囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

言葉を友人に持とう

2019年07月04日 | ●○●○雑観の森
 

子曰「古之学者為己、今之学者為人」

 
「さよならだけが人生だ」という生き方の巻】
 
■「古(いにしへ)の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす」と、論語にある。

■「昔、学問をした人は、自分を立派にするためにやっていた。今、学問をしている人は、他人から評判を得るためにやっている」という意味らしい。褒められることが第一の目的なので、今の学者は不純だ、という解釈が本線のようだ。

■論語は、孔子と高弟たちの問答を、孔子の死後に弟子が著したものだ。「キリストと聖書」「ソクラテスとプラトン著作」と似たような関係にある。

■「聖人」自らが執筆したわけではないので、著した弟子の主観が混じるのはやむ負えまい。さらに、その後にさまざまな解釈が出てくる。
 
■だが、こう考えることも、できるのではないか。
 
昔の学者は「自分の利益のため」学問をやった。
今の学者は「人々の利益のため」学問をやる。
世のため、人のため、有用有益なのはどちらなのか?
今の学者の学問こそが、全うなのではないか?
 

         ◇
 
 
■寺山修司に「言葉を友人に持とう」(1982年発表)という一文がある。

■どの世界にあっても常に「過激派扱い」され、バッシングされた寺山である。
「なれ合い」「もたれ合い」にどっぷり漬かり沈滞している芸事の世界に、独り立ち向かうので、当然そうなった。
だが支持する人たちがいた。わたしも、著書を読んで凄さを実感しては、楽しませてもらった。そして元気をもらった。モノを書く時、頭のどこかをかすめる。
死の前年の決意表明。そして、その死から36年が経った。
言葉が洪水の如くあふれている今、言葉に与えられた役割やチカラを考えるとき、宣言文は輝きを増している。
 
 
 
 
言葉を友人に持とう――私にとって名言とは何であったか

言葉を友人に持ちたいと思うことがある。
それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だと言うことに気がついたときにである。
たしかに言葉の肩をたたくことはできないし、言葉と握手することもできない。
だが、言葉にも言いようのない、旧友のなつかしさがあるものである。


続きは抜粋・要約で)

 
私は少年時代、ボクサーになりたかった。

減量苦を克服できそうもなく、詩人になった。
今度は、言葉で人を殴り倒すこと、を考えた。
言葉は凶器にもなる。
人の胸をぐさり一突きするくらいは朝飯前でなければならないな、と思った。

同時に言葉は薬でなければならない、とも思う。
さまざまの心の痛手を癒すための薬に、である。
深い裏切りにあった後でも、その一言でなぐさむるような言葉で。

学生の頃、最初の名言に出会った。

 花に嵐のたとえもあるさ
 さよならだけが人生だ
 (井伏鱒二の詩)

「さよならだけが人生だ」は、私の処世訓になった。
私の思想は、さまざまの因習との葛藤、人を画一化してしまう権力悪と正面切って闘う時、現状維持をとなえるいくつかの理念に(習慣とその信仰に)さよならを言うことのみ、成り立っているところさえ、ある。

本当にいま必要なのは、名言などではない。
むしろ、平凡な一行、一言である。
だが、私は古いノートを引っ張り出し、私の「名言」を掘り出し、ここに公表することにした。
まさに、ブレヒトの「英雄論」をなぞれば
「名言のない時代は不幸だが、名言を必要とする時代はもっと不幸だ」からである。

そして、今こそ
そんな時代なのである。
 
 
 

てらやま・しゅうじ(1935~83年) 歌人、俳人、詩人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。さまざまな分野に足を踏み入れては「言葉の錬金術師」「昭和の啄木」「アングラ演劇四天王の一角」などの異名をとった。作詞家としても知られ、かもめ(1968年、浅川マキ)、時には母のない子のように(69年、カルメン・マキ)、あしたのジョー(70年、尾藤イサオなどを手掛けた。ジョーの宿敵「力石徹」の葬儀を企画し、講談社講堂に集まったファン800人の前で葬儀委員長として弔辞を読んだことも。47歳没。
 
 


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