新陰流の柳生但馬守宗矩(むねのり)のもとに
ある日、某武将の家来が訪ねて来て
「門人に加えてください」
と言った。
宗矩は
「あなたは、すでに一流成就の人と見た。
委細承ったうえで
師弟の契約を結びましょう」
と答えた。
男は
「いや、私は武芸の稽古を
したことがありません」
と言った。
宗矩が
「さて、
但馬守をなぶりに参られたか。
誓って武芸の稽古をしたことがない
といわれるのならば
何か他のことで悟られたことがありませんか」
と尋ねると
男は
「幼少の時、
武士は命を惜しまぬものと
ふと感じ取ったことがあります。
このことを数年間、心に掛け、
今でも死ぬことは
何とも思っていません。
このことを悟りました」
宗矩は
「私の目鑑(めがね)は
狂ってはいませんでした。
思うに、兵法の極意は、
ただそのこと一つです」
と言って、印可(いんか=剣道の免許)を
即座に与えたという。
宗矩は言う。
「大剛に兵法なし」
(原典:名将言行録)
* * *
禅問答のようだが
能書きを語らずとも見れば分かる
ということだろう。
碁将棋の棋譜も所作も同様で
数手進めば真贋は明白となる。
観察眼とはそういうもの。
背筋を伸ばして俯瞰すれば
新たに見えてくるものもある。