囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

徳川家康の深謀遠慮

2022年01月20日 | ●○●○雑観の森

 

【親睦・交流の真の狙いとは

~ 手談という手段のはなし】

 


<碁のイロハ/何故「所作・マナー」か>

(2022年01月19日投稿)のなかで

こんなことを書いておきました

<徳川家康は

「世の中が平和になったのだから

戦(いくさ)とケンカは碁でやれ」

と言ったそうです>

 

    

 

でも――

これは表向きの、上っ面の話であって

本当の狙いは別にあったと思います

 

家康は75歳まで生きたのですが

碁を覚えたのは30歳前後といわれます

のちに師事した初代名人・本因坊算砂には

ハンディ5子だったようですから

現代なら五段格までいったと思われます

 

40代半ばで相当の棋力に達しており

秀吉にならい全国大会となる

御前試合を主催しました

文禄年間(1592~96年)以降、

伏見城や京都と周辺の豪商宅に

公家や武将、僧侶、豪商を呼び寄せ

本因坊など碁将棋の熟練者を交え

終日、碁将棋に興じていた、

との記録があります

(徳川実紀、当代記など)

 

織田信長嫡男・伸雄、浅野長政、

伊達政宗、細川幽斎、古田織部ら

その顔ぶれは歴史上重要人物ばかり

これは単に囲碁が好きとか

趣味道楽の類いのはなしではありません

魑魅魍魎が跋扈する都の情報収集のため

碁会を催したとみるのが妥当でしょう

 

碁の別称「手談」を通じて

人物を観察して内面を探り

巧みに気心を通わせては

自らのペースに引き入れる

狸オヤジならではの

政治的駆け引きだったとみて

よろしいでしょう

 

家康の碁敵たちは、

のちに関ケ原の合戦で

獅子奮迅の働きをしています

天下統一・江戸幕府の治世に

〝碁が働いた〟のは

間違いありません

利用できるものは

何でも利用してやれ

とでも思っていたのでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

 


 



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