最後の大会は「笑い飯」が優勝した、とネットで見た。「銀シャリ」は残念。しかしこの年末、私は漫才どころではなく、来年からの生活がコントになりそうだから、例年のようには気にしていなかった。26日の当日も忘れていたほどだ。だから妻に出場メンバーを聞いてみた。
妻:「あんな、ええと、笑い飯とーナイツとーハライチとースキマスイッチとー・・・・」
あ、そう、と私は聞き流したのだが、明らかに「漫才師以外」が混じっている。
しかしながら、我が妻が勘違いするのは仕方がない。ひと昔前は「漫才師」は「漫才師らしいコンビ名」だった。最近はどうだ。はい、どうもースキマスイッチです~ま、僕らもこうやって漫才やらしてもうてね、がんばっていかなあかんなーいうてね~とかでも違和感がない。昔の漫才師ならこうはならなかった。「阪神・巨人」と聞けば「漫才師」とわかるし、もっと前は「やすし・きよし」とか「岡けんた・ゆうた」とか「今いくよ・くるよ」とか「宮川大介・花子」とか、ぱっと聞いても「ユニット名」だとは思わないのである。
その点、今回やっと優勝した「笑い飯」は不思議なトーンだが、ま、ぱっと聞いて「お笑い」だとわかる。「笑い」とか入ってるし。前回は「パンクブーブー」が優勝したが、これもこのコンビ名でオートバックスのCMに出るのだから、これも「お笑い」とわかる。あと、順番はともかく「サンドイッチマン」と「ブラックマヨネーズ」もいいだろう。う~ん、まあ「アンタッチャブル」もダサいから良しとしよう。「フットボールアワー」は「アワー」がなんとなく、昭和のお笑いっぽく伝わるから、これもギリギリセーフとする。もちろん、初代優勝コンビの「中川家」とか第2回優勝コンビの「ますだ・おかだ」もOKだ。十分に漫才師っぽい。しかし、だ。
「チュートリアル」やら「NON STYLE」は紛らわしい。お笑いっぽくない。しかも、ちょっと男前もいるし、余計にややこしいのである。
なにを年寄り臭い・・・と言われるかもしれんが、最近のカタカナ文化、横文字文化は目に余るのである。なんというか「らしさ」とか「臭さ」を忘れてしまっているような気がしてならない。私の愛するプロレスもそうだ。何だ、今のレスラーどもは、イケ面はともかく、リングネームがふざけているのだ。
「CIMA」とかな。最初、私は新手の微炭酸アルコールドリンクかと思った。しかしまあ、昔は良かったもんだ。「ストロング・小林」とかな。誰がどう聞いてもプロレスラー以外のイメージが思い浮かばぬはずだ。それがなんだ「SUWA」とかな。「ミラノコレクションAT」なんぞ、それが名前なのかイベント名なのかブランド名なのか、もう、さっぱりだ。でも、ミラノもSUWAもCIMAも好きだ(笑)。ミラノの引退は泣いた。
ま、ところで、だ。
このイケナイ傾向は政治の世界にもみられる。汚染され始めている。ま、現在はまだ「政党名」はおかしくない。政治団体でキモイのがあるが、それでも自民党やら民主党、共産党やら公明党やら社民党と聞いても違和感はない。「たちあがれ日本」はちょっと変だが、なんといっても変なのが「みんなの党」だ。
巷では「マニフェスト」か「マニュフェスト」かで言い争いしているのに(マニフェストが正解)、これ以上、横文字で「アジェンダ」とか言われても、私は金髪美女しか思い浮かばなかった。この気持ち悪さは、例えば、ひと昔前までなら「無意味なひらがな表記」が不気味だったのと同じだ。「ふれあい」とか「ゆとり」とかな。
無駄な横文字の言い替えは「広く伝えること」には障害となる。横文字苦手、という人はいる。社長マンなども「コンプライアンス」が言いたいのだろうが、毎回、こんぷれあす、とか、こんぷれぷらすらいす、になるから周囲は困ったもんだ。難解に過ぎる。また、我が妻と肉を喰いに行って、カンピロバクター的な意味で神経質な私が「ウェルダン」と言うと、続いて妻が「ウィンダム」と言ったことがあった。なぜに今、ウルトラセブンのカプセル怪獣の名を連呼するのかと思ったが、これも「横文字が苦手」ということだ。ましてや本気を出した私が格好付けて、流暢なフランス語を駆使し「ビアンキュイで・・・それとシノン・クロー・ドレコー・・・」などとやれば、妻に浮気の疑いもかけられることになろう。というか、そんなん言ったときない。
私がパチンコ屋で働いていた時「屋号をアルファベットにする」と聞いて猛烈に反対してごり押ししたことがある。長年、地域のお客様に親しまれてきたカタカナの屋号を「ダサい」という理由で変更するのがどうしても気に入らなかった。私が英語が苦手だからいうのではない。どうしても合理的な理由が思い浮かばないのである。
もちろん、流通している「ビジネス用語」は別である。中には「わざわざ・・・」というのもあるだろうが、それでも「使われている」なら便利なんだろう。そのほうがさっくり伝わるならそれでいい。つまり、私が言いたいのは「伝える相手」のことである。関係者だけでやり取りするなら問題はない。勝手にすればよろしい。「みんなの党」の執行部会議で「アジェンダ」を連発するのは勝手だというのだ。しかしながら、それを有権者に連呼する必要などまったくない。昨年の夏の選挙をして「マニフェスト選挙」としたように、安易な言葉遊びは「キャッチフレーズ」となり、その中身の意味が霞んでしまう。
マスコミが「マニフェスト違反」と報じるのは、ある種の「ニュアンスの誤魔化」に過ぎない。自民党政権のときには明確な日本語で、誰にでもわかるように「公約違反」としてきた。「派閥政治」は民主党なら「グループ」となっている。「小沢グループ」などと称するのは「不良グループ」と同じような軽さがある。幼稚園から会社組織まで使われる「グループ分け」という語感にネガティブを感じることは少ない。これはイメージ操作だ。
他にも、例えばだが「謝罪する映像」を極力避けるのもそうだ。民主党議員は誠意を示して謝らない、とのイメージもあろうが、これはある程度の情報を所有する人、つまるところ「民主党議員が謝罪すべき事由」を知りうる人にしか得られぬイメージだ。そして、マスコミは「謝罪」させることが大好きな組織でもあるはずだが、現政権に対しては「説明」という言葉で誤魔化すことが多い。自民党相手ならば「公約を果たせなかった責任」を問うも、これが民主党ならば「公約を果たせなかった説明」を求める形となる。これは同じようだが、与えるネガティブイメージは断然に違う。昨年の夏に吹き荒れた「解散風」はこうして吹かされたことを忘れてはならない。活字と映像と肉声で「解散」というフレーズがどれほど踊っていたか、思い出すまでもあるまい。
また、5時間特番が組めるほどの「失言」だらけの民主党政権であるが、これも報じなければ視聴者は知らない、わからない。自民党政権であれば、どんな些細なことであれ報じるから、その都度、視聴者は「謝罪がない」ことを問わねばならなくなる。そして、自民党議員が謝罪会見やらを開くと、それを何度も何度も繰り返して報じるわけだ。もちろん、悪い意味で話題豊富な民主党政権だから、ひとつひとつの「情報」は小刻みにもなる。悪く言えば「アリバイ的」にさらっと流されてお仕舞い、ということもある。
昨日の27日、民主党の岡田幹事長は定例会見で「政権交代の具体的成果」としていくつか挙げた。どれもが酷い自画自賛に過ぎぬ戯けた内容であったが、それでも岡田幹事長は最初に「政治主導、政務三役主導として事務次官会議を廃止した」と威張っていた。これも道を歩けぬほどの阿呆だが、鳩山由紀夫などが言っていた「沖縄問題なんて知らなかったでしょ?(政権交代のおかげで)問題が浮上して話題になったでしょう?」と発狂したかのようなコメントを発したのと比せば、まだマシと言わねばならぬかもしれん。
しかし、だ。明けて今日28日には首相官邸では官房長官が「政務三役会議から事務方を排除することで意思疎通が図れないようではいけない。官房長と事務次官は可能な限り出席してほしい」と発言したと報じられる。これはどう解釈しても「事務次官会議」の事実上再開である。これでも自民党政権のときよく耳にした「党内不一致・内閣不一致」は聞こえてこない。
いずれにしても、昨日の今日である。この一味は昨年夏「脱官僚からの政治主導で国民の生活が第一」とかで選挙したのではなかったか。ならば「謝罪して説明」せねばならぬはずだが、これを国民に提起するマスメディアは少ない。代わりに聞こえてくるのは地方議員や初当選組の愚痴だ。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20101226-OYT1T00341.htm
<「小沢氏、説明を」民主1回生、地元で逆風>
<次期衆院選に向け、統一地方選を通じた地盤固めを図る中での逆風に、戸惑いを隠せないでいる。
岡田康裕氏(兵庫10区)は25日午後、統一地方選の兵庫県議選に立候補する民主党新人を伴い、同県高砂市内をあいさつ回りした。
60代が中心の囲碁集会では「小沢さんが国会で説明しないと、民主党は統一地方選で話にならんよ」「離党してもらった方がすっきりする」などと小沢氏の問題で集中砲火を浴びた。岡田氏は衆院政治倫理審査会の委員を務めるが、「小沢先生には、何度でも説明していただきたいと思っている」と述べるのが精いっぱいだった。
立ち寄った喫茶店の女性店主は「『もう次は民主党に入れない』という人ばかりだ」と、地元に渦巻く不満を伝えた。幹線道路の交差点でマイクを握った岡田氏は「『政治とカネ』の問題に決着をつけないといけない。しっかり年末年始で立て直したい」と訴えた>
同情する気など毛頭ない。というか、姑息であると断じておきたい。恥を知れと言いたい。政権交代は小沢さんのお陰、次期選挙が不安なら小沢さんの所為、お前らはなんなんだと言いたい。ンで、もっと下劣なのも出てきた。
http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101228-OYT1T00044.htm
<名刺の「民主」隠す市議も…統一選に危機感>
<多摩地区のある現職市議は、名刺の表に印刷されていた民主党のマークを、裏に印刷するよう改めた。「党への風当たりはかなり強い」と話し、「批判の矢面に立たされるので、街頭演説は出来ればやりたくない」と弱音を吐く>
企業名を「裏に隠している」ような会社と取引する企業はない。それに売国も過ぎると「日本民族の性質」すら忘れてしまうようだが、日本人はそういうのが最も嫌いだ。だから、貴様らの次の選挙は想像以上の大惨敗を喫することになろう。まさに自業自得だ。
ところで「M-1」が始まった10年前、2000年に起こった「雪印」による「集団食中毒事件」があった。被害者が1万人を超えるという戦後最大の食中毒事件だ。そんな中、雪印の社長がメディアの記者に対して「そんなこと言ったって、私は寝てないんだ!」と発してボコボコにされたことは覚えている。記者は「だったら食中毒で苦しんでいる人はどうなんだ!」と猛反論して、すぐに社長は謝罪した。この阿呆社長の姿は何度もテレビで流された。しかしその頃、雪印の社員らは「謝罪行脚」の毎日だった。一軒一軒、被害を訴えていた家庭を戸別訪問し、頭を下げて謝っていた。購入代金を返金し、治療費を支払いながら、全国各地の雪印社員は「大阪工場の責任を問う前に」自分の足で消費者の自宅で謝罪を繰り返していた。
当然のことだが、社員らは休日も問わず周り、本社は臨時の「お客様相談室」を開設して、朝から晩まで謝罪対応に追われた。そんなとき、テレビでは自社の社長が「私は寝てないんだ!」とやったから、溢れるクレームは量と質を増して襲いかかってきたことは容易に想像できる。ンで、このとき、雪印の社員が「名刺の雪印」を隠したと思うか?
逆だ。
雪印です―――――から挨拶している。この姿勢にマトモな消費者は打たれる。失った信用と信頼が回復できる光が見える。雪印は現在、分社化してまだまだ乳製品を作っているが、それは「私は寝てない」という社長の存在ではなく、末端からの社員、ひとりひとりが勝ち獲ったブランドである。民主党の地方議員であれ、1年生議員であれ、貴様らのところにも「朝5時から起きてやってるんだ」という「阿呆社長」がおろう。雪印の社員が「大阪工場で仕出かした不始末で、なんでこっちまで迷惑せねばならないのか」などという腐った愚痴を吐いたと思うか?それならば、あのとき潰れているのだ。
また、ついでに書くと、民主党は倒産した船場吉兆にも似ている。料理の使い回しが露見し、謝罪会見の席に出てきたのはトップではなく役員だった。また、その際「従業員が勝手にやった」として自爆した。顧客も従業員も敵に回したのである。だから内部告発されて倒産した。ざまみろ、である。今だから、ではないが、実は大阪の船場吉兆には社長マンの親戚が中心幹部として動いていた。ま、なにをかいわんや、である(笑)。
赤福は最初からトップが出てきた。カメラの前で深々と頭を下げ、誠意ある態度で謝罪した。営業停止明けには200名以上の客が並んで「赤福餅」を買って行った。「がんばりや!」「負けんなよ!」などの声に従業員らは泣いたのである。社長自らが指示したわけでもなく、まさにそれこそ、もったいないと思った従業員が「勝手にやった」ことだった。それでも社長は頭を下げた。コストを気にして「巻き直し」をしていた従業員らの気持ちは察するに余りある。私ならばもう、この会社に骨を埋めるつもりでやる。それが赤福の背骨を支えたのだ。
民主党の地方議員はどうだ。名刺の裏に党名を入れ、ロゴマークは小さくする。街頭演説では党名を言わず、政党の文句ばかりやっている。その本体の民主党も党内でウダウダするばかりだ。誰が悪い、お前が悪い、あいつが悪い、誰ひとりとして「オレが責任を取る」という気概のある人間はいない。民主党議員は毎朝「メグミルク」を飲んで「赤福餅」を喰ったほうがいい。・・・・いや、やはり「料亭の使い回し」がお似合いかw
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