忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「ポロリもあるのか」

2010年12月30日 | 過去記事
「ポロリもあるのか」

16歳か17歳のとき、長野県で住み込みアルバイトをした。そのバイト先の「先輩」となる大学生の兄ちゃんがいたのだが、これが何かあればすぐに「自分のお稲荷さん」などを出すのであった。酒を飲んでいても、メシを喰っていても、仕事をしていても、なぁなぁ、と人様を振り向かせるのだが、そのときには短パンの横から、あるいはダイレクトにズボンを下ろしているのだ。ま、簡単に言うと変態である。

しかしながら、これは「露出症」という病気らしい。ちなみに「覗き魔」は「窃視症」という。一応、精神医学の分野では「変態」で片づけることが出来ないから、どうにかして「病気」にする必要があるのだろう。田代まさしなどがそうだ。彼は女子高生のスカートの中を盗撮して捕まり、出てきたら風呂場を覗いてまた捕まって神になった。さらには麻薬まで止められずに、これまた逮捕されて最高神になった。あの逮捕されたときの神々しい御姿は記憶に新しい。即身仏のように痩せ細り、この世の煩悩を魂いっぱい吸い込んだような御顔であった。ダメ人間の見本だ。

また、この「露出症」というのは本来、女性に多い病気らしい。・・・うむ、そう言われると、なんか納得もできる。なぜというに、この真冬に生足を剥き出しにして歩いている女性なども思い浮かぶではないか。他にもパンツを見せたいのか、太ももも露わにしたミニスカートなどもみかける。夏場なども陰毛を剃り上げてまで「あぶない水着」を装備していたりもする。

女優でもなくタレントでもなく、もっとも「売るため」でもないのに「ヘアヌード」を撮影する女もそうだ。仕事でもないのにカメラマンの前で素っ裸になりたいのだ。また、最近は男でも半分ケツ出して歩いているのもいる。「トランクスが見えている」というレベルではなく、尾骶骨よりも下にズボンもパンツもある状態だ。罰ゲームかと思ったが好きでやっているらしい。あと「半ケツ」といえば、若い女性のローライズというのはすごい。

完全無料でうら若き乙女が半分お尻を見せてくれているのである。私などは思わず、そこに千円札を詰めそうになる。しかしながら、なんと、それをぼぉ~っと見つめていると、こちらが「変態」と言われる恐れがある。「ちょっと、なに見てんの?」と詰め寄られたりする可能性がある。それでも凝視していると警察を呼ばれたりする。実に不思議だ。

しかし、うっかりこんなことを言うと「それはファッション」だと叱られる。私などは「ファッションならば、注目されたら喜ぶべきではないのか?」と思ってしまうのだが、要するに、だ。ローライズを穿いた女性がいれば、それをニタニタ眺めるのではなく、さっと目を伏せて立ち去るか、まったく気にも留めずに普通に振舞うか、のどちらかしかない。道端で半分尻を出している相手を不愉快にしてはならない。道端で「お稲荷さん」を半分出しているオッサンがいればそうするように、視線を合わさずその場を離れるか、あるいは素知らぬ顔、え?それはお尻だったんですか?とでもいう風に素で対応する他ない。

ま、もちろん、それらは女性特有の可愛らしい自己顕示欲、悪く言えば自意識過剰から客観性を失っているだけだったりする。毛唐の宴ではちょくちょく、背中がぶつぶつだらけの50女までが大きく肌を晒したドレスなんぞを着て踊り狂い、ナイフとフォークという凶器を振り回して死肉を貪り喰っておるが、アレと同じようなモノで日本人女性は真似せんでよろしい。ま、ともかく、相手が嫌悪することが嬉しい、という「お稲荷さん」と「女性のファッション」を一緒にするわけではない。相手が驚いたり、嫌悪感を示して逃げたりすることが嬉しいという「露出症」は、ただ迷惑というか犯罪だったりする。↓

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101229/crm1012291357008-n1.htm
<マック女性店員に下半身露出 容疑の46歳自衛官逮捕「驚く顔見たかった」>

そらドライブスルーで下半身出したら、相手のお姉さんもスルー出来ない。この自衛官も46歳にもなってオノレのメガドッグを人様に見せて喜んでいる場合ではない。これは集団的自衛権の解釈でもどうにもならない。とくに専守防衛でもなさそうだ。


それに関連ニュースをみれば、だ。

• 市営バスで下半身露出 容疑の消防署係長逮捕 仙台
• 路上で下半身露出の静岡県職員逮捕 34歳の研究所主任が突然、歩いていた女性に…
• 自転車ですれ違いざまにポロリ… 下半身露出の大阪市職員を逮捕
• 弁護士が飲食店で下半身露出
• 「下半身露出サイトを見て自分も…」公然わいせつ容疑で32歳男逮捕 警視庁


それなりの肩書を持つ人がやってしまう傾向にある。消防署の係長などもいるが、ポロリした際、真顔で「火災が発生したと聞いたんですが!」とすればよかった。それでも捕まっただろうが、世の中の「ウケ」が違ったはずだ。実にもったいない。また、精神科の先生は、これらの事例を看るに「ストレスです」と言いやすいだろうが、公務員などの「御役所仕事」以外でも、世の中にいる管理職や経営者なども変態が溢れている。社長マンなども、どこに出しても恥ずかしくない変態だったが、日本を代表するアイドルユニットのメンバーが「裸で何が悪い」と素っ裸になっていたこともあった。私もTシャツを持っている。サイズが5Lということで、現在は妻がパジャマにしている。

日本語には「はしたない(端無い)」という言葉がある。これは往々にして女性を指して使われたりする。スカートを穿いて走りまわったりすると、これ、はしたないですよ!なんて叱られる。男性の前で胡坐をかいて座ったりしても言われる。また、これと同じような言葉で「ふしだら」がある。これも専ら女性を指すことが多い。「キミってふしだらだよね?」と言えば、過半の女性からはビンタされることになろう。でも、先ほどのローライズやら腰パンは「はしたない」と言われるかもしれんが、これらを「ふしだら」とは言わない。

「ふしだら」とは「不修多羅」と書く。古代インドでは教法を記すとき、紙がないから葉っぱに書いた。これを「多羅葉」という。これらが散逸せぬよう穴を開けて紐を通して束ねた。「修多羅」というのはこの「紐」をいう。ありがたい教法を留めておく紐が用を供さない、つまり、物事の道理がバラバラに散逸することから「修多羅」に「不」がついたわけだ。対して「端無い」というのは不揃い、キチンと揃っていない、足りていない、などの語意となる。道端で半分ケツ出していたら、やはり、それは「キチンとしなさい。お尻を仕舞いなさい」となる。なるほど、これにも納得だ。

しかしまあ、人間だもの(笑)。酒飲み過ぎてパンツ脱いだり、壁に穴があったら覗きたくなることもあろう。私もある。脱いだこともある。朝起きたらパンツ一丁で神社にいたこともある。さすがに「覗き」はないが、パチンコ屋のとき、事務所にある高性能カメラで好き勝手に遊んでいたから、これもある種の「覗き行為」かもしれない(笑)。現在のカメラはすごくて、その気になればお客さんの携帯メールの文字まで読める。毛穴まで見える。みなさま気をつけましょう。ま、無論、酒飲んでいようがどうであろうが、これらは歴然たる犯罪行為であるが、多くの人が「ダメなことだけれども、ま、わかる気がするw」という範疇ではある。つまり「はしたない行為」だと咎められる範囲だ。しかし、普通の人は酒も飲まずにドライブスルーで下半身放り出して興奮する、と言われたら「???」となる。問題はこの境目がどこなのか?である。

このヒントが、先ほどの「はしたない」と「ふしだら」の間にある。キーワードは「道理」だ。多感期にある少年少女、あるいは自己顕示欲丸出しの女性などが「はしたない」恰好をしていても、それは「道理を外す」とまで言えば大袈裟である。これは酒飲んで調子に乗ったり、壁にみつけた穴を覗く好奇心というレベルにあるからだ。もちろん、イイトシこいて、あるいはそれなりの立場、時と場合を勘案して「そらダメだろw」というようなシーンではやらないほうが賢明ではある。

それに「露出症」とは本来、マスコミが嫌がる言葉で書くと「露出狂」のことだ。つまり、狂っているわけだ。「窃視症」などという言葉も専門家しか使わない。普通は「のぞき魔」という。これも「通り魔」などと同じく、正常な精神状態ではやらないことだからだ。

「道理を外す」ことを外道という。すなわち「不修多羅」とは畜生道、外道に堕した状態をいう。人間性が崩壊しているわけだ。このドライブスルーで下半身を放り出して喜ぶ自衛官と自分の娘を一緒の部屋に放り込むことは出来ない。なぜなら、その相手は畜生だからだ。「物事の道理が通じぬ相手」だと判断するからである。

例えば、捕まった田代まさしは「窃視症」であり「麻薬中毒患者」である。これもホントは「のぞき魔」で「シャブ中」のことだ。だから警察に捕まっている。これら「病気」とすることは危険である。それは言うまでもなく「本人の責任」が問われぬ恐れがあるからだ。よく麻薬中毒者の更生施設やらを紹介する番組があるが、その際、必ず「本人の意思ではどうしようもない」などと付け加えることになっている。その依存性の強さを言い抜けにして、いかにも努力して薬物依存症から脱しようと頑張る人たち、という角度を入れることを忘れない。これもよく考えるまでもなく、最初からせねばいいだけだ。

最近では酒井法子がシャブ中だとバレた。これにも「のりピーがんばって」というファンもいるという。酒井がヤクザに拉致されて無理矢理シャブ喰わされたとでも思っているのか知らないが、好きでやったならば安心せよ、かなりの確率でまたやる。清水健太郎などはもう「シャブ中レストラン」になったではないか。

覚醒剤などに手を出すというのは、その入り口から「道理を外す」ことになる。それも実にくだらない理由だ。「ストレス解消」とか「毎日が嫌になって」などというくだらぬ理由だ。押尾学はそれで女性を見殺しにしたではないか。「仕事のストレスで手を出してしまった」というような人間は、元々からして他人のことなど歯牙にもかけない。麻薬の所為、禁断症状で辛いのではない。元来、甘えている人間だから麻薬に手を出すのである。つまり、ドライブスルーで下半身放り出した自衛官と同じ動機なのだ。

また、こういう人間の「得ている情報」とは驚くほど偏った、自分に都合の良い情報しか受け入れていないことも共通する。基本的に「友人」がいないことが多い。周囲に人がいるからとはいえ、それを「友人」とするかどうかは難しいわけだ。このドライブスルーで下半身を放り出した自衛官や、火災現場でもないのに己のホースを見せびらかした消防士などもおそらく、日常的なコミュニケーションが不全であったと推察する。大人とは思えぬほど喜怒哀楽を表面化させたり、耳の痛いことは聞いて怒るか、聞こえないか、ともかく、一緒にいても疲れるから、なんら用のない人らは近付いてこない。

結果、信じられぬほど交友関係は狭く特化してくる。「ただの知り合い」のウェイトが増す。常識では考えられぬ図々しいことを頼んできたりもする。それが断られると、完全に自分の都合を優先させて怒髪天を突く。「自分の味方以外は敵」ともいえる攻撃的な人間交際となる。すなわち、普通の人らは距離を置く。数少ない「周囲の人間」に対する依存度は増し、病的なほど疑心暗鬼となる。それでも「残っている人」に碌なものはいないはずだが、それらは既に判断不能、大切な「理解者」だと信じ込むことになる。もう、とっくに「犯罪者の心理状態」に陥っているのだが本人は全く気付かない。

チカラでカネで、あるいは弱みを握って交友関係を強要する。こういうカスのようなエゴを正当化し、周囲からは利用されるだけの人生に対し、無根拠な不安感が毎夜のように襲ってくる。自己保身と自暴自棄の矛盾に人格が崩壊する。その結果、ドライブスルーでビッグマックを出すか、シャブがあれば容易に手を出し、自己管理は放逐しているのに自分のことだけしか考えられぬ物の怪と化す。



つまり、だ。

「のぞき魔」は「通り魔」になる可能性が高い。「露出狂」も大通りで刃物振り回す可能性が高い。もちろん、麻薬に手を出すこともあり得る話だ。要するに、あとは環境次第、だ。

「シャブ中」を「患者」と呼んだり、ましてや「窃視症」など冗談のような言い方は止めたほうがいい。もうすぐ「殺人症」とか「窃盗症」が出てきて「殺」はダメだから「さつ人症」とか「盗」は人権侵害だから「窃とう症」などになるのではあるまいな。もしくは「性欲強壮障害」とか「放火依存症」など出てきて、その更生施設に税金が使われたりするのも笑えん。

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