囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

新京極の古刹⑤金仏

2019年12月31日 | インドア・アウトドアにて

囲碁サロンに行く前にの巻】

 

 
■誓願寺(せいがんじ)

 

開放的な寺である

和泉式部寺・誠心院の北にすぐ

新京極通がちょっと屈曲した東の角に位置している

正門を通ると、本堂の扉も開かれていて

金色の阿弥陀如来像を間近で拝むことができる

 

清少納言和泉式部、秀吉の側室松の丸殿(京極龍子)の帰依で

「女人往生の寺」としても名高い

源信僧都は善財講を修し、一遍上人も念仏賦算を行なった 

 

当初は、天智天皇の勅願所として奈良に置かれ

平安京造営により移転した

元は南都六宗の一つ、三論宗の寺だったが

法然の参籠によって二十四世住職が帰依し、浄土宗に改宗した

いまは「浄土宗西山深草派」の総本山である

 

秀吉の京都大改造に際し、松の丸殿の支援もあって

境内六千坪にて諸堂・塔頭18寺もの巨刹を誇ったが

天明の大火や禁門の変、新京極建設目的の境内没収で衰退した

胎内に五臓六腑を持ったという本尊・阿弥陀如来像も失った

 

寺門正面北端に「迷子道しるべ」と彫られた石柱がある

尋ね人や落とし物を記した紙を貼る掲示板の役割を果たしていた

交番などなかった当時、洛中の中心的存在だったことが分かる

 

 

京極龍子(きょうごく・たつこ、生年不詳~1634年) 若狭守護・武田元明の正室だったが、寡婦となり捕らえられ、秀吉の側室となった。大坂城・西の丸に屋敷を与えられ西の丸殿、次いで伏見城に移って松の丸殿、あるいは京極殿と呼ばれた。秀吉の死後、出家して寿芳院と号した。大坂夏の陣の後は、かつて盃の順を争った側室・淀殿の侍女を保護し、六条河原で処刑された秀頼の息子・国松の遺体を引き取り、誓願寺に埋葬した。父は近江源氏別家の京極高吉、母は浅井久政の娘(京極マリア)。浅井長政は叔父で、浅井三姉妹(淀殿・初・江)は従妹。

 

 

 

2019年12月28日(土)午前
阪急京都河原町駅で降り
新京極の寺社をぶらり

 

これまで紹介した寺社等はいずれも拝観自由です

 



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