6月14日からロシアで「2018 FIFAワールドカップ」が開幕しています。日本代表の初出場から20年。今もワクワクしますが、あの頃は日本のプレーに喜び、世界のプレーに驚いたものです。
4年に一度のワールドカップは、オリンピック以上に盛り上がります。これは、もう世界的行事といってもいいでしょう。何しろ、サッカー(フットボール)は、英語以上の世界の共通語ですし、サッカーが普及していない国や地域は、地球上にはほとんどないといくらいですから。
昨夜(6月19日)の日本時間21時(現地モスクワ時間15時)に、予選リーグのH組の日本代表チームが南米のコロンビア代表(FIFA世界ランキング第16位)と対戦しました。ちなみに、日本は現在第61位と大きな実力差があります。ここまでロシア大会は波乱といっていいくらいのスタートです。何しろ強豪国が思わぬ苦戦を演じています。昨夜のコロンビア戦の日本の勝利が波乱でも何でもいい、勝ったという事実が大事なのです。逆に言えば、世界の実力差が狭まって来ているともいえるでしょう。
さて、今回でワールドカップは21回目ですが、東欧での開催は初めてです。また、東欧といえども、ロシアは日本の隣国でもあります。そして、今年2018年は「日本におけるロシア年」であり、かつ「ロシアにおける日本年」でもあります。一昨年の日本の安倍首相とロシアのプーチン大統領との会談の結果、そう勝手に決められていたのです。でも、私たち日本人は、旧ソビエト連邦時代からまだまだロシアのことをよく知りません。
そこで、せっかくの機会ですから、日本代表チームの試合が開催される都市について、旧ソ連時代を含めたロシアの歴史とともにお勉強していきましょう。
ロシアは世界地図で見ても分かるとおり、世界最大の面積を有する共和制および連邦制国家です。シベリア鉄道でロシアを東西横断すると7日間もかかります。しかも11の時間帯を持つ広大な国土ですが、人口集中地域はウラル山脈を境に西側のヨーロッパ側です。なお、今回のワールドカップの会場はヨーロッパ側に集中しており、ロシアの時間帯でいえば、飛び地であるカリーニングラードも含めて、すべてモスクワ時間帯に属する地域となっています。
ウラル山脈より東側のシベリアは、18世紀以降に本格的に入植した地域です。ノヴォシビリスクのような100万都市もありますが、もともと人口密度が低く、自然に厳しい広大な地域が広がっています。
ワールドカップの日本戦が行われる会場は、
6月19日:サランスク(コロンビア戦)
6月24日:エカテリンブルク(セネガル戦)
6月28日:ヴォルゴグラード(ポーランド戦)
となっています。日本戦以外の会場都市は、カリーニングラード、ニジニ・ノブゴロド、カザン、ロストフ・ナ・ドヌ、サマーラ、モスクワ、サンクトペテルブルクです。サンクトペテルブルクとモスクワでは、セミファイナルおよびファイナルおよび3位決定戦が行われます。
サランスク(コロンビア戦)
6月19日にコロンビア戦が行われるサランスクはロシア西部の都市で、モルドヴィア共和国の首都です。モスクワから東南東へ約630 kmに位置しています。人口は、2010年国勢調査で297,415人です。サランスクは、ロシア南東国境の要塞として1641年に入植が始まり、この当時に由来する多数の歴史的建造物がある街です。
エカテリンブルク(セネガル戦)
6月24日は、エカテリンブルクのエカテリンブルク・アリーナでセネガル戦が行われます。エカテリンブルクはロシア連邦の中央部に位置する大都市で、スヴェルドロフスク州の州都であり、人口は145万人。モスクワ、サンクトペテルブルク、ノヴォシビリスクに次いでロシアでは4番目に人口の多い都市であり、ウラル地方の首都と呼ばれ発展しています。旧ソ連時代は革命家の名前にちなんでスヴェルドロフスクと改称されていましたが、1991年に元のエカテリンブルクに戻されました。
このエカテリンブルクは、ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世とその一家が、ボリシェヴィキ党の革命指導者レーニンの命令で銃殺された場所です。ちょうど100年前の1918年7月17日に発生した悲劇の地です。
ニコライ2世は、皇太子時代に明治時代の日本を訪問しており、1891年(明治21年)5月11日に乗っていた人力車が襲われて負傷するという「大津事件」に遭遇しています。日露戦争では日本と戦い敗北を喫しましたが、第1次世界大戦では連合国として英国、フランス、そして日本とともにドイツと戦っています。しかし、大戦中に発生したロシア革命のためにロシア帝国は崩壊、ニコライ2世は退位を余儀なくされ、レーニンによる十月革命後には軟禁状態にありました。
ニコライ2世は、ソ連崩壊後にはロシア正教会からは殉教者として列聖され、2008年にはロシア最高裁判所の判決によって名誉を回復しています。
ヴォルゴグラード(ポーランド戦)
来週木曜日の6月24日には、ヴォルゴグラードのヴォルゴグラード・アリーナでポーランド戦が行われます。ヴォルゴグラードはロシア連邦のヴォルガ川西岸に南北80kmにわたって広がる都市で、ヴォルゴグラード州の州都です。人口100万人を擁し、カスピ海に注ぎ込む“ロシアの母なる大河”ヴォルガ川にドン川が最接近する河川交通の要衝です。旧ソ連時代にはヴォルガ・ドン運河が建設され産業都市となりました。1925年まではツァリーツィン、1925年から1961年まではスターリングラードと呼ばれていました。現在は年に数日のみ市名がスターリングラードとなります。
ヴォルガ川は、日本でも愛唱されてきたロシア民謡「ステンカ・ラージン」の舞台です。旧ソ連時代には独裁者スターリンの名を冠してスターリングラードと呼ばれていたこの都市は、旧ソ連崩壊後には再びもとのヴォルゴグラードに改称されました。ちなみに「グラード」は「都市」を意味するロシア語です。
スターリングラードといえば、第2次世界大戦のドイツとの戦いで最大の攻防戦となっただけでなく、人類史上最大の激戦だと言われる「スターリングラード攻防戦」(1942~1943年)の地です。
当時、スターリングラードは河川交通の要衝であるだけでなく、兵器製造や製鉄所の集中するソ連屈指の工業都市であり、ヒトラーはなんとかしてスターリングラードを落としたかった。第2次世界大戦中期に、ドイツ軍は精鋭部隊26万人をスターリングラード占領のために送り込みましたが、マイナス50℃の極寒のなかで寒さと飢えに苛まれます。最終的にソ連軍はドイツ軍の猛攻に耐え抜き、100万の兵と900両の戦車を投入したソ連軍がドイツ軍を包囲。武器弾薬と食糧の補給を絶たれたドイツ軍はヒトラーの命令に反して降伏しました。独ソ両軍あわせて100万人以上の犠牲者を出した凄惨な攻防戦であり、生き残ったドイツ軍兵士はわずか6000人だったといいます。スターリングラード攻防戦で勝利を収めたソ連軍は、反転攻勢に出ることになり、ドイツ軍が再び攻勢に出る機会は失われました。天下分け目の戦いであった一戦です。
2018年FIFAワールドカップでは日本代表チームの予選突破を祈るのはもちろんだが、ワールドカップでも今年2018年は「日本におけるロシア年」であり、かつ「ロシアにおける日本年」になって欲しいと思います。
それにしても、日本代表、よくやりました。
大迫が大阪に元気をくれる!!