野球小僧

この道をいけばどうなるものか / アントニオ猪木

この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ
アントニオ猪木さん / 1998年4月4日の引退試合後のマイクパフォーマンスより

さて、道にはいろいろありますが、日本において全国的な主要幹線道路となる「国道」は、国が道路法に基づいて政令で指定した道路であり、その他の道路がそれを補完して、道路網が構成されています。

正確には一般国道と高速自動車国道との総称なのですが、単に国道といった場合には、一般国道のことを指していることが多く、主な都市と都市を結ぶ道路、高速道路と連絡する機能を持つ道路、主要港湾や空港をつなぐ道路などが指定されています。

そもそも、日本での国道は明治時代の1876年に、「一等国道(東京日本橋から横浜港、大阪港、神戸港、長崎港、新潟港、函館港の各開港場まで)」、「二等国道(東京と伊勢神宮および、東京、大阪、京都の各府と陸軍の司令部であった東京、大阪、名古屋、仙台、広島、熊本)」、「三等国道(東京と各県庁所在地ならびに、各府と各鎮台同士)」にわけられ指定されました。。

1885年に等級制度が廃止され、代わりに1号~44号までの番号が振られ、いわゆる「明治国道」と呼ばれる路線が制定されました。しかし、1919年に戦前の道路整備の基本法となった道路法が公布され、明治国道の路線は廃止され、いわゆる「大正国道」として、1号~64号までが新たに定められ、戦争終結時までに最終的には計82路線が制定されました。

そして、1952年に道路法が全面改正され、それまでの国道路線は廃止され、道路は国道、都道府県道および市町村道の3種類に分けられ、国道は、いわゆる「昭和国道」とよばれる「一級国道(国土を縦貫し、横断し、又は循環して全国的な幹線道路網の枢要部分を構成し、かつ、都道府県庁所在地などを連絡する道路)」と二級国道(都道府県庁所在地および重要都市を相互に連絡、港湾法で特に規定された港または指定された重要な飛行場、国際観光上重要な地と一級国道とを連絡する道路)に2つにわけられ、一級国道は、1番から順番に番号が振られ、1号~40号が指定され、二級国道は101番以降とされ、101号~244号が指定されました。

番号順については、基本的に北から南へ数字が大きくなるようにされましたが、北海道については最後に回されたため、正確には本州東北地方 - 中国地方、四国、九州、北海道の順に採番され、東京・日本橋を起点に東海道に相当する路線が1号、山陽道に相当する路線が2号、九州中部を南北に縦貫する路線が3号となりました。

1959年と1963年に見直しが行われ、二級国道から一級国道に14路線が変更され、41号~57号の一級国道が追加され、空き番号となった二級国道の一部は欠番となりました。

ところが、1965年の道路法の改正により一級、二級国道が統合され、一般国道に改められ、1970年に追加指定が行われ、このときから北海道、本州、四国、九州の順に採番されるようになり、1972年5月には沖縄県に58号と国道329号~332号が指定され、現時点までに507号まで採番されています。

このような歴史があり、今となっては国道番号はほとんど規則性が見えない状態になっているのです。さらにいえば、国道には中途半端な欠番が残っており、59号~100号、109~111号、214~216号は日本には存在していないのです。

さてさて、「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」ですが、一般的には一休宗純さんの言葉としてされています。

しかし、一休さんの言葉であることを示す根拠となる資料は、発見されていないそうです。
・「一休和尚全集1~4巻」 → 該当する漢文はない
・「一休さん一〇〇話」(牛込覚心さん著) → 記載なし
・「一休道歌」(禅文化研究所) → 記載なし
・「猪木寛至自伝」(アントニオ猪木さん著) → 一休さんの言葉だと書かれていますが出典については明記なし

では、実際、誰の言葉かといいますと、清沢哲夫さん(のちの暁烏哲夫さん)の「道(初出「同帰」第335号1951年10月1日発行)」とのことです。

此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ
危ぶめば 道はなし
ふみ出せば その一足が 道となる その一足が 道である
わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ

なお、国道といえばほとんどは整備されている道が多いのですが、中には、落石や崖崩れの危険性から大雨のたびに通行止めになる、積雪で冬季通行止めになる、車のすれ違いが困難な狭隘、車の通行が不可能な道、オフロードなどの道があり、さらに、登山道のような道、海上などの物理的な道すらない区間もあります。これらは、「酷道」とも呼ばれていたりします。

現代は情報社会ですので、事前にこのような道は調べればわかりますが、行ってみなければわからない、自分の目で見なければわからないことが、まだまだあります。

人生だって誰もが悩み迷い、困難の連続となることがあります。でも、それは自分だけのことではありません。行った先の結果なんて誰にもわかりません。行ってみて(終わってみて)始めて良かった、失敗したとわかるものです。

だからこそ、その生を生きる、「今」を受け入れて、自らを大切にし、しっかりと今を生きていきましょう。

■外出の際は、手洗い、咳エチケット等の感染対策や、「3つの密」の回避を心掛けましょう。
■新型コロナウイルス感染対応を呼び掛けている場所やお店などがある場合は、指示にしたがいましょう。
■お出かけの際は、各施設、イベントの公式ホームページで最新の情報を確認しましょう。

私のブログにお越しいただいてありがとうございます。また、明日、ここで、お会いしましょう。

コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。

元気ですかー!元気があれば何でもできる!

人間、元気までなくしてしまったら、できるはずのこともできなくなってしまいます。ですから、心も身体も健康で、いつまでも元気でいたいですよね。

ただ、あまりにも元気すぎて、「人の道」を外すようなことは、いけませんよね。

2020年の残りと、2021年がいい年であるように、 行くぞー!1・2・3・ダァ~~~!!!
eco坊主
おはようございます。

道路法のことはよくわかりませんがアントニオ猪木氏の『道』については知ってます。
1998年4月4日東京ドーム VSドン・フライ戦のあとですね。
その後も事あるごとに使わせていただきました。
色んな道はありますが一歩を踏みだして道を作ることは私にはできませんが、「人の道」だけは外さないようにしたいと思います。

 長い人生にはなあ
 どんなに避けようとしても
 どうしても通らなければ
 ならぬ道
 というものがあるんだな
そんなときはその道を
だまって歩くことだな
愚痴や弱音は吐かないでな
 黙って歩くんだよ
 ただ黙って
 涙なんか見せちゃダメだぜ
  そしてなあその時なんだよ
  人間としてのいのちの
  根がふかくなるのは          みつを


 
感謝の気持ちを常に抱き事実を見つめて冷静な言動をしながら「今」を生きます。
ここにお越しの皆様もどうかお気をつけください。
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