司馬穰苴
兵法書『司馬法』の著者。斉の将軍。
仕えた国…斉
仕えた君主…景公
推挙した人物…晏嬰
姓は嬀、氏は田、諱は穰苴。田完の後裔。軍事長官である大司馬であったため、司馬姓を名乗った。当時の斉では、外国(陳)からの亡命貴族で新興勢力の田氏が台頭しており、このことを旧来の貴族は快く思っていなかった。また、近隣の大国である晋や燕と領土争いを展開しており、当時の斉は内憂外患のただ中にあった、と言えた。そうした中にあって、斉の宰相であった晏嬰が、その軍事的才能を高く評価して推挙したのが、司馬穰苴であった。
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