技術高、倉吉東港でコーチを歴任。6年ぶりの母校復帰となりました。
紙本監督は米子東高の近くの小学校に通っていたこともあり、幼少期からよく練習を見ていました。当時は第2次黄金期と呼べるほどの時代だったそうで、「絶対に自分もここで高校野球をやるんだ!」と決意していたそうです。そして、中学時代には「俺は将来、東高で監督をする!」と目標を持っていたとのことです。
ただし、全国的な流れと同じく、私立校の台頭や体育系の学科を持つ公立校などに押され、進学校である米子東高は1996年春の選抜大会を最後に甲子園から遠ざかってしまいました。また、2008年から2012年までの5年間の夏の県大会はすべて初戦敗退という状況でした。
その状況でコーチとして臨んだ2013年夏にも敗け、夏の初戦連敗が6年になった大会後に監督に就任しました。紙本監督は「正直この状況は厳しいな」という戸惑いの方が大きかったそうです。ただ、約9年間のコーチ経験から「こうすれば甲子園に行けるのでは」という青写真は描けていたとのことです。
「まずやらなければならないのは、『何をやるべきかを“科学的知見”に基づいて決める』ことだと思っていました。くわえて、強くなるための方法を“細分化”していくこと。たとえば打力を上げるためには、強打者が持つレベルの体と、適切な打撃フォームの両方が必要になってきます。体を大きくしようと思ったら、そのために必要なトレーニングと栄養管理について専門家に学ぶ。打撃フォームについては、動作改善の専門家に教えを請う。各分野に精通している方々から知見を得て、その上で練習を練り上げることが、勝つための近道だと」
安易に強豪校の真似ではなく、選手たちの自主性向上を工夫して、「『これをやりなさい』という指示だけでは、指導者がいるときは一生懸命やっても、目を離した途端にやらないようになってしまいます。そうではなく、こちらが見ていないときにも自発的に練習に向かう選手にするには、『こんな選手になりたい』、『野球を通じてこんなことを実現したい』という“内発的動機づけ”が不可欠。そのために“目標設定”と“コーチング”が必要になってきます」と、コーチングや教育学者が提唱する目標達成メソッドについて紙本自身が学び、認定講師の資格も取得したそうです。
方向性の定まった練習と、選手個々の高い自主性によって、チームは公式戦の結果として変化し始めます。
監督就任翌年の2014年夏に初戦連敗をストップ。秋には10年ぶりの中国大会出場を果たします。2017年には、1991年以来となる夏の県大会決勝に勝ち進み、甲子園にあと一歩となりました。そして、昨年秋に23年ぶりの中国大会決勝進出。1996年春の選抜大会以来の甲子園出場が決まりました。
これで古豪復活と取り上げられますが、紙本監督は「米子東は一度甲子園の決勝まで勝ち進んだチーム。そこと同じ場所、”甲子園の決勝”に戻ったときが、本当の意味での復活だと思っています。そこに向けた第一歩が今回の選抜。選んでいただけた場合、23年ぶりの校歌を歌うために本気で勝ちに行く。これが復活へのスタートになるはずだと」と自己評価は厳しいです。
また、紙本監督は公立校の教員である以上、いずれ異動することになります。そうなったときに、「監督が代わったから勝てません」となるチームでは復活とは言えず、監督が交代しても強さが永続的に続いていくような練習環境、現場、学校、OB会、保護者会が一体となって甲子園を目指す組織の土台作りが、母校の監督を任せてもらった役目だと考えているそうです。
鳥取県の人口は全国でダントツに少なく、野球部の部員数も全国最少。そして甲子園で成績を残せていないことも事実です。もちろん勝利がすべてではありませんが、県民としては期待したいところでしょう。
米子東高と鳥取西高によってけん引してきた高校野球。再び鳥取県の両雄によって、新しい時代の高校野球をけん引していくことを期待したいです。
選抜大会出場おめでとうございます。
お時間があれば、2016年5月の「鳥取県立米子東高等学校 硬式野球部 岡本利之元監督(https://blog.goo.ne.jp/full-count/e/2b8f48214be8c1f533bb0c3746ce25dd)」もお読みください。