デビッド・ウェイン・ニルソン(David Wayne "Dave" Nilsson)さんは、オーストラリア連邦出身の元プロ野球選手で、現在、野球のオーストラリア代表監督を務めています。
1992年にMLBデビューし、1999年には野茂英雄さん(当時;ミルウォーキー・ブルワース)とバッテリーを組んだことがあります。
また、同年にはオーストラリア出身の選手として初めてMLBオールスターゲームに出場。さらにオーストラリア代表選手としてIBAFインターコンチネンタルカップに出場し、MVPを獲得しています。
1999年、11年ぶりにセントラル・リーグは中日ドラゴンズがリーグトップの防御率を誇る豪華投手陣を擁して優勝。しかし、日本シリーズは3試合で完封負けを喫し、日本一ならずでした。よって、翌シーズンに向けて、ホームランバッターを補強する方針でした。
ちょうどFAとなり、移籍先を探していたニルソンさんに白羽の矢が立ちます。ニルソンさんは母国・オーストラリア代表としてシドニーオリンピックに出場することを希望していましたが、MLBに在籍しているとオリンピックには出場できません。であるならどこにも在籍せずにオリンピックまで待つか、あるいはオリンピックを諦めてMLBでプレーするかだっため、オリンピック出場OKというドラゴンズからのオファーは条件的に合致しました。
そして、2000年1月に補強最大の目玉選手として、2019年にホームラン21本を放った現役バリバリのメジャーリーガーとして契約・入団します。登録名は出身地のオーストラリアに生息する野犬の名前「ディンゴ」で、本人のニックネームでした。今思えば、いくらニックネームとはいえ、登録名を野犬の名前にしてしまいところが怪しかったと思います。
オリンピックでチームを離れるまでに打ちまくると豪語し、連覇への使者として大きな期待を受けたニルソンさんでしたが、日本の野球には苦しみました。ヤクルトスワローズとの開幕戦に五番・レフトで先発出場するも2三振。2戦目に来日初安打を放ったものの、開幕3連戦でのヒットはこの1本のみ。2カード目の読売ジャイアンツとの3連戦では、初戦と3戦目にタイムリーを放ったものの6つの三振を喫し、開幕2カードで20打数3安打と、期待を大きく裏切る形となりました。
この開幕2カードの21打席のうち、左ピッチャーとの対戦が17打席。石井一久さん(当時;ヤクルトスワローズ)、前年12勝のジェイソン・ハッカミーさん(当時;ヤクルトスワローズ)、工藤公康さん(当時;読売ジャイアンツ)、この年12勝を挙げるダレル・メイさん(当時;読売ジャイアンツ)など、エース級ピッチャーとの対戦が多かったのが影響したと思われます(それでも、現役バリバリのメジャーリーガーでしたので、期待値は大きかったのですが)。
それでも二軍では打棒を発揮し、45試合で打率.342、ホームラン9本という成績。オールスター前の7月に一軍再昇格を果たし、セ・リーグでは22年ぶりとなる外国人キャッチャーとして守備にも就きましたが、7月下旬に一軍登録抹消。工藤さんから喫した見逃し三振が日本での最後の打席となり、8月に退団となりました。
結局、ドラゴンズでは18試合の出場で、打率.188、ホームラン1本、8打点という成績に終わっています。
ちなみにシドニーオリンピックではオーストラリア代表選手として出場し、黒木知宏さん(当時;千葉ロッテマリーンズ)からホームランを放つなど、13安打で打率.565と活躍。
その後、2004年にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ後、アテネオリンピックにオーストラリア代表選手として出場。またしても日本戦(予選)でホームランを打つなど活躍し、勝利に貢献しました。準決勝では、日本代表を無失点に抑えて勝利しています。
現役選手時代には、日本野球に苦汁の日々を送りましたが、オーストラリア代表選手としては日本野球の前に立ちはだかりました。
代表監督として、日本に凱旋(?)し、あと一歩のところまで日本代表を追いつめましたが、惜しくも敗戦でした。