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徐福

2024-04-12 21:41:33 | 日本史
徐福


秦の時代の方士。徐福は、一般的に、秦の始皇帝の命令で、不老不死の霊薬を得るべく、蓬莱に遣わされたと考えられていると思うが、実際には、霊薬探しを申し出たのは、徐福の方である。男女の児童、方士、方医、呪医、道士、工人など、千人余りを引き連れて、海を渡った、とある。しかしながら、徐福には、数々の異なる形容が存在するのである。曰く、秦から多くの支度金と品物を受け取っておきながら、出立しなかった。曰く、蓬莱(倭国=日本)に到達はしたが、共に渡った、千名余りの手勢とともに、秦に帰国せず、そのまま日本の一つの地方の王として暮らした。曰く、蓬莱に辿り着いて、不老不死の仙薬も見つけたが、自分で用いてしまい、帰国せず、そのまま蓬莱の霊山(富士山?)に住居を構えて、仙人として暮らした、等の諸説が存在するのである。しかしながら、いずれにしても不老不死の霊薬が秦の始皇帝の手に入らなかったのは、たしかなようである。そのことは、始皇帝が不老不死の肉体を得ることなく、没したことから言って自明である。ところで、大陸から海を渡って蓬莱にやって来たという徐福の伝説は、日本の各地に見られる。日本の各地に、“徐福の墓”と伝えられる墓碑が存在するのである。


~海南にその人ありといわれた、秦の一士、徐福は、秦の始皇帝の命により、不老不死の霊薬を得るべく、秦の東方千里の海上に浮かぶ、伝説の国“蓬莱”を目指し、旅に出る。~