NHK・FMでは、プロレスファンがワクワクする瞬間であり、その選手の入場曲がかかると自然に手拍子やコールが起こり、会場は一気に熱気を帯びる、プロレスファンにはたまらない、プロレスファン以外にはなんの面白さもない時間です。
そのプロレスラーの代名詞である「入場曲」を特集した番組「今日は一日“プロレス格闘技入場曲”三昧」を、本日、2022年4月30日に約8時間(一時中断あり)にわたって放送します。なんと約8時間です。昔のNHKではあまり考えられない企画ですが、ちょっと前にもNHK・ラジオ第一でもプロレス入場曲特集を真夜中に放送していたことがありました。
2022年はプロレス格闘技界にとって、アントニオ猪木さんが旗揚げした「新日本プロレス」と、ジャイアント馬場さんが創設した「全日本プロレス」がそれぞれ50周年を迎えるメモリアルイヤーです。4月16日に開催された「後楽園ホール60周年還暦祭」では、新日本プロレスと全日本プロレスが夢の共演を果たしています。
この節目の年にNHKでは、往年の名曲から最新の曲までプロレス&格闘技の入場曲を一挙紹介。しかも、生放送というものです。入場曲以外では、テレビ朝日系(新日本プロレス)のTV放送で人気を集めた古舘伊知郎さんと、日本テレビ系(全日本プロレス)で実況していた倉持隆夫さんによる対談も生放送もあるそうです。
ゲスト 生出演
古舘伊知郎さん、倉持隆夫さん、天龍源一郎さん(聞き取れるかな?)、川田利明さん、増田英彦さん、岡田圭右さん、鈴木修さん、田中ケロさん(回復されてよかったです)、木原文人さん
永田裕志選手(新日本プロレス)、宮原健斗選手(全日本プロレス)
メッセージ
スタン・ハンセンさん、ドリー・ファンク・ジュニアさん、大仁田厚さん、長与千種さん、小橋建太さん、ジェイク・リー選手(全日本プロレス)
などの方々の出演が予定されています。
さて、この入場曲という演出を取り入れたのは、今はなき国際プロレスを放映していた東京12チャンネル(現;テレビ東京=テレ東)です。最近、テレ東は千葉ロッテマリーンズ・佐々木朗希選手の完全試合後の試合を放送したりしていますが、地味ながらそもそもスポーツ番組には力を入れており、1974年には日本初の「サッカーワールドカップ」決勝戦の「西ドイツ vs. オランダ」を衛星生中継したり、「ドーハの悲劇」といわれている1993年10月28日「日本 vs. イラク」を放送したりしています。また、今では正月恒例のビッグイベントとなっている「箱根駅伝」を1979年に最初にTV中継したのもテレ東です(日本テレビは1987年から)。
さてさて、テレ東は1974年9月の国際プロレス中継の放映開始に際して外国人選手のエースとして初来日したビリー・グラハムさんの入場にカール・アンダーソンさんの「ジーザス・クライスト・スーパースター」をかけたのです。これは当時の国際プロレスのマイティ井上さんのアイデアでした。井上さんはドイツでの試合に出場したとき選手それぞれに入場曲が付けられていたことを番組プロデューサーに話したのがきっかけだったとのことです。ちなみに井上さんがドイツで使っていた入場曲は、ちあきなおみさんの「四つのお願い」だったそうです。
その後、1975年10月30日に蔵前国技館で行われた全日本プロレスのジャンボ鶴田さんとアブドーラ・ザ・ブッチャーさんが試合をしたときに、鶴田さんの入場の時だけフランスのディスコグループ・バンザイの「チャイニーズ・カンフー」が使われたのが入場曲の最初でした。
そして、1977年2月にミル・マスカラスさんが来日。日本テレビが英国のバンド、ジグソーの「スカイハイ」を「仮面貴族ミル・マスカラス」のテーマ曲として使用。スカイ・ハイはもともとは映画のテーマ曲として1975年のリリースされており、米国ではビルボードの3位に入るヒットを記録していましたが、日本ではほとんど話題になりませんでしたが、当時のディスコブームで地味(?)に全国のディスコでかけられるなかで、偶然耳にした日本テレビの番組ディレクターが「ミル・マスカラスのイメージにピッタリ!」と閃き、入場曲として使用したところ、曲とマスカラスさんのキャラクターがマッチして爆発的なマスカラス・ブームが起こり、プロレス入場曲が注目されるようになりました。
日本では1977年のオリコン洋楽チャートで11週連続1位を記録し、総合部門でも最高2位。ちなみに、1位はピンク・レディーの「カルメン'77」です。
新日本プロレスで最初にテーマ曲を使用したのはアントニオ猪木さん。1976年6月26日に日本武道館で猪木さんと格闘技世界一決定戦を戦ったプロボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリさんが自身の伝記映画「アリ・ザ・グレイテスト」のメインテーマで、ラテン・ファンク系バンドのマンドリルが演奏する「アリ・ボンバイエ」をプレゼントし、1977年夏ころから猪木さんのテーマ曲「炎のファイター」として使われるようになりました。
初の選手オリジナル曲は1977年に人気上昇していた兄弟タッグ、ザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニアさん、テリー・ファンクさん)の入場曲のクリエイション「スピニング・トー・ホールド」です。この曲はクリエイションの竹田和夫さんがプロレスファンだったことから作られた楽曲で、タイトルを同じく必殺技とするザ・ファンクスの入場曲に相応しいのではという視聴者の投書がキッカケだったそうです。
1977年12月15日の「世界オープン・タッグ選手権」(世界オープンタッグ選手権 1977年12月15日(12月24日放送) - 野球小僧 (goo.ne.jp))でアブドーラ・ザ・ブッチャーさん&ザ・シークさん組を破って優勝したときのことは記憶に残っているといます。
そういえば、「入場曲」というテーマで以前記事を書いていました(入場曲 - 野球小僧 (goo.ne.jp))。
朝、起きたらスタン・ハンセンさんの「サンライズ」、出社時は「PRIDE FC opening theme music」、営業先への商談に行くときは橋本真也さんの「爆勝宣言」。
一息付くときには天龍源一郎選手の「サンダーストーム」、午後の目覚ましに蝶野正洋選手「CRASH~戦慄~」、そして、仕事帰りに飲みに行く時は長州力選手の「パワーホール」でお店に入場です。飲みすぎにはアブドラザ・ブッチャーさんの「吹けよ風 呼べよ嵐」やタイガー・ジェットシンさんの「サーベル・タイガー」。飲んだ後のシメは川田利明さんの「ホーリー・ウォー」で、家に向かうときは、ジャイアント馬場さんの「王者の魂」です。
家に帰ったら武藤敬司選手の「HOLD OUT」で、就寝前にミル・マスカラス選手の「スカイ ハイ」で気を休めて、休日には三沢光晴さん「スパルタンX」を聴きましょう・・・でした。
なお、私はトレーニングルームでは、プロレス入場曲を聴きながらランニングマシンを使用しています。さすがに「みちのくひとり旅」では、ちょっと足取りが・・・。
本日も私のブログを読んでいただき、ありがとうございます。
今日はどのような一日になるのでしょうか。または、どのような一日を過ごされたのでしょうか。
その一日でほんの少しでも楽しいことがあれば、それを記憶にとどめるように努力しませんか。そして、それをあとで想いだすと、その日が明るくなる、それが元気の源になってくれるでしょう。
それを見つけるために、楽しいこと探しをしてみてください。昨日よりも、ほんの少しでも、いい一日でありますようにと、お祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。