忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2009.1.19

2009年01月19日 | 過去記事
私は大のプロレスファンである。先日もフィリピンバーで飲んでいて、そらもう、愛らしい女の子に囲まれて楽しく過ごしていたのだが、そこに筋肉ムキムキのプロレスラーが登場し、とある人に紹介してもらうと、ホステスは放逐されることになる。別に「そっち」の趣味はないのだが、やはり、会話の中に技名やレスラー名などが飛び出すにつれ、徐々に興奮してくるのは仕方ない。▼朝日新聞、天声人語が「安田講堂事件」を書いていた。もう、40年も前らしい。当時、私は生まれてもいないのだが、天声人語を読むと、徐々に興奮しているのが伝わった。▼朝日は公務執行妨害などで2年の懲役をくらった島泰三氏の著書から「人生の暮れ方に至っても、私は後悔していない。歴史のひとつの局面で、果たすべき義の一端を担うことができたのは、わが人生の欣快(きんかい)である」を紹介する。朝日はもう、当時を思い出して、もう、身悶えしてたまらない感じか。▼産経抄は、そんな朝日のノスタルジアに水を差す。<そんな節目のせいかテレビなどで運動を振り返り、総括しようという動きが盛んだ。だがノスタルジアに浸ってみたり、自らを正当化したりというのなら興ざめな思いがする>としている。「何倍もの被害者がいた」とか「入試を受けられなかった学生」や「怪我をされた警察官」や「暴力で学校を追われた人達」などもいたと批判してみせる。果ては<だが、そのことをまず謝ってからという全共闘世代にはあまり出会わない>とチクリと皮肉っている。▼しかしながら、そんな常識がわかるならば「そんなこと」しないと思われる。朝日はこう書いている。<全共闘の運動を革命ごっこと嘲(あざけ)るのは楽だが、ベトナム反戦でも大学改革でも、時代と社会に向き合う一途さはまぶしい。その「熱いバトン」を落とした世代の、勝手な感傷だろうか>▼どっぷり浸かったプロレスファンに、八百長だのスポーツショーだのと批判しても通じないのと同じだ。「熱いバトン」なんだそうだ。朝日の気持ちはよくわかる。たしかに、私なども「闘魂伝承」といわれると身悶えする。

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