囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

声なき声を聴け2

2021年07月17日 | 雑観の森/政治・経済・社会

 

声なき声とは

表だって声高に語らない人々の意見(三省堂・大辞林)

 

 

 

三百年前の享保六年八月、

八代将軍・吉宗はお触れを出した。

「みずから衆庶の直訴をうけらるる」

という趣旨のもとに

「目安箱」を評定所に置いた。

 


人民の〝訴状投げ込み箱〟

世界的にも画期的な試みであり

徳川末期においては

権力者と人民を結ぶ

唯一無二の絆になっていった。

 


海外では絶対王政が全盛期で

フランスではルイ十五世の支配

ロシアではピョートル一世の支配のもと

奴隷制と重商主義が進められた。

アメリカではフランクリンがいたが

近代デモクラシーと呼ぶには

まだ越えるべき課題が多々あった。

 


吉宗は、目安箱を重視した。

閣老や側衆でも直に取り扱えないことにした。

訴状を受けた徒目付(かちめつけ)は

箱のまま目付に提出し

目付から側衆を経て、将軍の手に届けられる。

将軍自らカギを外し、おもむろに検覧するのが

定めであった。

 


白木づくりの箱は

縦45㌢、横75㌢、幅40㌢。

フタの上に10㌢四方の穴を設けていた。

訴状に氏名を記すに及ばず、とされたのは

幕府専横のおりに「氏名を書け」

との定めがあるならば

声なき声を発する者はない、

と見たからだったろう。

 


制度は幕府にとっても有益であり

明治の新政府も引き継いだ。

ただし明治元年五月より

「姓名明記とせよ」としつつ

ただし法網にはかからない、

と知らせた。

 

さらに翌年七月になると

「無名の投書は封のまま焼き捨てる」

と決定した。

詰まらない私怨や私利私欲の投書が

激増した、というのが理由である。

 


目安箱

明治六年に廃止された。

上書建白は集議院または地方庁に差し出すべし

とされ、下意上達の画期的試み

これによって閉ざされてしまったのである。

 

民主主義があらぬ方向に解釈されていく

のはこのあとであり、

悲劇の歴史的必然とみてよいのではあるまいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうして君は

他人の報告を

信じるばかりで

自分の眼で

観察したり

見なかったり

しなかったのですか。

 ガリレオ・ガリレイ「天文対話」

 

 


声なき声を聴け

2021年07月16日 | 雑観の森/政治・経済・社会

 

声なき声とは

表だって声高に語らない人々の意見(三省堂・大辞林)

 

 

 

2018年の年頭会見で、当時の首相A

「私も声なき声にしっかり耳を傾ける」

と声高に述べた。

 

発言の流れは、こうだった。

「今年は戌(いぬ)年だ。

犬は聴覚が優れており

人間が聞こえない音も聞き取れる。

私も声なき声にしっかり耳を傾け

新しい国造りを前に進める」

 

彼には、

国民の疑問や野党の批判に

正面から向き合わない

説明責任も果たそうとしない

という批判が強まっていた。

 

前年、内閣支持率が一時急落し

東京都議選で自民は惨敗する。

その立ち込める暗雲の原因は

彼の政権への不信感だと指摘された。

以来、本人は「謙虚」「反省」

繰り返しクチにするようになっていた。

 

首相の祖父Kも同じ言葉を発していた。

日米安保反対闘争が激化した1960年、

当時の首相Kは、こう述べていた。

「国会周辺は騒がしいが、

銀座や後楽園球場はいつも通りだ。

私には声なき声が聞こえる」

 

権力者が「声なき声」などと言う言葉を

ことさらに、わざわざ持ち出すのは

ただごとではない。

自分に都合の良い声だけを聞こう

としているからだ。

 

それが昭和、平成、令和では

しばしばあり、わざとらしさ

へきへきするとしたものだ。

 

政治はなぜここまで内容浅薄にして不実

という精神の貧困をあらわにするのか。

遺憾ながら、今に始まったことではない。

このところの「失われた十年」もそうである。

こうして事大主義の色は濃くなっていくのである。

 

 

 

 

▲暴れん坊将軍が発案した「目安箱」

白木造りの小さな箱は

権力者と民衆とを結ぶ

ほとんど唯一の絆であり

「傑作中の傑作」の政策であった

 

 

 


暗黒時代の取締り

2021年07月15日 | 雑観の森/政治・経済・社会

 

▼化けの皮がはがれ、正体が現れてきたか? 

 治安維持法復活の兆候か?

 

 

明治元年から遡ること十八年。

徳川幕府の衰えは覆い難く

庶民の目にも明らかになっていた。

 

落ち目になると

ささいな陰口にも

こせこせと気を回す。

 

詰まらぬ噂ばなし一つにも

目くじらを立てるようになる。

そして必要以上の取締り

血道を上げていく。

 

だいたい権力というものは

大多数の民衆の反抗におびえるもの。

昔からそうと決まっていた。

その一例――。

 

 

   * * *

 

 

◆神田松ケ枝町の大店「形万」

 その主人・万吉の場合

 

六月のある晩

町内の風呂屋でのこと

 

顔見知りの芋屋の主人・長谷川なにがしと

万吉は、四方山ばなしに講じていた。

 

話の末に、長谷川某

ふと何を思ったか

「今の公方様じゃ

おさまりませんや」

と言い出した。

 

形万のあるじもまた、何となく

「そうですなあ」と相槌を打った。

 

ところが、

それが同じ湯舟に浸かっていたと思しき

岡っ引きの耳に入っていたらしい。

 

翌朝いきなり

八丁堀からの捕縄つかいに踏み込まれ

有無もいわさず後ろ手に縛られてしまった。

家には病気の母と妊娠中の女房がいた。

驚き取りすがろうとしたが

あっさり蹴にされ

主人は引き立てられた。

 

牢屋のなかで、

一体何事か、と思案するも

さっぱり思い当たらない。

風呂屋の噂ばなしなど

とうに忘れていた。

「公方様じゃおさまらぬ」

ぐらいのことは

誰もが口にしていた時代である。

 

そのまま20日ほど置かれ

やっと取り調べ。

なんと長谷川某の白状により

形万から話しかけたという

妙な具合になっているではないか。

 

牢名主は

「おまえは公方様を罵ったそうだな。

それは軽くて遠島だな。

とうぶん娑婆の風にはあたれねえ」という。

 

心細くなり、一大決心をして

「白状しますから母と女房に逢わせてください」

と嘆願に及ぶと、それから拷問につぐ拷問である。

万吉の足は水ぶくれし、腫れあがった姿を見て

面会にきた女房は気絶した。

 

息を吹き返した女房は

追い詰められた反動からか

肚が座ったようである。

気が強く、しゃんとなる。

「お役人さま、

良人はけっして

お上を悪く申しはいたしません」

 

役人はあくまで高圧的だ。

「黙れ、さあ万吉、

白状してしまえ」

 

女房も負けずに叫ぶ。

「ないことは、

けっしておっしゃるな」

 

「無礼ものッ、

よし、この者から白状させよ」

妊娠中の女を殴り付ける。

 

殺されたら佐倉宗五郎になって

公方さまを取り殺してくれよう

などと考えながら、女は耐え忍んだ。

 

たいした反骨夫婦である。

 

結局、長谷川が真相を白状したため

万吉夫婦は無罪放免となった。

長谷川は死刑(あるいは牢死?)となった。

軽口が捕縛、拷問で自白、そして死罪である。

 

万吉は、のちのちまで

徳川が滅亡していい気味だ

と憤懣をぶちまけていたという。

 

 

佐倉宗五郎とは

1653年、公津村(現在の成田市)の名主・佐倉宗吾(木内惣五郎)は将軍家綱に決死の直訴状を手渡した。藩領の苛政に苦しむ農民の窮状を伝えるべく直訴するも、捕えられて家族もろとも死罪となった。この行いは日本の民権運動のはじまりとされ、江戸後期から明治、そして戦前戦後に「義民・佐倉宗吾」伝説は庶民の悲劇のヒーローとして、芝居や講談、浮世絵、映画の題材となった。

 

 

 

 

◆権力が暴力的取締りのため組織した例


火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた) 江戸時代、重罪である火付け(放火)、盗賊(押し込み強盗団)、賭博を取り締まった。捜査機関の町奉行とは違い、幕府常備軍の一部であり、武力制圧軍として荒っぽい取り締まりで治安維持に当たった

憲兵(けんぺい) 大日本帝国陸軍の陸軍大臣の管轄機関。軍事警察、行政警察、司法警察を兼ねた。国家憲兵としての権限を拡大し、全国市町村に配置され、軍警察、治安維持、防諜を主要任務した。内地、外地、占領地を問わずに活動したが、戦後に解体された

 

 


大衆は怠惰で無責任か

2021年07月04日 | 雑観の森/政治・経済・社会

 

反対派には二種類ある

永遠の反対派と

その場限り対立派だ

 埴谷雄高「深淵」(昭和32年)

 

 

 

 

諫言を見極め、評価し、採用するか否か

 事程左様に意思決定は難しい の巻】

 

 

第二次世界大戦の開戦準備として

フランスは、ドイツとの国境線四百㌔に

軍事技術の粋を集めた「マジノ線」を構築した

 

地形を巧みに利用し、鉄筋コンクリート製の

砲塔式砲座や対戦車壕などを組み合わせた

難航不落の「地下要塞線」である

 

最高のシンクタンク(頭脳集団)といわれた

ドイツ軍参謀本部は、攻略はムリとして

オランダ、ベルギーの中立国を迂回する

別の侵攻作戦を練っていた

ヒトラーに「マジノ線の突破は不可能」

と進言したのである

 

名家出身の秀才が集まる参謀本部に

ヒトラーは劣等感を持っていた

低い階級の家庭に生まれ育ち

第一次大戦で伍長だったという過去

 

たまたまヒトラーは「名案」を耳にする

マジノ線の手薄な陣地帯の突破は可能

とのマンシュタイン将軍の作戦である

 

参謀本部を無視し、その作戦を決行し

マジノ線を突破し、パリを電撃的に占領し

世界中をアッといわせるのである

 

この成功体験により

劣等感は優越感に変わる

それどころか

自分は軍事の天才だと

思い込んでしまうのだ

そして独善はエスカレートし

狂気へと変わっていく

 

参謀本部を意のままに動かそうと

ヒトラーの口出しが始まる

ロシア戦線で作戦が二転三転し

冬将軍の到来とソ連軍の大攻勢にあって

ドイツ軍は大敗を喫してしまう

 

もしヒトラーの口出しがなければ

開戦1年目にモスクワが陥落し

戦局は決定的に違っていたといわれる

 

独裁者の独善的なひらめき

作戦参謀への不当介入がなければ

世界地図は全く違ったものになったろう

 

採り入れるべき諫言を無視

感情的で不合理な意思決定により

ヒトラーはピストル自殺へと

追い込まれるのである。

 

 

  *  *  *

 

 

卑近な例だと、わたしの属する百人碁会でも

ひとりひとりがさまざまな考えを持っている

しかし運営には常に一定の選択を迫られる

ポピュリズム(大衆迎合主義)では回らない

この時勢にあってはとりわけ

選択と集中は妥当なものでなくてはならない

 

 

  *  *  *

 

 

人類と微生物との大戦争が収まらない

各国の参謀たちは百家争鳴である

誰の進言を採り入れるべきか

耳を貸すべきでない者は誰か

世論の受け止めと対処はいかに

権力者たちの見極めの是非・巧拙により

世界地図が変わるのである

そして世界制覇の野望が見え隠れする

 

 

弱者を従えていくよりも

強者に引っ張っていって

もらいたい

大衆とは

そのように怠惰で

無責任な存在である

     アドルフ・ヒトラー

 

 

 

▲武力制圧の力による独裁者がまたぞろ出現

権力は蜜の味、支配は甘い快楽であるか ――

 


言葉遊びか〝密の味〟

2021年06月29日 | 雑観の森/政治・経済・社会

 

 

いただけないな、

 はあちこちにある……

 飲食業ばかりでいいのか の巻】

 


「緊急事態」か

「まん延防止」か

自己満足の言葉遊び化している

きょうこのごろ

 

電車や駅の風景は

一向に変わらず

でなかったり

であったり

 


在宅勤務もあるにはあるが

やっぱり全部ではなく

会社に行かねばならないこともある

当然、通勤電車に乗らざるを得ない

 


な新快速、快速を避けたところで

普通電車がガラガラってワケもなく

ひと駅ごとに人間が乗ってくる

 


7人掛けベンチ型シートは

コロナ前の通り6人が腰掛けている

隙間があれば「ここ、いいですか?」

と、尻をねじ込んでくる人もいる

 

 


誰の責任なのか(怒)

なんてことを言うまい

不作為、不公平、不公正な

マンボウ政治にハラが立つ(笑)

 

部分、部分のモグラ叩きは

もうそろそろやめにして

大局観を持ちましょう!

 


やじゃありませんか

2021年04月23日 | 雑観の森/政治・経済・社会

 

 


厭(いや)じゃありませんか、が訛った言葉。

昭和4年秋から広く流行して

今に至る流行語のロングランである。

 


堪えない、聞くに忍びない、

不合理な社会に存在するバカバカしい矛盾。

これらに嘲笑的、自棄的羞恥、侮蔑、冷笑を

含みつつ、一人ごちるときの言葉である。

 


赤紙が巷に乱舞し

丙種合格までが引っ張り出され

敗戦間際の軍隊では、

こんな唄が流行したのである。

 


♪ イヤじゃアリマセンカ軍隊は

 鉄の茶碗に鉄の箸

 ホトケ様では、あるまいし

 一膳メシとは情けない

 

 腰の軍刀にすがりつき

 つれてゆきゃんせノモンハンに

 つれてゆくのはやすけれど

 女は乗せない戦車隊

 

 

 

 

 

 

チャーリー浜  爆笑ギャグで人気を博した吉本新喜劇座員のチャーリー浜(ちゃーりー・はま、本名西岡正雄)さんが4月18日、誤嚥(ごえん)性肺炎、呼吸不全のため大阪市内の病院で死去した。78歳。「じゃあ~りませんか」のギャグが有名だが、「君たちがいて、僕がいる」「あのさ、僕さ、どっこいさ」「何たることをサンタルチーア」など、共演者がコケたり、コケなかったりする一発ギャグで新喜劇を彩っていた。合掌。

 

 

個人的な話だが、池之めだかさんとは、

たった一度だけ、お話したことがある。

真面目で、緊張されていて、こちこち。

それはそれで、とても可笑しかったことを

いまでも鮮明に覚えている。

 

 

 


いきなり紛糾する

2021年04月11日 | 雑観の森/政治・経済・社会

 

お持ちの同窓会名簿や自治会名簿等を

転売、紛失しないようご注意ください。


(注)個人情報データベース等を同窓会や自治会の活動に利用している場合には、個人情報保護法上の規定が適用されますので、これらの名簿を作成する場合には、個人情報取扱事業者としての義務を遵守する必要があります。 近年、名簿などを悪用したセールスや詐欺等の被害も発生しています。皆様一人ひとりの適切な個人情報の取扱いが重要です。

(個人情報保護委員会ホームページより。赤字は筆者が施した)

 

 

 

新年度最初の世話人会の侃々諤々 の巻】

 

100人碁会の新世話人5人の初会合を持ったところ

2カ月前からの準備期間を経ていたにも関わらず

いきなり紛糾した。

 

2年間も配布していなかった会員名簿を巡って、である。

個人情報保護の観点から、取り扱いや配り方、そして内容。

これまで「適正」に配布していたとはいえず、

「勝手に持って行け」とばかりにばらまいたり、

「一切配布しない」という過剰対応だったりしたが、

名簿は会員間の交流には欠かせないツールである。

 

今回から会費納付者(会員資格付与者)に1枚限り渡し、

「取扱注意」を会員の自覚と良識に任せることにした。

紛失せず、他に渡すことをせず、

会員相互の親睦に役立ててほしい。

 

問題は、次回配布分の内容をどうするか、である。

個人名や電話番号だけという簡単なものがいいか、

メールアドレスや簡単な居所情報、段級位などを載せるのがいいか、

保護しなければならない情報はどこまでか、

知りたいという会員の欲求にどこまで応えるか、

侃々諤々の議論沸騰である。


個人情報保護保護の範囲内で詳しくしたいのだが

詳しくすればするほど世話人の労力が増えてしまう。

あまりに理想を求めすぎても、

パソコン不得手ばかりの世話人会になった時、どうするのか。

 

わたしの考えは「会員の利便性を追求しつつも

理想を追求するあまり作業量を増やさないこと」

だったが、理想論者の声に押された。


人生経験豊富な5人がそろうと

話一つまとめるのも難しい。

 

 

 


前例踏襲、悲しみの色

2021年04月09日 | 雑観の森/政治・経済・社会

 

みずから石頭を割れない秀才たち の巻】

 

役人の世界は前例踏襲主義である。

今までの「判例」に沿ってやれば

しくじる「確率」は確かに低い。

それで済んだ時代もあった。


忘年会、新年会、送別会、歓迎会も

やめるという選択肢ができない。

「やめておきましょう」と言えない空気が

職場に漂っているのであろう。

これが、永く形成されてきた

官吏の遺伝子なのである。

 


しかし、いつも、いつも

没個性・没批判でいいのだろうか。

判で押したようなことばを繰り返すのが

仕事といえる時代はとうに去った。

国会中継が、滑稽に映って久しい。

 


         ◇

 


牛は牛連れ座頭は瞽女(ごぜ)を口説き

という江戸川柳がある。

心を通わせる者同士が相求めて連れ立つ

という意味である。

 


鎌倉時代から使われていたようで

謡曲「鉢の木」で有名な執権

最明寺入道時頼の歌にも

褒めそしる人のふるまい見るときは

牛は牛連れ馬は馬連れ

とある。

 


「清水物語」にも、

水と水とはあつまり易く

火と火とは伴ひ易し

いやしき言葉にも

牛は牛づれといへる詞(ことば)あり

とある。

 

 

随分と古くから使われていたようである。

 


昨今は皮肉を込め、

いじる時に用いられ

気にくわない連中のことを

「牛は牛連れさ」とか

「類は類をもって集まる」とか。

 

オレを連中と一緒にしないでおくれ

という時に使うのである。

 

 

 

▲ 昼はこれらを作り、夜は宴会か ▼

 

 

宴会を控えろ

という側が

控えられない?

オレたちは特別

ってか

 

きっと、この先の

年末年始や

年度末年度初めも

同じことの繰り返しか

 

言うは易し

行うは難し

公僕の世界にも

意識改革の日が来るのか

 

 

 

 

 


百年の計(はかりごと)

2021年04月06日 | 雑観の森/政治・経済・社会

▲昨夜ようやくに「お知らせ」がやってきた

いつ受けられるのか、これだけでは分からない、と きたもんだ

 

 

 

 

 

ワクチンはどうなっている? 

 ~ マンボウがやってきたというのに

   ~ ♪ 雪は降る あなたは来ない の巻】

 


新型ウイルス騒ぎも1年が過ぎ

先進国の対応にも差が出てきた。

さて日本政府の「通信簿」はいかに?

わたしがウンヌンするまでもなく

おそ松くんそのものである。

永田町では変異株などどこ吹く風

とばかり「解散カゼ」を引いている。

あ~あ、あ。嘆息するばかり――。

 


ひゃくねんのはかりごと

とは、まことに国家の繁栄を思い

民衆の幸福を考えるならば

目先の利益ばかりにとらわれることなく

遠大な計画をたてて

政治を行わねばならぬ

という意味である。

「国家百年の大計」といわれる。

オソマツな「骨細」の大衆迎合主義を

やっているうちに

大波がやってきたというワケか

 


「烈子」のなかに

「愚公山を移す」という

面白い故事がある。

半年前に書いたので

今回は割愛する。

 

 

▼参考記事

歴史は知っている 13

2020/09/01公開  雑観の森/政治・経済・社会

 

 

 


官吏たちの金銭感覚/番外

2021年03月09日 | 雑観の森/政治・経済・社会

 

「押し売り」やら、「物もらい」やら

 ~ ふと、昭和の日常を想い出した…… 

 ~ ココロの中でバッサリ斬ってつかわそう

   鬼平や中村主水のやうに の巻】

 

 


昭和の中頃に子供だったわたし。

地方官吏(といっても教員だが)の家庭だったので

貧乏というほどではないにしても

金持ちとは縁遠い つつましい暮らしだった。

地域社会で親は信用だけはあったようで

それをいいことに子供のくせに

漫画雑誌(少年マガジンか少年サンデーか)を

こともあろうにツケで買ってきて

お袋にしこたま叱られたことがある。

忘れられぬ半世紀以上前のほろ苦い記憶ーー。

 


小さな官舎の玄関先には

いろんな人がやってきた。

押し売り、物もらい、そして酔っ払い――。

PTAの酔いどれ役員以外は見知らぬヒト。

厚かましいというか、人と人との距離が近いというか。

いま考えると、そういう時代だったのか。

 

ついさきごろ在宅勤務の忙しいときに

契約しているとおぼしき通信業者の若い男が

インタホンを押して、なにやら難しいことを

あれこれ言ってきて――。

ふと、昔読んだ随筆を思い出し、書庫を漁った。

 


古い本をバラパラとめくってみた。

昔は日常にそんなことがよくあったようだが

いま我が家は「飛び込み営業お断り」のプレートを

門扉の柱に貼っているのが奏功してか、

頼みもせぬのにやってくる者はほぼない。

世の中、随分と変わったものである。

 


         ◇

 


尾崎一雄「冬眠居閑談」(新潮社、1969年)より抜粋

赤文字は、読みやすいよう、わたしが施した)

 


私の地方では、都会と違って、

押し売り物もらいも、余り悪質なのは見かけない。

従って、彼らをひどく冷たい目でみないようだ。

物もらいは大抵の家で何かにありついているようである。

 

先日、私一人で居るところへ、

ベルが鳴ったので出てみると、

みすぼらしい服装の若い元気そうな男が、

「今日は、好いお天気ですね」と言う。

「好い天気ですね。--あなたは?」

「はァ、おもらいさんです。お願いします」

おもらいさんか。しかし、

自分でおもらいさんというのは、おかしいね」

「おかしいでしょうか」

「おかしいよ。自分に敬語をつけるなんて」

「はァ、そうですか。ああ判りました。

これから気をつけます」とまじめに答えた。

十円玉一つやったら、

「ありがとうございました」と言って

元気よく出ていったが、身体は丈夫でも、

頭は少しどうかしているらしく見えた。

 

またある日、ベルがなって、

高校3年の次女が出ていった。

「いらっしゃいまし」

「……………」

「あの、どちらさまでしょうか?」

「ぼ、ぼく中島です」

「あの、ご用件は?」

「ええッと、鉛筆を買って頂きたいと思って――」

「はァ?」

「こ、この鉛筆を――」

そこへ私が出て行って、

差し出した鉛筆二、三本買ってやった。

次女から尋常にあいさつされて、

うっかり名前を名乗ったトンマな押し売り青年

頭をかきかき出ていった。

「なんだ、押し売りだったのか。失礼しちゃう!」

と次女はふくれた。

 

家人や娘だと つけあがり気味な奴は、

私が出て行って、追っ払ってしまう。

騒ぎを起こすほど悪質なのには

未だ出会っていない。

 

 

 

 

 

▼こうしてみると、「押し売り」「物もらい」と同根である、かも知れない

しかも国会答弁のデタラメ、ウソ合戦となったのはいつの頃からか

カネには困らずとも、ココロが貧困なのであろう

 

▼まれに「次の選挙、お願いします」といいたげな顔つきの人物が訪ねてくる

わたしは玄関先に護身用の木刀を置いているが、つかったためしはない

 

 

▼これが政権党の知性水準とは、トホホのトである