【曖昧にしておくこと、曖昧にしてはならぬこと】
遊びの会の取り決めは
なるべくなら
ユル~くした方がよい
義務的な役務が多少ないと
会は運営できないが
あまり多いと
息が詰る
これが正しい、
こうすべきだ、
と言い出すと
収拾がつかなくなる
精神論であったり
努力目標であったりしても
構わない事は曖昧にしておく
短行でも書いておきさえすれば
なんとかなるものだ
しかし、逆に
遊びのルールは
厳格に守らないと
いけない
これを
ないがしろにしては
真剣に楽しめない
逆に考えている人が
あるいは
ゴッチャにしている人が
案外多いのではないだろうか
◇
例えば、終局時の「目数の計算」
(長尾芳明著「みんなで楽しむ碁の囲路把」より)
計算する場合、
まず自分の地の中にある相手の取った石を取り上げ
自分の碁笥のフタの上にいれます。
次に、碁笥のフタの上にある相手の石を
相手の地の中に埋めます。
それから地を数えやすいように整理します。
この一連の手順を「整地」といいます。
たかが所作、たかがマナー
といってしまえば、それまでですが
こういったことをないがしろにすれば
「二人で碁を囲んで楽しむ」
ということができるでしょうか
あなたを非難することがなくても
相手はイライラが募って楽しめなくなる
ということはあるでしょうね
碁会所では席亭が目配りしていますから
所作・マナーは一定水準で保たれます
地域の同好会では、これがあいまいになりがちです
碁の強い人が啓蒙すること以外に道はないでしょう
「会長」「代表」は高段者が就くべきだ
というという暗黙の了解?があるのは
いたしかたないかもしれません
コミュニケーション成立比率が低い趣味の会で
こうしたことを大事にしていかないと
ギスギスしてしまうことになります
もっとも、これができない〝高段者〟も
ちかごろは増殖しているのですが……
▲その後のコロナ渦で「おうち生活」が広がっている。場と時間を共有することが、コミュニケーション成立比率を高めるためには必要。共に真剣に遊ぶことの効用もバカにできないのではあるまいか。段級位イコール棋力ではない、高段者イコール碁が強いヒトではない、とわたしは考えている