【これは誰の“責任”か ~ 新型コロナウイルス報道を概観する の巻】
■マスコミの過剰とも言える今回の報道姿勢に
「行事の自粛→経済・人心の萎縮」の原因がある
との指摘は本当に正しいのだろうか。
本質を衝いているのか。
そうとも言い切れないのか。
確かにマスコミが「第四の権力」といわれ、
影響力が大きいことは古くから指摘されている。
わたしの学生時代もメディア論の前提となっていた。
だがマスコミの大半は、所詮は私企業である。
視聴率を稼ごうとするのは悪、と決め付けることはできない。
一般企業でモノを売るな、サービスをするな、というのと同じである。
TVなど放送メディアは時間という枠はあるし、
新聞など活字メディアはスペースという枠がある。
「こんな時」に報道すべきことをせずに、
他のエンタメねたで埋めてしまっていいのか。
今度は「何をやっているのか」と抗議されるのがオチである。
■問題は、量より質かもしれない。
特ダネ報道は、大きく分けて二つある。
一つは、競合各社が狙っているネタを
いち早く報じることである。
もう一つは、他社が報じていないが必要な視点、
掘り起こさねば埋もれてしまう切り口のネタを
ていねいに報じることである。
とはいえ、現在進行形の時、前者は絶対に必要である。
この際、地域や個人への差別などにつながらないような
配慮がなければならないのは、いうまでもない。
そうして、ある時期から後者にどれだけ軸足を置けるかが、
メディアの力量なのだと思う。
■まだ、報道のあり方を総括する時期にはないが、
そんなことを感じている。
ただ一点のみ補足。
当局の発表の仕方も今回は異例だったことに触れておきたい。
ある知事が毎日毎日、記者会見をし、
どこどこで感染者が1名出たとか、
きょうは出なかったとか、をやり始めた。
他の都道府県でも、知事やら市長やらが会見するようになり、
「大仰な演出」になってしまった。
「きょうは感染者が出なかった」でも、首長がおでましになるなど、
どうしても違和感がぬぐえない。
これは結果、露出過多であり、選挙運動のようではないか、と勘繰った。
この知事は「われわれは完全に制圧した」との“勝利宣言”を出す始末。
「これは便乗商法か」と思ったことを、付け加えておく。