17日も私は新聞を読んだが、どうやら読者投稿の欄を読み飛ばしていたらしい。引っ張り出して探してみたら、ちゃんと掲載されていた。まあ、産経新聞が喜びそうな内容だ。しかし、まあ、私が新聞に投稿する理由は「なんとなく」である。1000円の図書カードはうれしいけどねw
そういえば2年ほど前、毎日新聞のエッセイコンテストで「優秀賞」をもらったときは副賞もあった。ウン万円と賞状が贈られてきたし、交通費を出すから横浜の大学まで授賞式に来いと書かれていた。付き添いもひとりまでなら交通費を面倒みるとのことだった。太い腹である。ちなみに、私のエッセイを破った「最優秀賞」は「たったひとりの反戦教師」というタイトルのエッセイだった(笑)。ま、つまり、そういう戦いだw
また、昼飯喰いながら書いた「キムチネタ」がそれほど嬉しかったのか、なんと、イギリスの大学でも配られた冊子にも翻訳されて掲載されているらしい。私は少しだけ反省した(笑)。内容はさすがに反日ではないが、毎日新聞に「日韓友好は実現できるセヨ!」という内容のエッセイを送るなど、私はいったい、何をしているのかと。現実にイギリスの大学生の何人かは誤解したのではないかと、反省したのである(笑)。
それより、最近、実は小説を書いて送ったのだが、見事に落選した。NHKだ(笑)。
採用されて「朝の連続ドラマ」にでもなったら面白いな、と思ったが、やはり、そんなに甘くない。まあ、どうせ、少し手直しもしたかったし、それはそれでいいのだが、まあ、概要を少しだけ書くと、だ(笑わないでね)。
入社して10年ほど経った中堅サラリーマンが主人公だ。会社の忘年会のあと、同じ会社の経理部長に誘われて、もう一軒行くことになる。主人公は妻との離婚も考えており、その前日も冷めた喧嘩をしているから、早く帰宅する理由もなく、なんとなく付き合った。
連れて行かれたのは、経理部長の行きつけ。薄汚い大衆酒場だった。その店の「隠れた名物」は「もやし炒め」だ。店には年季の入った中華鍋を振る骨董品のような爺さん、そして、おそらくは50代であろう娘さんがいる。経理部長は忘年会では飲まなかった日本酒を啜りながら話し始める。この店の爺さん、大将の「まっちゃん」は戦争中に「もやし」をつくっていた、とのこと。そして、どこで作っていたと思う?と問われた主人公は、30代半ば独特の生意気さで、さあ?と半笑いを浮かべた愛想のない返答をするも、経理部長の目つきが変わり、真剣な口元から発せられる「それは潜水艦の中だ」の一言に興味をそそられる。そして場面は昭和17年6月5日のミッドウェー島に切り替わる。
日本が敗れた戦いとはいえ、ミッドウェー基地を炎上させ、日米の海戦において唯一「日本海軍潜水艦の損失ゼロ」であった戦いの中、現在は大衆酒場の大将である、若き富樫松五郎は出撃した15隻の潜水艦の一隻に乗り込み、祖国日本で己の無事を祈る幼き妻・節子を胸に想い、空と海を埋め尽くすアメリカ軍に対し決死の戦いを挑む――――――
酒場の名は「せっちゃん」だ。松五郎、つまり「まっちゃん」はアルツハイマーながらも、中華鍋で「もやし炒め」を作るときだけは背筋が伸びる。「まっちゃん」の娘の名が「かおり」だと知った主人公は、店の名になった妻、節子のことを問うのだが――――
その店の常連は皆「せっちゃんによろしく!」と松五郎に声をかけてから帰る。各駅しか止まらない小さな駅の前にある、小さな酒場「せっちゃん」に通ってくる「上品ではない客」は皆「まっちゃん」に会いに来る。「もやし炒め」は食べたり、食べなかったりだが、主人公はそこに人情や人生、愛情や優しさをみつけることになる。
珍しく酔い潰れた経理部長を家まで送り、自宅で待つ妻にメールを入れる。すぐに返って来た返信メールには愛娘の写メと共に「はやくかえれ~」の文字が夜道に光る画面に映される。
自分が捨てようとしていたものの大きさ、暖かさ、大切さを思い出した主人公は、もう店じまいした「せっちゃん」の横を通り、足早に駅に向かう。そこには大きなゴミ袋を持った「まっちゃん」が立っていた。主人公を見つけた「まっちゃん」は、月明かりの下、軽く手を挙げ始めたから、主人公も反応して手を振り返そうとしたそのとき、「まっちゃん」の手の指は伸び、そのままゆっくりと己のこめかみにあてられる。脇を引き絞め、肘が横っ腹に密着し、踵がびたりと揃う。
主人公は足を止めた。
そこにあるのは大日本帝国海軍軍人、富樫松五郎の敬礼だった―――
――――――っと、まあ、こんな感じなんだがね。この主人公の奥さんがまた良い人でね、オフィス用品を取り扱う会社で働く旦那をよく支えてるんだな、これが。一応、頭の中にはドラマ化された際の配役もあったんだが(笑)、もちろん、映画化されるときには「はぶて師匠」に配役を相談せねばならない。師匠の嫌いな俳優を使うと、あの辛口評価が「D」とかにされるからだ。まあ、また気が向いたら手直しして、どっかに送ろう。世の中には「まさか」という坂があるのだ。人生、何が起こるかわからないし、何も起こらなくとも、それはそれで幸せなものだったりする。ま、つまり、どうでもいいじゃないかw
さて、今日は「敬老の日」である。ということは私の祖母の誕生日でもある。ばあちゃん、おめでとう。ならば、昨日の19日は虹の親父・河内屋さんの誕生日でもある。親父、誕生日おめでとう。新世界の「もつ鍋」連れてってください。串カツ喰わせてください。
ンで、今日の産経新聞に素晴らしい記事があった。これだ。
http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/100919/wlf1009192248002-n1.htm
<「所在不明問題 責任私らにも」「表彰状より施設整備を」… 100歳の主張>
ちょっと全文貼っておく。
<全国で相次いで明らかになった高齢者の所在不明問題。居住実態のないことが確認できた人に対し、各自治体では住民登録を抹消するなどの手続きを進めているが、高齢者を見守る態勢をどう築いていくのかという根本的な問題は残されたままだ。20日は「敬老の日」。100歳以上の人たちの声を聞くと、高齢者側にも意識改革が必要との指摘がある一方、安心できる施設整備を求める声も上がるなど、問題に揺れ動く高齢者たちの本音が浮かび上がる。
「年老いた親は厄介ものになってしまったのかもしれませんね。構ってもらえなければ、自分で出ていく。その気持ちは分かりますよ」
大阪府吹田市で書道教室を主宰している菅谷藍さん(102)。27歳のときに結婚したが、夫とは間もなく死別。子供はおらず、70年近くのほとんどを1人で生活してきた。
一軒家での1人暮らし。「気楽でいいわよ」と笑う。書道の教え子は毎日のように家を訪れ、お茶や菓子をつまみながら会話を楽しむ仲。近くのスーパーに買い物に行くのも楽しみ。隣家とは毎朝あいさつを交わす。家に閉じこもらないことを心がけている。
所在不明問題は、高齢者側にも責任の一端があると感じている。ある高齢者の集まりに出席した際、同伴した息子に文句を言い続ける高齢者の姿を見た。息子は陰で、同年代の知人に愚痴をこぼしていた。
「子供に面倒を見てもらうのは当然だ、という意識を持つお年寄りがいるのかもしれないが、昔と今の人では価値観が違う。高齢者らは日々、若い人たちに感謝の気持ちを持って接しているでしょうか」
神戸市内のマンションで70代の娘と同居する女性は今年100歳を迎えた。国からは菅直人首相の名が書かれた表彰状と銀杯が届いた。「こんなことにお金を使うより、老人施設の整備に使ったらどうかしら」
現在の家には10年ほど前に引っ越した。周囲は新旧の住宅、マンションが並び、小学校では子供たちの元気な声が飛び交う。
だが、地域の交流意識は薄い。「自治会や老人会はあるけれど、古くからの住民が中心で、よそ者を受け付けない感じ。自治会などの入会の勧誘もないし、地域の交流行事に声もかかりません」
民生委員が来ることもほとんどない。最近は、所在不明問題を受けて所在を確認に来たぐらいだ。「見たこともない民生委員がすっ飛んできましたよ。失礼じゃない」
自分の体が思うように動かなくなったら、施設に入所することを決めている。「入所するにもお金がかかるでしょう。お金がない人たちも安心して見守ってもらえる施設を、行政が整備してもいいのでは。長い間税金を払ってきたんだから、それくらいのことはしてほしいわよね」と、朗らかに笑った。>
これは実にすばらしい。何が素晴らしいかというと、すごくバランスが取れている。「若者に感謝しなくちゃ」と言いながら、ちゃんと「税金払ってきたんだから、お金がなくても施設で暮らせるようにすべき」とも言っている。さすが、人間は100を超える頃から何かが違う。しかしながら、私の意見とは少しだけ違う。
ちなみに、私事ばかりで申し訳ないが、私は「介護」の仕事を始めようと思っている。10月から専門の学校にも行くことが決まった。「介護なんか、みんな嫌がるから楽勝」と思っていたが、なんともまあ、不景気なんだろう、25人募集の枠に約70人がきた。焦った。
選定試験もやったが、問題は大したことはないのだが、これが意外と、なんというか、問題が多いから慌てた。数学だ。国語はすっとできた。10分もいらなかったはずだ。しかし、暗算である。電卓が憎い。理屈は分かっていても暗算のスピードが遅い。理解が怪しい。
家に帰ってから妻に「おとしゃん、落ちたかも・・」というとひっくり返って笑われた。妻曰く「おとしゃんが、落ちるはずないww」だったが、それが重圧というもの、である。しかも、今回は申し訳ないが舐めていた。だから、余計にビビっていたのである。返信用封筒の中身を開けてみて「合格」の文字をみるまでは、あぁ~あぁどうしよっかなぁ?と、まるで出来の悪い中学生のような態度だったかもしれん(笑)。
でも、まあ、私は介護サービスというモノに興味を持っている。とにかく、現場が知りたい。現場で働いてみたい。金なんか月に15万くれたらいい。どうせ、喰うには困らんし、困ったとしたら、まあ、そのとき考えればいい。まあ、しかし「子育て終了」とはここまで楽なのである(笑)。我ら夫婦はすでに「老後」であるから、夫婦二人と犬2匹、細く長く食べていけたら、それでもう、なんともありがたい話なのだ。ただ、あと少し長いw
これからの人生は「何を成すべきか?」を考えつつ「どこで何を喰うべきか?」を熟慮しつつ、残りはもはや「お釣り」である。あとは世間様にお返しするだけだ。我ら夫婦は死ぬまで楽しく生きればよいだけなのである。
ま、ざっくり言うと、だ。
怒られるかもしれんが、私の老人介護に関する考え方は、基本的に「赤ちゃんポスト」と同じである。老人介護については、例えば「日本には姥捨て山があった。あのシステムは非常に優れていて、労働力にならぬ老人は自ら、残る者のために死んだのだ」という人もいる。また逆に「人生の先輩である御老人を大切にせぬ社会などあってはならぬ!」という人もいる。私はどちらも間違えていると思う。答えは「赤ちゃんポスト」だ。つまり、
居るんだから仕方ないじゃん
ということである。私は理屈に勝る現実に向き合うのが人間社会の真理だと思っている。日本の社会には現実として、体が不自由になった老人がたくさん困っているのに「老人だからといって甘え過ぎである。自分のことが出来なくなったら、自分の始末は自分でつけるべき」という人もいる。まあ、私の好きな漫画家の小林よしのり氏もそうだし、作家では曽野綾子さんもそうだ。「自分の始末」という著作まである。もう亡くなってしまったが、上坂冬子さんもそうだった。曽野綾子さんとの共著で「老いの一喝」という名著も出された。私は死生観も大切だが、そのいくつかの入り口には「老い」というものが当然あるから、「老い」とか「老後」などというテーマの本をいろいろと読んだ。
その中には結構、人様に迷惑かけながら、それを当然のことのようにして、高齢者医療制度がどうの、老人福祉がこうだ、と文句ばかり、あまつさえ「老後になったら旅行に温泉も行けない」という愚痴や不満を朝日新聞なんかに投書するような老人はダメだ、という意見が少なくない。戦前から生きてきて、多くの同世代が国難の前に殉じて作り上げた今の世の中を「生き難い」と嘆くなど、その当時を知る老人として恥ずかしくないのか、という厳しい意見もある。そして、正直に言おう。私も実はそう思っている。しかし、それはあくまでも「自分のこと」として、である。
小林よしのり氏は「楽に死ねる薬」を秘書に探させているようなことを漫画に描いていた。私も欲しい。私には医薬品の知識がないから、今のうちに詳しい人に相談しておこうかとも思っている。虹の会にも思い浮かぶ顔がる。あの人と、この人に相談してみよう。私の場合は少々、苦しんでもいいから、確実に絶命できる薬が欲しいと思う。
私は妻や倅には言ってある。私は道端の喧嘩には興味もないし、自分が売られても買わない自信があるが、もし、万が一、誰もいない夜道、暴漢に襲われている女性を見つけたら勘弁してくれ、川で溺れる子供を見つけたら許してくれ、と告げてある。怖いのだ。そのとき、咄嗟に動けぬ自分が。瞬時に覚悟を決めれぬ自分が怖いのである。
もし、夜道で襲われる女性を見て見ぬふりし、その後、私が100まで生きたとして、そこに何の意味があろう。その腐ったハラワタのまま語る言葉、書く文章に何の意味があろう。
ま、話を戻すと、先ほどの産経新聞にあった102歳の女性は「若い人に感謝をしてますか?」という問題提起をされておられる。どうやら日本の老人介護は避けては通れぬようだ。昨日の新聞でも「65歳以上の高齢者が過去最高」になったとあった。そして、相変わらず少子高齢化は加速する傾向にある。しかし、日本の年寄りには元気な人も多いから、街を歩く65歳の高齢者とはいえ、体力的にも感覚的にも若い者に負けてはいない。だから、つい「目の前にある問題」として関知しない。もっと先の話、困るのはずっと先だということになっている。だから、この102歳の書道の先生ですらが「税金で施設で暮らせるようにしてくれたらねぇ」と笑うのである。
また、私は意見は違えど、この提案には賛成する他ない。理由は同じく「赤ちゃんポスト」である。仕方がないからだ。そうする他、どうにも仕方がないのである。
そして、そうするならば、どうせならば快適に過ごしてもらいたいと思う。出来る限り、一所懸命にお世話する人間が必要ともなる。それも私はしてみたい。また、これも新聞だが、お年寄りが子や孫に対して「敬老の日に欲しいもの」とは「会話して欲しい」だったと書いてあった。私もそう思う。そして、私は老人の話が聞きたい。私はお年寄りを笑わせたい。一緒に笑いたい。
お年寄りの方は話せる人は話したい、動ける人は動きたい、作れる人は作りたい、教えれる人は教えたいのである。私はそれこそが「ニーズ」であると思っている。私の言う介護サービスとは、そのような意味である。これからいろいろなことを学ぶことになるが、すべからくそれは、そのニーズに応えるがための技術であり、知識であると判断して取り組みたく思う。
そこに小さいながらも「感謝の相互関係」が成り立つならば、これは如何なる「老人福祉」における議論にも対応できよう。こうあるべき、そうするべき、ではなく、もっと現実の問題として、私はお年寄りの方々を笑わせたい。喜んでいただきたいのである。
なぜか?
それは、そこに居るから、である。
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