
存在の耐えられない軽さ 1988年制作の米国映画。冷戦下のチェコ動乱「プラハの春」を題材にした大作。ミラン・クンデラの同名小説の映画化。イデオロギーと三人の男女の恋愛が交錯する。名女優ジュリエット・ビノシュのセリフが有名。「私にとって人生は重いものなのに、あなたにとっては軽い。私はその軽さに耐えられない」
【大臣の「大」、高段の「高」は、こうして「軽」になったの巻】
■この一カ月を振り返ってみる。
政治ニュース。
閣僚の妄言が次々と飛び出して、またまた、うんざり&嘆息。
辞めさせてもいいヒトあり、辞めさせたくないヒトあり。
公金を使って「桜」をもてあそんでは「やーめた」。
「何が悪いのか?」「臭いモノには蓋」
えこひいき・ほっかぶりの無神経&卑怯がまたぞろ――。
めくらましニュースが週末に飛び出し、さて今週はどうなる?
地域碁会の話。
主に上手つまり「五段以上」と対局しては、
負けが込んできたものの、成果はまずまず。
対局後に、どこがまずかったのか、聴く。
ていねいに教えてくれる。
「手」は自分で覚えるものだが、
大局的判断に誤りがあったことが分かる。
対局後に、どこがまずかったのか、聴く。
ていねいに教えてくれる。
「手」は自分で覚えるものだが、
大局的判断に誤りがあったことが分かる。
親切な年長の碁友、ありがたし。
■こんなことがあった。
ある高段者が石音高く打った――
と、思ったら「まだ、いいよね」と言って打ち直した。
わたしは「『指が離れていない』のでルール上はセーフです」とイヤミに答えた。
相手は、バツが悪そうに笑っていた。
実は、石音をさせたら、そのまま置くのが上品なるマナー。
指を離してしまってから置き直したら反則負けである。
これはプロ、アマを問わず「碁の掟」なのである。
この辺をご存じない? ご自分に甘い?
そんな“高段者”がまたぞろ増えた。
これでは「高」が泣こう。
こういう碁打ち相手ではチカラが入らない。
趣味の世界だって、許されるとお思いか?
■もう一点。これは「お願い」である。
高段者の中には「教えたくてムズムズしている“親切”なヒト」がいる。
「そこは1目の手。もっといい所がある」とか。
「まだダメが残っている。そこだよ」とか。
「そんなコウ争いするような碁ではない」とか。
“親切心”は、ジュ~~~ブンに分かりました。
数え終わって「何目勝ち」と勝敗が決してから! にしてください。
1目の小ヨセ、ダメ詰め、整地も、勝負のうち。
ヘボはヘボなりに二人の世界である。
<脇から手が出てきて整地を手伝ってくれる>に至っては、
茫然の極みである。
例えばーー
野球で観客席からグラブが伸びてファウルフライを取ってしまうとか、
サッカーで観客がピッチに降りてきてゲームが中断してしまうとか、
そういうことが、
許されるとお思いでしょうか?
後生ですから、おやめくだされ~
