タイガー・ジェット・シンさん(Tiger Jeet Singh、本名:Jagjit Singh Hans)は、1970年~1990年代に頭にターバンを巻いて、フェンシングのサーベルを振りまわす姿で会場を練り歩き、観客が逃げ惑う姿は新日本プロレスの名物的光景となり、一世を風靡した悪役レスラーです。一方で、ときに正統派レスリングを見せ、アントニオ猪木さんらトップクラスのレスラーにも勝利もしています。
シンさんを一躍有名にしたのは、現代では考えられない1973年11月5日の東京・新宿伊勢丹前の「猪木襲撃事件」です。シンさんは外国人レスラー数名と組み、買い物中だったアントニオ猪木さんを新宿伊勢丹前で襲撃し、猪木さんは負傷・流血しました。この事件には諸説あり、偶然説、待ち伏せ説、新日運営の陰謀説、そもそもすべてが筋書きどおりだった説などがありますが、真相はわかっていません。
ただし、この事件がきっかけとなり、以後、猪木さんはリング上で制裁を加えると公言し、猪木 vs. シンの試合は「因縁の闘い」として世間の注目を集めることとなり、新日本プロレスをメジャー団体への階段を登っていきます。
事件直後の1973年11月16日、北海道札幌中島スポーツセンターで超満員の中、猪木さんとの一騎討ちが実現。両者大流血の喧嘩ファイトとなります。そして、11月30日に広島県福山市体育館で日本初のランバージャックデスマッチ(リングの四方をセコンドが囲み、リングから落ちた選手を押し戻す試合形式)が行われます。
1974年6月、NWF世界ヘビー級王座に就いていた猪木さん(当時)とのタイトルマッチ2連戦は、両者の遺恨がピークに達した試合といわてました。6月20日の東京都蔵前国技館の一騎打ちでは、シンさんが猪木さんの顔面に火を放ちサーベルで滅多打ちにして負傷させ、猪木さんはタイトルこそ反則勝ちで防衛したものの、その傷が完治しないまま、6日後の6月26日には大阪府立体育館で襲撃事件と並んで語られる事件、「腕折り事件」が発生します。
この試合での60分3本勝負では、1本目がシンさんの徹底した反則攻撃により猪木さんが大流血した挙句、両者リングアウト。2本目に猪木さんの怒りが頂点に達し、シンさんの右腕に狙いを定めると鉄柱攻撃やアームブリーカーなどで集中的に攻め続け、最後には腕を負傷して戦意喪失したシンさんの右腕をアームブリーカーで折ってしまいました(腕または肘の亜脱臼ともいわれています)。た。そして、ドクターストップにより、猪木さんがタイトルを連続防衛し、ここに両者の遺恨に一旦終止符が打たれました。
シンさんと猪木さんの試合は、一歩間違えればレスラーどころか生命そのものに関わるものでしたが、お互いが共栄していくためには、超えてはならない一線を超えることも仕方がないとする暗黙の了解があったとされています。当時のシンさんは日本でトップヒールとして開花したいという想い、猪木さんは日本プロレスを追放され、ライバルの全日本プロレスに追いつき追い越したいという想いがあり、両者の強烈なハングリー精神が共感していたと思われます。
さて、腕折り事件から2年後になる1975年3月13日、広島県立体育館で行われたNWF世界ヘビー級選手権。1本勝負だったこの試合、シンさんの凶器攻撃はあるものの、いつものような暴走は少なく、最後にブレーンバスターでシンさんが勝利し、NWFヘビー級王座に就きます。
当時、どこまでが狂気であって、何が本気であったのかはわかりませんが、日本国外や地元カナダ・トロントではベビーフェイスとして活躍をしており、プロレス以外の様々な事業を経営しています。プロレス業界のみならず、財界、政界とも繋がりがあり、北米インド人社会では最も著名な人物の一人でもあります。
元;新日本プロレスのレフェリーのミスター高橋さんは著書の中で、シンさんが狂人どころか非常に聡明で紳士的な人間であり、インド社会では名士として知られており、インドで募金活動をするなど、善意や篤志もあるなどヒールとしてのキャラクターは完全に演技であることを明かしています。
そんなシンさんは、東日本大震災で被災した子どもたちへの支援などに取り組んできており、先日、長年暮らすカナダで日本の総領事から表彰されました(NHKのニュースでも報道されました)。
シンさんは、発災当時のニュースに大きなショックを受け、「TVで流れる地震や津波の映像を見て泣いた。涙を抑えることができなかった。そしてすぐ日本の友人たちに電話を掛けた。仙台エリア、福島エリア・・・。だが、どこも電話はつながらなかった。本当にショックだった。亡くなった友人たちもいて、とてもショックで本当に辛かった」と当時のことを語っています。
そして、復興支援にリストバンドを作成し、その売り上げを寄付するといった活動を始めました。「タイガー・ジェット・シン基金」はシンさんの息子さんが代表と運営を務めているそうです。
長年暮らすカナダでは、自分の名前がついた財団を通じ社会貢献活動に取り組んでいて、10年前の東日本大震災の直後にはおよそ2万カナダドル、日本円で160万円以上の寄付金を集め、被災地の子どもたちにおくっています。こうした功績をたたえ、トロントの日本総領事は2021年2月25日、タイガー・ジェット・シン財団を表彰しました。
オンラインで行われた式典で総領事は、「被災地の子どもたちを支援してくださったことは、決して忘れません」と感謝の気持ちを述べ、表彰を受けたシンさんは「津波の被害について聞いたときは胸が張り裂ける思いでした。49年間もの時間を過ごした日本の子どもたちのために、とにかく何かしなければと思いました。近いうちにまた日本を訪れたいです」と話しています。
タイガー・ジェット・シン財団は今後も被災地の子どもたちなどを支援するため、さらに2万カナダドルを寄付することにしているそうです。
「我々は誰もがみな神の子であることを信じていて、日本人もイスラム教徒も、シーク教徒もキリスト教徒も、そこに何も違いはなく1つのファミリーだと思っている。そういう信条のもとに息子は学校やレストランを運営して、カナダや日本の子どもたちをサポートしているんだ」
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