忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

民主党の正体はエリマキトカゲだった

2010年11月24日 | 過去記事
7世紀ごろのイギリスにいた高僧で「聖アルドヘルム」という人は、常日頃、哀れな子羊たちにキリスト教の禁欲主義を説きながら、己は毎夜のごとく美女を侍らせ、民主党の幹部連中のように酒池肉林を謳歌していたといわれる。その理由がまた素晴らしく、曰く「このような怠惰な生活をしていれば、悪魔が呆れて去っていく」とのことだった。悪魔は聖職者を堕落させることが目的であるから、もはや既にこれ以上ないほど堕落した姿を晒すことで、悪魔のモチベーションを下げてやろうという魂胆だと言うのである。

また、民主党の内外を問わず、現政権を擁護するに苦しい状況ながら、何らかの「よんどころない理由」を持つ人は「例えば尖閣諸島などの安全保障、北方領土などの領土問題、沖縄米軍基地などの日米軍事同盟などについて、民主党政権になってから広く多くの国民に周知されることになった。これは民主党政権の“功績”といえるかもしれない」などと嫌味をいう他ない状態だ。心中、お察しする(笑)。

つまり、日本国民に安全保障を意識して欲しいと願うことから支那人船長を釈放し、領土問題を風化させてはならぬという危機意識からメドベージェフに国後島を不法入国させ、日米同盟のあり方を議論してもらいたいという動機から「基地問題」を混乱させたというのだ。まさに愚昧なる人間ごときが「イエス・キリスト」に導かれ、悪魔の誘惑に耳を貸さぬよう禁欲主義を用いて魂を磨き上げるようなことはしていませんと、酒と女に惑溺する醜態を「あえて」晒していたアルドヘルムのごとき言い抜けである。

となれば、22日の参議院予算委員会における野党の質問に対する管内閣の閣僚どもの答弁も「政界に潜む悪魔」は呆れ果てて退散したことだろう。政権打倒を目論む反勢力も「これはもう、既に倒閣している」と判断して「勤労感謝の日」に鍋でもつついているはずだ。

これはもう「空白」とか「混乱」というレベルではなく、学級崩壊と同じところで「崩壊」とするのがよろしかろう。野党議員の「質問に答えていません!」という抗議の声も虚しく、あれは「質問に答えていない」という段階には非ず、よく耳にする「論点のすり替え」や「はぐらかし」などという弁論における反則技ですらない。もちろん、ふざけているわけでもない。「ふざける」というのはある種の批判精神や皮肉を含意するニヒリズムでもあろうが、管内閣一味のそれは意外なほどに真剣、且つ、真面目に答えている。

例えば、自民党議員に対する管直人の答弁について客観的意見を述べると、日本国の内閣総理大臣である管直人は国会答弁に対し、実に真摯に脳味噌をフル回転させているとわかる。辞任させられた柳田法務大臣とは違い、管直人は誠心誠意、どう言えば納得してもらえる答弁となるのか、彼は決して「ふざけて」いるわけではなく、大真面目に尽くして答えている。また、過日、東大の駒場キャンパスで講演した前総理大臣の鳩山由紀夫も同じく、あれは「ふざけている」わけでもなんでもない。彼も本当に心の底から<「日米関係がおかしくなったと、めちゃくちゃに壊されたと。もしそういうことをおっしゃる方がいるとすれば、それは古い日米関係、いわゆる日本とアメリカが、いわゆる古いタイプの安全保障の中で、身動きがとれない状況をむしろ喜びたいと、何も変わらないことが、それが日米にとって望ましいんだと。そう思っている方々からすると、鳩山が登場して、何か日米が新しい時代になるんじゃないか、自分たちの時代がひょっとして終わるんじゃないかという恐れの中で、鳩山が日米関係をおかしくした。自分たちにとって、おかしくなったという部分が、あるいはあるかもしれません」>と述べておられる。人前で、だ。

尖閣の件についても<「むしろ、東アジア共同体的な発想、友愛の発想の中でそもそもこのような事件の解決のあり方、ありようがあったのかどうかということでございまして、問題が起きないうちに、もっとうまい道のりというものを、道筋というものを考えることができたはずなのになあと、そのように思って、その意味では、大変残念な事件になってしまったなと」>としている。素面で、だ。総理の座を降りて、ようやく自分が「批判するしか能がない」と気付いたのである。そこで代わりに総理の座に就いた管直人を批判しているのだが、酒も飲まずに阿呆なことが言える鳩山由紀夫と違って、いつでもどこでも文句を言うしか能がない管直人は、今は自分が総理大臣だから政権批判ができない。管直人は政権批判が出来ないとやることがない。そしてその「批判」とやらも、世間一般からすれば噴飯もののブーメランであるから、結局のところは公の場で困り果てる他ない。

彼らの救いは「羞恥心が死んでしまっている」ことだ。また、日本語の理解力も乏しく、自民党議員らが発する質問に対しても「主旨」がわからない。わざとはぐらかしている仙谷官房長官のような悪漢ではなく、彼らは本当にわからない。自民党議員などから繰り返し説明される「質問の主旨」など、もはや、流れゆく小川に菜花を浮かべる如く、麗らかな秋空の日差しと共に過ぎ去りし日の遠い思い出、何を問われているのか、何が問題なのか、この人は誰なのか、ここはどこなのか、もう帰ってもいいのか、仙谷や柳田、蓮舫や前原はわかっていても、可哀そうな彼らにはわからない。



―――また、つい忘れがちだが、この政権はまだ連立政権だったりもする。議席を消滅させながらも連立を組むという不思議な政党である「国民新党」代表の亀井静香は<辞める必要はなかった。こんなことで辞めるなら最初から閣僚にならなければいい。自公政権時代の法務大臣も同じような答弁をしていたのだから、問責決議案を出すこと自体がおかしな話だ。政権として、きぜんとした態度を取らないからこういうことになる>と庇うのだが、次の選挙は出ないつもりなのだろうか。是非とも次の選挙ではそのまま、民主党擁護のスタンスで議席をゼロにしてほしい。がんばれ!国民新党(笑)である。

テレビにもすごいのがいる。鳥越だ。ニヘラニヘラしながら「法務大臣はいいですぉ~♪」として「2つの言葉」を披露したおかげで辞任させられた柳田擁護の際<問題となった発言は国会軽視ではない。実際、法務省では具体的な案件を扱っており、話したくても話せないという情況にある。その苦しい胸の内を話したと思う>などと平然と言う。

江川昭子も負けてはいない。<ユーモアセンスのない人が自虐ギャグを言い、外してしまった。おきゅうを据えるのはいいが、辞める必要があるのか。柳田氏は素人で心もとないとは思ったが、検察改革は「素人だからこそできる」という面も大きかったはず。法の専門家が大臣になれば変革を望まない検事は大喜びするだろう>などとしている。

ま、マスコミの人間は柳田を笑えないはずだ。あまりの売国ぶりに嫌悪感を抱いた視聴者がクレームを出しても「担当にそのようにお伝えします」と「貴重なご意見としてお伺いいたします」の2つでいいわけだから同じようなものである。しかし、番組司会者などがそのまま放送でそれを言うことはない。「皆さまからの御意見お待ちしています」とのスタンスを崩すことはあるまい。柳田はそれすらわからぬほど驕っていた。天下の民主党閣僚、世の中なんぞどうにでもなると馬鹿にしていたわけだ。

それはパシリのどチンピラも同じく、なにやら松崎哲久という民主党の末端構成員が産経新聞で「自衛官を恫喝した」とやられた。本人は「事実無根、完全に産経の捏造」と反論しているが、それでも「暴言を吐かれた」ことは事実だとしている。本人は「挑発に乗らなかった」とまで言っているが、つまり、この当該自衛官は松崎議員に対し、なぜだか「挑発行為」を行い、それに対して「紳士的に」注意しただけの松崎議員の言動を捏造し、それを産経新聞が悪意を持って報じた、としているわけだ。

この民主党議員の言う通りなら、まさに自衛隊は「暴力装置」と言われても仕方がない。この自衛官は「暴力団」だ。なんら落ち度のない国会議員に対し挑発し、あまつさえ被害を捏造して極右新聞にリークするなど、その罪は「田母神論文」の比ではあるまい。大勢のちゃんとした人が目撃しているだろうし、なにより、この自衛官を国会に参考人として呼ぶべきだ。山岡某といい三宅某といい、他の民主党の連中のように、勝手に被害者面して訴えておいて、後でこっそり取り下げるような姑息な真似を許してはならん。この松崎某も産経新聞を許してはならん。名誉棄損で訴えて白黒はっきりさせるべきである。



さて――――

先述した「民主党のおかげで領土問題や安全保障における日本国民の意識が覚醒した」という皮肉な評価であるが、実のところ、私は渋々ながらこれを認めるにやぶさかではない。というのも、なかなか、これほどまで国民を不安にさせてくれた政権も久しいからだ。また願わくば、拉致問題担当大臣も兼務していた柳田前法務大臣には「広く情報収集に努めます」とか「一日も早い解決に向けて全力で取り組みます」などの「得意の2フレーズ」を開発、発表して欲しかったところだ。今頃もテレビマスコミは拉致被害者家族のところにカメラを持って走ったことだろう。世間の話題になるのは大いに結構なことだ。

なんとなく「(侵略されていることが)それが普通」になりつつあった北方領土だったが、尖閣諸島における漁船の体当たり攻撃などに対する民主党の素人外交を確認してから、メドベージェフは国後島に不法入国した。根室の海で日本の漁船が銃撃されても忘れてしまう日本の世論であったが、ここにきて「ロシアの元大統領が上陸した」というのは、とりあえず話題にはされていた。「メドベージェフ」という名前くらいは覚えただろう。

尖閣もそうだ。なんとなく「中国って怖いなぁ」というイメージは日本国民の世論の中に再形成された。伴う「ビデオ隠し」による民主党の「ウソだらけ&無責任」も疑う余地は無くなったし、とはいえ、すぐに「じゃあ小沢さん!」というような阿呆もテレビの中くらいになった。トロイカに岡田と前原、今度は仙谷も合わせてのローテーションも先が読めて、政権交代前には通じていた「顔の張替」による誤魔化しも利かなくなった。

人間というモノは「無くしてから気付くこと」が結構あって、昨年の夏、太陽光線やら映像を受信する家電から発せられる怪電波に脳をやられて「自民党にお灸を」と言いながら火をつけたら、多くの日本人は自分が大火傷することになったわけだが、これもまあ、高すぎる勉強代ではあったとはいえ、この国の国民に「民主主義」とはなにか?民選からなる国会議員とは何か?を思い出させることになったのならば歓迎したい(泣)。

そして、民主党が政権を盗ったことによる「恩恵」であるが、実はもうひとつあると思われる。それは「非を認めぬ」という日本人離れした姿勢をみせてくれたこと、である。謝罪はしても絶対に非は認めぬ姿勢、明らかに便宜上、否応なく、損得勘定の末の「謝罪」というものを、この国の国民はリアルに見せつけられることになった。

これも聞き飽きた事例であるが、例えば、外国で交通事故を起こした日本人が、日本国内のように反射的に謝罪することを戒める逸話はたくさんある。外国では普通、何も調査せずに謝ることは「100%の責任を負う」ことを意味するらしい。日本国内での衝突事故の場合、日本人同士が出会い頭で接触事故を起こせば、どちらもまず車から飛び出し、すいません!大丈夫ですか?となるはずだが、これを外国でそのままやれば、一切の事故責任を負わされることになる。こちらが追突しても、先ずは「てめぇ!なにやってるんだ!」が常識なのだ。

つまり、国際社会は「民主党議員」のように出来ている。無論、悪い意味でだ。彼らは常に強気の姿勢を崩さない。「謝ったら負け」とよく知る彼らは、ライバル政党には当然ながら、日本の国民に対しても誠意を持って謝罪することなどない。いや、口だけならば渋々ながらもする。しかし、本当のところ、自分は悪くないと思っているわけだ。だから、それ以上の反省は絶対にしない。

彼らが(日本の国民に対して)謝罪を口にするのは、日本の国民とは謝罪すれば「責任を問わなくなる文化がある」と既知だからである。管直人が問責決議案が提出される朝に柳田の首を切ったのも「責任を取らせれば文句は言えまい」と安易に考えたからだと自明である。すなわち、すべからく保身のため、だ。まるで「日本の国益とは民主党政権が維持されることだ」といわんばかりの浅薄さである。己の保身、政権維持が最優先、彼らが謝るとき、それは我々のいうところの謝罪を意味しない。彼らは彼らを守っているだけだ。

そして、民主党の中の人は知らないだろうが、日本人は本能的にこれを見抜く。無条件で嫌悪する。これは「そうしたほう(謝ったほう)がいい」というテクニックの話であり、そこに反省や後悔を求めるのは腐れ人権屋弁護士に罪と恥の概念を説明するより無駄なことだと知っている。日本の国民はこれを改めて教えてもらったのだ。日本以外の国で「潔さ」や「あっさり」が通じるのは、例えば台湾がそうだが、欧米諸国は無論のこと、アジアとはいえ支那大陸や朝鮮半島では通らない。「すぐに謝って相手を立てる」ことに何の価値も見いだせないのは国際常識なのだ。

となれば、民主党の謝罪外交の意味もわかる。彼らは「頭を下げたくらいで問題が解決しない」ということを誰よりも知っている。自民党と友愛も友好もするつもりもないのに、支那朝鮮と出来るはずがないと連中は知っている。日本の有権者をこれほど騙して開き直ることが出来る連中が、なぜに数十年以上前の「日本の罪」とやらを本気で謝ることが出来るというのか。「心からの謝罪」などあり得ない。また、そんなことに意味はない。

西村眞吾氏は鳩山政権当時の総理大臣と幹事長を指して「日本人のマインドが無い」と喝破した。その通りなのだ。そういう意味で彼らは日本人ではない。とはいえ、日本と日本人が嫌いなのでもない。そういう問題ではなく、単純に彼らは「彼らの国のため」に尽力している。支那朝鮮人の就学生や留学生には公金を振舞うのに、日本の苦学生には何ら援助を提案せぬのも同じ理由からだ。そして、彼らの国では「謝ったら負け」なのだ。

彼らは外国人、それもやはり支那朝鮮人のマインドを持っている。呑気な日本人を騙して心が痛まぬマインドだ。狡猾に接近し、耳に優しい言葉を吐いて、油断したら全部持って行かれる。我々が特定亜細亜を旅するとき、何よりも先ず安全を確保せねばならないのと同じだ。霞が関も永田町も日本国内ではあるが、そこに跋扈する連中の頭と心はわからない。日本の慣例、習慣、文化が通じない連中がいる。管直人の「水の飲み方」が韓国人のそれだと指摘する声があるが、インド人がターバンをしても驚かないのと同様、韓国人が韓国の習慣で水を飲んでも不思議ではないし、ついでに仙谷が公衆の面前で鼻に指を入れてほじくるのも支那人ならおかしくない。日本人は人前でアレはしない。出来ない。

支那人の村を襲って大腿部の肉を「すき焼き」にしないのと同じく、日本人は人間を喰わない、のではなく、喰えないのである。もし、支那朝鮮人や反日日本人が言う通り、日本兵にカニバリズムの習慣があれば、伸び切った南方戦線で補給が届かなくとも「共食い」して生き残った兵士が大勢いてもいい話だ。しかし実際は日本の反日左翼が馬鹿にする通り、多くの日本人はそこで餓死するに至ったわけだ。外国の村を襲ってまで人肉を喰う日本人が、ただの肉塊となった死体に不自由せぬ状況をして、なぜに餓死に至るまで手を付けずにいたのか、と問えば、それは「喰えない」からなのだ。

同様に、日本人が社交辞令や挨拶代わりに「すいません、すいませんw」とせず、本気で申し訳ないと心から謝罪するとき、日本人は責任を取る、のではなく、取らずにおれない、のである。責任の所在を放擲して、その後、そのまま何事も無かったように過ごすことは、多くの日本人にとって苦痛なのであり、なによりもそれは「恥」なのである。

丸川議員は管直人に「恥ずかしくないんですか?」と国会で問うた。答弁の必要もなかろう。そう、彼は恥ずかしくない。自らの職位に未練はあっても、その職責には興味がない。そして、これは日本人マインドではない。

しかしまあ、考えることはあっても落ち込むことはない。思えば民主党政権というモノはブームであった。流行りだ。また、流行りとは「時花」ともいう。「その時だけ咲く花のよう」なものという意味だろう。昨年の夏、民主党議員はまさに満開の花だった。そして言うまでもなく、流行とは軽佻浮薄、短期間に広く浅く染み込むように普及するモノに限られる。何千年も前から人々を唸らせる美術品などとは次元が違う。博物館や美術館にある展示品を「何千年も流行している」とは言わない。また、民主党議員はよく「戦後長らく続いた自民党政権」を小馬鹿にするが、自らは一発屋もびっくりの短命ブームであろう。京都府の文化博物館には1200年以上前、平安京の十二単は大切に保管されるが、その横にエリマキトカゲの人形は置いていないだろう。「ナメ猫」のブロマイドも展示されていない。ええと、ダッコちゃん?もないだろうw

民主党政権など、平成の世にぱっと咲いて散るだけの「流行」に過ぎない。すぐに「ああ、そんな政党もあったなぁ」となるサダメである。それにもう、日本各地でリコールも巻き起こっているではないか。民主党が大好きな「直近の民度」とやらは千葉県松戸市の市議選だろうが、アレ、顔面蒼白だったんではないか?w

11人も候補を立ててギリギリ当選が2名とのことだが、もう、日本人は「民主党」と書いてあるだけで敬遠するようになった。ちょうど「中国産」と書かれた商品が売れなくなったのと同じだ。今、日本の有権者の声は「ミンシュ・フリー」なのである。

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