中日ドラゴンズから戦力外通告を受けた杉山翔大選手と近藤弘基選手が11月11日朝に、ナゴヤ球場で最後の練習をして大阪入りしました。
杉山選手はトライアウトに向けて練習しており、現役選手が練習する日は迷惑がかからないように、練習は朝9時には切り上げて、選手がいない日は昼12時頃まで練習しているそうです。杉山選手は、「限られた時間の中で、できることはやりました。何とか結果を残して、次のステップに進めるようにしたい。トライアウトでは消極的にならず、積極的にやりたい」と意気込みを語っています。
近藤選手は、「実戦の感覚はまだないですが、ある程度、体は動くようになった。(トライアウトは)やるしかない。悔いが残らないようにしたい」と悲壮な決意を見せています。実は近藤選手はトライアウト挑戦に至るまでは悩んだそうです。
プロ野球唯一の初登板ノーヒットノーランを達成したお父さんの真市さん・現;中日ドラゴンズスカウトが現役引退したのも26歳のときです。奇しくも同じ年齢で、同じドラゴンズブルーのユニフォームを脱ぎます。
2015年に育成選手で入団し、2016年に支配下登録。デビュー戦では猛打賞を記録。夏場以降21試合に出場し、ホームラン2本。将来の外野の一角を担う期待を抱かせましたが、2017年は14試合、2018年は5試合と出場機会は減少し、今シーズンは一軍出場はありません。ほとんどの選手が一度はチャンスを与えたれただけに、「自分もどこかで・・・」という想いはありましたが、二軍戦でも打率2割前半で終わり、「もう、9月ごろには覚悟を決めていました」とのことです。
戦力外通告は10月1日から行われるのですが、その前日9月30日、近藤選手は二軍での練習が終わった後、マネージャーから「明日、球団事務所に行ってくれ」と言われました。その時点で、「これは戦力外通告だ」と悟り、そのままロッカールームに向かって、野球道具一式を捨てたそうです。
これは、ドラゴンズ以外では野球をしないという覚悟の表れでした。
そして約3週間後、再び野球をやろうと思い直し、トライアウトへの挑戦を決意するのですが、それには2つの大きな出来事があったそうです。
近藤選手は自宅に帰り、奥さんと一緒に野球に関する服を整理していた時、試合用のユニフォームをたたんでいた奥さんの手が止まり、泣いていたそうです。
近藤選手が尋ねたところ、奥さんは笑顔を作り、声を絞って、「実はもうちょっと野球をやって欲しい」と話しました。
近藤選手はこの時、「自分の中では気持ちに整理がついていたが、支えてくれていた妻の気持ちはわかっていなかった」と感じ、再びユニフォームを着ようと決意したそうです。
そして、もう一つの理由。
今まで球場で何度も出待ちしていたとある親子がおり、小学生の子どもは今まで帽子やTシャツなどにサインしてもらったことがあり、白いリストバンドも近藤選手からプレゼントしてもらったことがあるそうです。
その親子と偶然再開した時、母親から、「戦力外通告があってから、この子が元気ないんです。子どもが『直接会って"おつかれさま"と言いたい』ということだったので、何回も球場に来て、今日たまたま会えたんです」と言われました。
そして、お母さんが、「ちゃんと(おつかれさまと)伝えなさい」と言ったのですが、子どもは泣いて言えなかったそうです。
その状況を見た近藤選手は、あらためて「支えてくれているファンもいたんだ」と再認識し、「どんな道を選ぶにせよ、ひとつの区切りをつけるためにやり切る」と家族と応援してくれるファンの想いを受け、もう一度野球をしようと決意したそうです。
NPBで現役を続けられるのが一番だと思いますが、結果に関わらずドラゴンズの背番号67としては最後のプレー、そして、子どもに渡した物と同じ白いリストバンドをつけてプレーするそうです。
東京ドーム、ZOZOマリンスタジアムでは、2019世界野球プレミア12スーパーラウンドが行われていますが、今日、11月12日に大阪シティ信用金庫スタジアム(大阪府大阪市舞洲ベースボールスタジアム)でも、次のステージに進むために、目一杯バットを振って、全力投球する姿があります。
それぞれの想いを持って挑戦するプロ野球12球団合同トライアウトは10時にプレーボールです。