【親睦・交流の真の狙いとは
~ 手談という手段のはなし】
<碁のイロハ/何故「所作・マナー」か>
(2022年01月19日投稿)のなかで
こんなことを書いておきました
<徳川家康は
「世の中が平和になったのだから
戦(いくさ)とケンカは碁でやれ」
と言ったそうです>
でも――
これは表向きの、上っ面の話であって
本当の狙いは別にあったと思います
家康は75歳まで生きたのですが
碁を覚えたのは30歳前後といわれます
のちに師事した初代名人・本因坊算砂には
ハンディ5子だったようですから
現代なら五段格までいったと思われます
40代半ばで相当の棋力に達しており
秀吉にならい全国大会となる
御前試合を主催しました
文禄年間(1592~96年)以降、
伏見城や京都と周辺の豪商宅に
公家や武将、僧侶、豪商を呼び寄せ
本因坊など碁将棋の熟練者を交え
終日、碁将棋に興じていた、
との記録があります
(徳川実紀、当代記など)
織田信長嫡男・伸雄、浅野長政、
伊達政宗、細川幽斎、古田織部ら
その顔ぶれは歴史上重要人物ばかり
これは単に囲碁が好きとか
趣味道楽の類いのはなしではありません
魑魅魍魎が跋扈する都の情報収集のため
碁会を催したとみるのが妥当でしょう
碁の別称「手談」を通じて
人物を観察して内面を探り
巧みに気心を通わせては
自らのペースに引き入れる
狸オヤジならではの
政治的駆け引きだったとみて
よろしいでしょう
家康の碁敵たちは、
のちに関ケ原の合戦で
獅子奮迅の働きをしています
天下統一・江戸幕府の治世に
〝碁が働いた〟のは
間違いありません
利用できるものは
何でも利用してやれ
とでも思っていたのでしょうか