囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

ある碁友の怒り

2020年03月10日 | ●○●○雑観の森

 

【「新型コロナウイルス」関連で公共施設の休館等の延長について の巻】

 


■大阪府高槻市でも感染者が確認され、

公共施設の閉鎖が半月延長となりました。

とりあえず3月末まで、だそうです。

碁会会場が使えず、皆さんモヤモヤしておられるでしょう。


■わたしの週末は、市井の碁会所を利用する方向です。

先週末にお世話になった京都では、

席亭が「よほどのことがない限り、店は開けますよ」

と頼もしい限りです。商売ですからね。


■碁友の皆さん、どうしているかな? と思っていたら

“サムライの技の遣い手”の某さんから、さきほどメールがきました。

「騒ぎすぎだ」と、怒っておられます。


<要旨は以下の通り>

・10年前、新型インフルエンザで大騒ぎしたが、
今回のような大騒ぎではなかった。
新型インフルと新型コロナの感染力や死亡率等は
同じぐらいだ、といわれている。

・こんなにマスコミが騒ぐのは視聴率が獲れるからである。
その結果、経済も人心も閉塞してしまっていて
今後は、閉塞した心が他人にかかっていくことになる。

・その点、宝塚歌劇はさすがだと思う。
卒業式もしっかりやり、歌劇を中止しないで開演する。
偉いと思う。

・右にならえで、延期するほうがトップは楽だが、
あえて、非難と首をかけて開演決定したそうだ。

・今、新型インフルエンザと同じく、閉塞しないで、
勇気をもって、開演等していくことが、大事だと思う。

・マスコミの責任は重いと思う。


■一人一人、さまざまな思いはあるでしょう。

地方公共団体等の発表の仕方や報道のあり方については

思うところがありますが、いずれ別の機会に。

碁友のいわんとするところは、

概ね分かりますし、わたしもそう思います。

 

 

         ◇

 

「覚悟」について

 

この言葉は仏教語が由来である

仏教は、迷いを移して悟りを開くもの

悟りは、覚(かく)とも悟(ご)とも書く

それから転じ「諦める」「決心する」

という意味に使われるようになった

迷って悟れないことは「不覚」である

 

ちなみに「迷うこと」と「考えること」は別の概念

アマのヘボ碁で「長考」と言っているのは

概ね「迷いに迷い、諦めが悪く、決心できないだけ」である

どこかで踏ん切りをつけて、エイヤーで打つべし



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。