野球小僧

残 ノーベル文学賞 村上春樹 / 小説家

「でも僕は暇があれば(だいたい暇だった)神宮に行って、一人で穏やかにアトムズを応援していました。勝つよりは負ける方が遥かに多かったけど(三回に二回は負けていたような気がする)、外野席の芝生にごろんと寝転んで(当時はまだ座席もなくて、しょぼくれた芝生のスロープだった)、ビールを飲みながら野球を観戦していれば、それでけっこう幸福でした。『まあ人生、負けることに馴れておくのも大事だから』と諦観していました(それは今でもときどき思うけど)。」

日本時間2019年10月10日の夜に発表となったノーベル文学賞。

村上春樹さんはまたも受賞なりませんでした。

まるで何度も県大会決勝にまで進出しているにも関わらず、あと一勝というところで甲子園を逃しているという感じでしょうか。でも、本当の野球好きなら分かる、どんなチームでも負けます。野球では勝つことよりも負けることの方が多いのですから。

『季刊誌「考える人」 新潮社 2010年夏号』

「甲子園球場も自転車に乗ってすぐだったから、高校野球の間はほとんど毎日見に行っていました」
兵庫県西宮市で暮らしていた村上さんは少年時代に甲子園球場によく通っていたそうです。

『ねじまき鳥クロニクル 第2部・予言する鳥編』(新潮文庫)

「子供のころ、野球場の上の方に座って、夏の日が暮れなずんでいく様を眺めるのが好きだった」
東京・世田谷区の住宅地にある井戸の底で、主人公が少年時代を思い起こしている場面です。これは村上さん本人の記憶だと言われています。

「ねぐらに帰る鳥たちが、小さな群れを作って海の方に向かって飛んでいくのが見える」
というくだりは、阪神甲子園球場の光景とのことです。

「まだほんの小さな子供のころに、セントルイス・カージナルスが親善試合に来日した。僕は父親と二人で内野席でその試合を見ていた」
これは、1958年11月3日に阪神甲子園球場で行われた、セントルイス・カージナルス vs. 全日本の第7戦とのことです。この試合、全日本は広岡達朗さん(読売ジャイアンツ)のホームランなどで3点を先攻、小山正明さん(阪神タイガース)が好投したものの、延長10回3-6で敗れています。

実は、この試合の2週間前の10月21日に村上さんは甲子園球場の土を踏んでいます。当時、村上さんは香櫨園小学校の四年生で西宮市の第2回小学校連合体育大会に出場していたそうです(現在は市内の六年生だけですが、当時は四〜六年生が参加)。つまり、村上さんは3度、甲子園の土を踏んでいるのです。

ちなみに、日本プロ野球界で一年夏から3年連続夏の甲子園に出場したことのある選手は5人います。そのうち全国制覇を経験した選手は2人です。
森岡良介(高知・明徳義塾高) 2000年~2002年
坂克彦(茨城・常総学院高) 2001年~2003年
加藤政義(宮城・東北高) 2003年~2005年
岡田俊哉(和歌山・智弁和歌山高) 2007年~2009年
西川遥輝(和歌山・智弁和歌山高) 2008年~2010年

村上さんのお父さんは兵庫・甲陽学院高で国語(古文)の教師を務めていて、阪神タイガースのファンだったそうです。大阪出身のお母さんもタイガースファンで、息子と同じ名前の吉竹春樹さんにファンだったそうです。村上さんもファンクラブ「タイガース子供の会」に入会していました。

しかし、高校を卒業して上京してからはヤクルトスワローズ(当時はサンケイアトムズ)ファンとなりました。現在でも東京ヤクルトスワローズの公式HPのファンクラブ名誉会員として、出川哲郎さん、さだまさしさんと名前を連ねています。

『球場に行って、ホーム・チームを応援しよう』

「僕は子供の頃、阪神間に住んでいたので、暇があれば甲子園球場に試合を見に行きました。当然ながら小学校の頃は『阪神タイガース友の会』に入っていました(入っていないと学校でいじめられる)」

『走ることについて語るときに僕の語ること』(文春文庫)

「僕が『そうだ、小説を書いてみよう』と思い立ったのはその瞬間のことだ。晴れ渡った空と、緑色を取り戻したばかりの新しい芝生の感触と、バットの快音をまだ覚えている。そのとき空から何かが静かに舞い降りてきて、僕はそれを確かに受け取ったのだ」

1978年4月1日のこと、明治神宮野球場でプロ野球開幕戦、ヤクルトスワローズ vs. 広島東洋カープを外野席の芝生に寝そべり、ビールを飲みながら観戦中のこと、1回裏、スワローズの先頭バッターのデイブ・ヒルトンさんが左中間に2ベースヒットを打った瞬間、晴れた空に響いた快音に「そのとき空から何かが静かに舞い降りてきて」、村上さんは「『そうだ、小説を書いてみよう』と思い立った」というのです。

この年、スワローズはリーグ優勝を果たしました。日本シリーズ前に、東京・広尾のスーパー前で奥さんと幼い息子を連れたヒルトンさんを見かけてサインをもらった時、自分と年齢の近い米国人青年に感じた、ささやかな輝きと幸福感を『デイヴ・ヒルトンのシーズン』につづっています。

そして、村上さんは翌1979年『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受け、作家としてデビューしました。

村上さんは野球観戦のルールとして
1. できるだけ球場に足を運んで試合を見る
2. その球場のホーム・チームを応援する
3. 強いときも弱いときも、同じように応援する
というものです。

負け続けた分、勝ったときの嬉しさは、同じ1勝なのに何倍、何十倍という感じがします。その日がやってくるまで。


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