【囲碁サロンに行く前にの巻】
■誓願寺(せいがんじ)
開放的な寺である
和泉式部寺・誠心院の北にすぐ
新京極通がちょっと屈曲した東の角に位置している
正門を通ると、本堂の扉も開かれていて
金色の阿弥陀如来像を間近で拝むことができる
清少納言や和泉式部、秀吉の側室松の丸殿(京極龍子)の帰依で
「女人往生の寺」としても名高い
源信僧都は善財講を修し、一遍上人も念仏賦算を行なった
当初は、天智天皇の勅願所として奈良に置かれ
平安京造営により移転した
元は南都六宗の一つ、三論宗の寺だったが
法然の参籠によって二十四世住職が帰依し、浄土宗に改宗した
いまは「浄土宗西山深草派」の総本山である
秀吉の京都大改造に際し、松の丸殿の支援もあって
境内六千坪にて諸堂・塔頭18寺もの巨刹を誇ったが
天明の大火や禁門の変、新京極建設目的の境内没収で衰退した
胎内に五臓六腑を持ったという本尊・阿弥陀如来像も失った
寺門正面北端に「迷子道しるべ」と彫られた石柱がある
尋ね人や落とし物を記した紙を貼る掲示板の役割を果たしていた
交番などなかった当時、洛中の中心的存在だったことが分かる
京極龍子(きょうごく・たつこ、生年不詳~1634年) 若狭守護・武田元明の正室だったが、寡婦となり捕らえられ、秀吉の側室となった。大坂城・西の丸に屋敷を与えられ西の丸殿、次いで伏見城に移って松の丸殿、あるいは京極殿と呼ばれた。秀吉の死後、出家して寿芳院と号した。大坂夏の陣の後は、かつて盃の順を争った側室・淀殿の侍女を保護し、六条河原で処刑された秀頼の息子・国松の遺体を引き取り、誓願寺に埋葬した。父は近江源氏別家の京極高吉、母は浅井久政の娘(京極マリア)。浅井長政は叔父で、浅井三姉妹(淀殿・初・江)は従妹。
2019年12月28日(土)午前
阪急京都河原町駅で降り
新京極の寺社をぶらり
これまで紹介した寺社等はいずれも拝観自由です