4月8日は、仏教の開祖・お釈迦さま(本名;ゴータマ・シッダッタ・ブッダ)が生まれた日であり、世界の仏教国、もちろん日本でも全国各地のお寺で行事が開催されます。日本では、推古天皇の時代から、「灌仏会(かんぶつえ)」「仏生会(ぶっしょうえ)」「浴仏会(よくぶつえ)」「降誕会(ごうたんえ)」などの名前を持つ法要であり、戦後に、「花まつり」という呼び名で広まりました。
お釈迦さまですが、「釈尊(しゃくそん)」「仏陀(ブッダ)」など、いろいろな名前で呼ばれていますが、実は呼び方が違うだけで、いずれも同じ人のことです。
さて、お釈迦さまですが、「悟り」を開いて涅槃(ねはん:煩悩 (ぼんのう) の火を消して、智慧 (ちえ) の完成した「さとり」の境地。一切の悩みや束縛(そくばく)から脱した、円満・安楽の境地。仏教で理想とする、仏のさとりを得た境地)に入られ、仏様となられた、人類史上初の方でもあります。
お釈迦さまは、一国の王子として生まれたのですが、当時のインドでは非常に厳しいカースト制度(日本でいうところの、江戸時代での「士農工商」のようなもの。わからない良い子のみなさんは、学校の先生に聞いてみてくださいね)であり、生きていくことが苦しいと人々が思っていたそうです。また、「生まれてきた者は、年老いて、病気にもなり、そしていつか必ず死んでしまう」という、誰一人として逃れることのできない問題に深く思い悩み、29歳となったある日、お釈迦さまはこれらの苦しみの解決方法を求め、修行をすることを決意します。王子としての立場や地位を捨て、奥さんや子どもからも離れ、すべてのものを捨てて旅立ち、答えを見つけようと、過酷な修行を自らに課し続けます。
そして、菩提樹(高さ20m以上に生長する常緑高木)の下で静かにこれまでを振り返り、「極端な生活は極端な考え、心を生み出してしまう」と気づき、これをきっかけに、ついに苦から解き放たれた「さとり」の境地に達し、ブッダ(さとりを開いた人の意)となったのです。お釈迦さまが35歳のときでした。
この、さとりについて、一緒に修行した5人の僧侶に伝えたお釈迦さまは、その後、生涯に渡り、各地方へと教えを説いてまわりました。
さて、今でもたまにニュースやインターネットなどで話題になっている誹謗中傷、いわゆる批判的なレスやコメントが殺到して、「炎上」と呼ばれる現象ですが、欧米では、ほとんど見られない現象だそうです。先日書いた「〇〇警察」と同じような現象なのかもしれません。日本では、どちらかというと、ほかの人と同じであれば平和で安心し、違ったりするとなかなか認めないという文化があるのかもしれません。
新年度になって、新しい生活を始める学生さんや社会人さんたちは多くいらっしゃると思います。楽しいことや嬉しいことだけではなく、その逆のことも少なからずあります。そんな中で悪口をいう人もいることでしょうし、一方で悪口をいわない人もいます。
そこで、お釈迦さまのさとりの1つエピソードを紹介しますので、参考にしてみてください。
お釈迦さまが尊敬される姿を見て、ひがんでいる男がいました。
ある日、その男は「釈迦の野郎、きっと俺に悪口を言われたら、汚い言葉で言い返してくるだろう。その様子を人が見たら、あいつの人気なんて崩れるに違いない」と考え、群衆の中でお釈迦さまをののしりました。しかし、お釈迦さまは、ただ黙って、その男の言葉を聞いていました。
弟子たちは悔しい気持ちで、「あんなひどいことをいわせておいていいのですか?」とお釈迦さまに尋ねました。それでも、お釈迦さまは、何もいい返すことなく、黙って、その男の言葉を聞いていました。男は一方的に、お釈迦さまの悪口をいい続けていましたが、お釈迦さまが何もいい返さないので、男は黙ってしまいました。そして、お釈迦さまはこういいました。
弟子:悪口をなぜ無視するのですか?
釈迦:贈り物は受け取らなければどうなりますか?
弟子:送った人の元へ戻ります
釈迦:悪口も同じです。受け取らなければ、相手に戻ります
さすがというか、何というか、お釈迦さまは悟っています。俗世間で煩悩まみれの私なんぞとは、次元も何もかも違います。
でも、お釈迦さまのように、強い心を持つことは難しいと思いますが、どんな言葉でも自分にいつかは返ってくるなら、悪口ではなくて良い言葉を発するようにしたいものです。
今日も、私のブログにお越しいただいてありがとうございます。
今日がみなさんにとって、穏やかで優しい一日になりますように。そして、今日みなさんが、ふと笑顔になる瞬間、笑顔で過ごせるときがありますように。
どうぞ、お元気お過ごしください。また、明日、ここで、お会いしましょう。