【「新型コロナウイルス」関連で公共施設の休館等の延長について の巻】
■大阪府高槻市でも感染者が確認され、
公共施設の閉鎖が半月延長となりました。
とりあえず3月末まで、だそうです。
碁会会場が使えず、皆さんモヤモヤしておられるでしょう。
■わたしの週末は、市井の碁会所を利用する方向です。
先週末にお世話になった京都では、
席亭が「よほどのことがない限り、店は開けますよ」
と頼もしい限りです。商売ですからね。
■碁友の皆さん、どうしているかな? と思っていたら
“サムライの技の遣い手”の某さんから、さきほどメールがきました。
「騒ぎすぎだ」と、怒っておられます。
<要旨は以下の通り>
・10年前、新型インフルエンザで大騒ぎしたが、
今回のような大騒ぎではなかった。
新型インフルと新型コロナの感染力や死亡率等は
同じぐらいだ、といわれている。
・こんなにマスコミが騒ぐのは視聴率が獲れるからである。
その結果、経済も人心も閉塞してしまっていて
今後は、閉塞した心が他人にかかっていくことになる。
・その点、宝塚歌劇はさすがだと思う。
卒業式もしっかりやり、歌劇を中止しないで開演する。
偉いと思う。
・右にならえで、延期するほうがトップは楽だが、
あえて、非難と首をかけて開演決定したそうだ。
・今、新型インフルエンザと同じく、閉塞しないで、
勇気をもって、開演等していくことが、大事だと思う。
・マスコミの責任は重いと思う。
■一人一人、さまざまな思いはあるでしょう。
地方公共団体等の発表の仕方や報道のあり方については
思うところがありますが、いずれ別の機会に。
碁友のいわんとするところは、
概ね分かりますし、わたしもそう思います。
◇
「覚悟」について
この言葉は仏教語が由来である
仏教は、迷いを移して悟りを開くもの
悟りは、覚(かく)とも悟(ご)とも書く
それから転じ「諦める」「決心する」
という意味に使われるようになった
迷って悟れないことは「不覚」である
ちなみに「迷うこと」と「考えること」は別の概念
アマのヘボ碁で「長考」と言っているのは
概ね「迷いに迷い、諦めが悪く、決心できないだけ」である
どこかで踏ん切りをつけて、エイヤーで打つべし