忘憂之物

「わかってくれ症候群」の恐怖


新しい職場で10日が過ぎた。自分で言うことではないが、まあ、ぼちぼちと雰囲気にも慣れた。また、休憩時間に新聞などを読んでいると、名も知らぬ先輩らから話しかけられるようにもなった。「聞いたんだけどBARやってたんでしょ?」「お孫さんいるんですってね」「3日目で利用者さんの顔と名前全部覚えたって本当?」「もう、なんでもやらせてもらえてすごいですね、私なんか・・」

私のような者でも「新人さん」というだけで話題にはなるようだ。ま、どっちでもいいが。

仕事の日は新聞を持っていく。本を読む時間まではないから、朝、読みかけの新聞をカバンに入れて、弁当喰った後に読んで時間を潰す。休憩時間が十数分余った状態で戻ると、まだ休憩時間内ですから休憩していてください、とか言われるからだ。懐かしい感覚だ。

一応、食堂のような部屋がある。私以外の人はメシ喰った後、そこで雑談して過ごす。テレビもあるし、隅っこで携帯電話をいじくっている人もいる。私は愛妻弁当を味わった後、その部屋を出てベランダなどで独りになる。20分ほどあるから外の空気を吸いながら新聞を読んでしまうにちょうど良い。仕事中も、ちょっとした時間では事務所前などで雑談がある。私は参加しない。その時間は施設の利用者と遊んでいる。

私の頭の中には「やりたいこと」と「やらねばならないこと」がある。無論、これらは誰にでもあるのだろうが、最近の私は努めてコレを意識するようになった。話好きの先輩らはいろいろな「施設情報」をくれる。うるさい人や注意せねばならない人、施設の悪口なんかも話してくれる。ありがたいのだが、正直、あまり興味はない。興味はないが、私は興味あるふりをして聞くこともできるから、話している人は楽しそうに話す。

それに私は知っている。「欲しいモノは欲しがると得られない」ことが多いのだ。新しい職場などで「浮く」のが嫌だったら、自ら「浮く」ように振舞うことが肝要だ。積極的に雑談に参加したり、話しやすい誰かと集中的に接したりすることは逆効果、余計に「浮いて」しまって取り返しがつかなくなることもある(笑)。

これは「成功」という観点から見る全ての物事がそうだ。ベタで申し訳ないが、巷で「時間がないときにはパチンコに勝てる」とか言うのもそれだ。よし!今日は朝から並んで大勝を目指す!と息巻いて勝てた試しがない。大抵は大怪我をすることになる。比して、なんとなくぽっかり空いた時間に何気なく座った台が大爆裂という話はごまんとある。彼女だって、欲しい欲しいとガツガツしていれば出来ない。仕事や勉強、スポーツでもバンドでもいいが、何かに集中していて、あ、そういえば、オレって彼女いないし、と思ったらモテモテくんだったりするではないか。しないか。

ま、パチンコ屋に入ったときも、残業手当なしで居残っている私に「点取り虫」だのと文句を言うのがいた。その人は私よりも数万円ほど給与が多かった。残業手当分だ。給与明細を見せて、ほら、多いだろう?と威張っていたが、1年後には大きく差がついた。3年も経つと、彼の給与を3倍にしても私のほうが多かった。いくらか知らないが、彼が私を上回った何十万円かを埋めるのに、私はふた月以上を要していないはずだ。結果論ではなく、これも私はこうなると知っていた。

天の邪鬼な「いらない」ではなく、本気で「そんなことはどうでもいい」と思えるとき、ふと気付くとそれらを得ている場合は少なくない。サラリーマンにおける出世もそうだ。ガツガツしていると逆に機を逃すことがある。昇格?あ、そうか、そういうことか、というほど没頭して仕事をすれば、ンなもんは後からナンボでもついてくるのである。

韓国では「泣く子は餅を余計にもらえる」とか言うらしい。これはゴネ得のことであるが、日本では「モノ欲しそうな顔」は嫌われる傾向にある。武士は食わねど高楊枝、という言葉があるように、思っていても口に出さず、顔にも出さず、平静を装うことが是とされる文化だ。また、国際社会では「黙っていることは認めたこと」とされるから、何を言われても謝って金を出す日本外交はダメだとされるが、これは「国家単位」であるから故、褒められたことではなくなる。しかし、社会生活における個人レベルでの振る舞いであれば、やはり、武士は喰わねど~のほうが好まれることは間違いなさそうだ。

会社であれば業績優先だ。売り上げ重視もそうだ。コレしか言わなくなった会社は下降線を辿ることが多い。「今季の目標」とか設定して「経費削減」がおかしいなら、やはり「売上NO1を目指す」というのもくだらない。それらは「伴う結果」であり、企業理念としては安モン臭いのだ。個人であれば「部長になりたい!」とか「貯金が1千万円欲しい!」も同じく、すなわち、よほど気をつけていないと客観性を失うことになる。

これが政党なら「支持率」というものを上げようとする。これも客観性を失わせる。だから、いろいろと講じるも一向に上がらない。今なら「統一地方選に勝利する」というスローガンが溢れているが、これがあまりうるさいと有権者はしらけてしまう。とはいえ、連立を組んでいる小さな政党、参院選で議席ゼロだった政党の党首が、民主党の党大会で「みっともない!」とか言って威張っていたが、あれもみっともない話だ。民主党が「安定した政権」になりたいなら、先ず、あの存在意義の不明な泡沫政党を社民党と一緒に切れと言いたい。ンで、さっぱりしてから「何がしたいのか」を明確にすることが肝要だ。



政治家が選挙に勝って、ばんざいばんざいと喜んでいる。それからまた、次の選挙でもバンザイをさせてくださいと頼みに来る。誰かの応援で「勝たせてください!」と叫ぶ。自分の属するチームや団体が勝てば嬉しいというのは、幼稚園児の運動会でも同じだ。紅組は紅組が勝てばばんざいばんざいだ。

つまり、支持率を上げたいならば、あまり支持率を気にしないことだとわかる。政治家は選挙で負ければただの人であるから、いつまで経っても次の選挙が怖くて仕方がないという。この話も頭ではわかるが、有権者は「政治家を勝たせるため」に投票するのではない。だから政治家は「落とすなら落とせ」という姿勢で仕事せねばならない。ならば、くだらぬ浅知恵から馬鹿みたいなことも言わない。メディアの報道の仕方、などというタレント顔負けの言い抜けもしない。近代国家の政治家とは思えぬ低レベルな言動をする馬鹿はいなくなるし、バラマキもしなくて済むから国会で野党から追及されるネタも減る。

いつものことだが、私が言うのは綺麗事ではない。完全なる打算に基づいた計略である。そのほうが得であるし、そのほうが勝てるのに、なぜだかやらない人が多いだけのことだ。

菅直人は総理大臣になりたかったんだろう。しかし、いま、誰も管直人を羨ましいとは思わない。国会中継を見ても、本人がちっとも活き活きしていない。楽しくないんだろう。鳩山元総理にしても、多額の「子供手当」を母親から得ていたが、マトモな人は誰も羨ましいとは思わない。中にはあの違法献金、及び、脱税行為をして「息子のためを想う母の愛情」などと狂った解釈から、コレを叩く人は「母からの愛情」を受けていないのだ、と結論付けて悦に入る哀れなボンクラもいるようだが、こういう無茶な擁護をするのも、本人が客観性を失っているという証左であろう。天下国家を語る前に、先ず、お金を払わなくても付き合ってくれる女性を見つけろと言っておきたい。

また、他の民主党の面々を観ても、あれほど政権交代政権交代と呪いみたいに繰り返しておいて、現実にそれが成ったのに誰も嬉しそうではない。さあ!やるぞ!という意気込みなど、どこを探しても見つからないのはなぜなのか。言い訳に終始してからついに「マニフェスト言い分け集」まで発行する無様はどういうことなのかと考えてみるに、これはやはり、ぎゃんぎゃん「泣いた子」が餅をひとつ余計に貰っただけなのだと得心がいく。


しかし、やはり韓国の諺(?)である「泣いた子は~」には欠陥があるようだ。欠陥という言葉があれなら「悩ましい」と換言でもしておくが、その「余計にもらった餅」とは高くついているはずだ。韓国の子供キムチには、日本で言うところの「タダより高いモノはない」を合わせて教えておいた方がいい。こちらのほうが真理であるからだ。

倅がアルバイト先から帰って来て愚痴を垂れた。「とある業務指示における矛盾」に悩んでいたわけだ。ここを読んでくれている大人は笑ってあげてほしいが、倅がいうには「なんらかの業務」を指導されて、指導されたとおりに作業しているのに、別の正社員から「そのやり方はダメ」だと注意された、とのことだった。もちろん、私も妻も笑った。また、18歳にもなって「その程度のこと」を疑問に感じている倅が心配にもなった。アルバイト経験がないから仕方ないとはいえ、この純情素朴の草食系は大丈夫なのか?と笑った。

そして、倅に「ンで、そのとき、おまいはどーしたんだ?ああぁ?」と問うと、何も言わずに、はい、わかりました、と言ったのだと悔しがっていた。もちろん、正解はソレであるから、お父さんの酒の肴であった御造り盛りから「イカを喰ってよい」と許可した。

先日、施設にて利用者に水分補給をしていたら、カップに溢れるくらい中身を入れよと指示された。理由は「冬場でも水分補給は大事」である。私はその通りにしていたが、通り掛った別の人からは「なぜ、そんなに溢れるほど入れているのか?」と注意された。理由は「並々と入れるのは失礼ではないか?」とのことだった。私に「満タンに入れろ」と指示した人は、すぐ後ろにいて「あ、それは私がそうしろと言ったんです」とは言ってくれず、知らぬ顔をしていた。私はすぐに、あ、すいません、と量を減らした。

リーダーの人に「手の消毒は17時10分」から、だと指示されていたら、17時ジャストに「手が空いているなら、さっさとやれ」と別の古株に叱られる。「この利用者は二人介助」だと厳命されていたのに、手慣れたおばさんは「ンなもん、人が足らんのに知るかい」とばかり、勝手に一人でやっている。車椅子のロックは両方ちゃんとせねばならないはずだが、これも「片方だけ」で置かれているなど、ともかく、なんでも統一されていないことがしばしばある。ま、どこの職場でもそんなことは枚挙に暇ないものだ(笑)。

小さな職場で少ない人数ながら、様々な業務が統一されていないことはよくある。新人さんが戸惑うのは痛いほどわかるが、最悪なのはこれに対して「このように聞きました!」と強弁することである。また、こんなことを「職場の問題点」として指摘してしまう子供っぽさである。これはスーパーのときでも、パチンコ屋のときでもあった。パチンコ屋のときは副主任2名を共に「虹の工作員」と名乗らせるほど情報の共有をしていたはずだが、それでも現場の部下から「副主任の業務指導に差異がある」とする声はあった。「あの二人」ですらあったのだ(笑)。

また、コレの対応であるが、例えば、私は現在、水分補給をどうしているかといえば、それは普通にやっている。注意もされなくなった。「溢れるほど入れる」のは運びにくいし、テーブルも汚すことになる。足りなければ入れればいい。要するに「自分の頭で考えて」から、良いと思うほうを誰にも宣言せず、勝手にやればいいことになっている。

「満タンに入れなさい」という人に再度言われたら、また、すいません、と言っておればいいし、そこで「いい加減、何度言わせるんだ!」とまで強く指導できる根拠もあるまい。繰り返すが、そこで「満タンに入れるのが良いか、8分で止めるのが良いか、徹底的に議論しようじゃないか!」というのが最悪なのだ。もちろん「さっきの人と言っていることが違うじゃないか!どっちの言い分を聞けばいいのか、我々新人にはわからないのだ!」と堂々と阿呆みたいな文句を垂れるのもよろしくない。そのような細事は必ず「その他大勢」に飲まれてしまうことになるし、それらは「無かったこと」にされてしまうのが常である。摘まんで見せびらかせる必要などまったくない。

自分の言い分や意見を「わかってほしい」と願うなら、先ず、誰にもわかってもらえなくて結構、という強さを育てるべきだ。そうしていると、不思議に「水分補給なんですけど、どれくらい入れたらベストなんでしょうか?」と問われるポジションになる。

政治家の発言やらも同じく、よくテレビなどでは「わかりにくいですよねぇ~」と言われているが、これにも二通りの見方があって「我々がわからないことを言うから、こいつは馬鹿だ」という評価と「彼の言うことが理解できない我々は馬鹿だ」という評価である。思えば、大阪の知事は上手く後者をとった。「大阪をひとつにする」といえばわかりやすいが、それをすると、何がどのように良くなるのか、を説明し切るとなれば、コレは結構、大変だろう(笑)。だからテレビ程度のメディアでは「大阪都構想」とは「わからないからダメ」ではなく「難しいからわからない」というコメントが殺到する。さすがはメディアの申し子、橋下知事もしてやったりである。つまるところ、これは「誰が言うか」が問題なのであり、所詮は「その当事者くらいしかわかっていない」こともあるということだ。

声を大きくして「わかってくれ!」とすると、周囲の普通の人らは「うるさいから」と耳を傾けてくれる。職場でぶーたれていれば、手の空いたヒマな上司が「どうしたの?」と別室に通してくれて御茶も出てくる。これは「そうしなければならない」からしているだけであって、誰も心の底から「どうしたんだろう?」なんて思っていない。腹の中では「ったく、この餓鬼が」と馬鹿にしている。不平不満など、オレ様にもあるわい、と説教するのを我慢して、ふんふん、それはね、なるほど、そうだよね、と同調しているだけに過ぎない。そしてこれは「健常者に対する態度」ではないのだ。


更にまた、こういう哀れな餓鬼をみて、それをやっかむほどレベルの低いこともない。認知症の高齢者が手を引かれて歩いているのを見て、誰も羨ましいと感じないのと同じく、その他大勢の人、雑多な価値観が強引に一本化されている「職場」というところで、幼い自分を出して文句垂れているなどは、哀れむべき存在なのである。認知症患者は介護保険の適用範囲内であるが「大人の姿をした餓鬼」に国は何ら保障はしていない。介助が必要なのは同じことだが「その要因」が全く違うから、いずれは誰も助けてくれなくなる。

職場に40過ぎた男性職員がいる。私よりも先輩である。10日目にして既に2回も「当日欠勤」があった。この人は初日、私に「口うるさいリーダーがいるでしょう?」と言ってきた人だ。私が社交辞令で「叱られたら慰めてくださいね」と言ったら「ボクも仕事には厳しいタイプですから、トドメをさすことになるかもしれませんよ」と脅された。

いい年こいて「仕事を当日欠勤する」なら、私は入院する他、考えられぬ。事実、私は「風邪をひいてしまいました」とか「原因不明の腹痛で~」などとして仕事を休んだことは20年以上ない。こんなの「仕事が出来る」とか以前の問題である。無論、高齢者がたくさんいる職場だから、インフルエンザなどだったら大変だと仕事を休むことは理解できるが、この御仁はちょくちょく休日に合わせて3日ほど流行性感冒となるらしい。本人がいないから、問うてもいない私にまでご丁寧に説明して下さる職員さんがいる。笑われている。

誰でも自分のことを知ってほしい。自分が大変なのだと信じたい。自分だけは正しいことを言っていて、自分だけは「理解されていない」のだと憤る。私はこれを「わかってくれ症候群」と名付けたい。病気だ。唯一の処方箋は「知ってくれなくて結構」という免疫だ。
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