毎年のことだが「黄砂」が舞っている。フロントガラスに付着した毒砂は忌々しいものだが、テレビでも換気は控えめに、外出時はマスクを、布団は干さない、洗濯物を取り入れる際には花粉や黄砂に留意しましょう、とやるようになって久しい。
日本で最初に「花粉症」をみつけたのは荒木英斉。1961年だった。進駐軍が持ち込んだ「ブタクサ」が原因だとされて、気象庁は1967年から観測を始めているが、べつにこのときは大騒ぎしていない。いまでは「国民病」とされて、日本ではおよそ推定2500万人が患っているとされるが、そもそも「いまの原因」とされるスギ花粉が妙だ。スギは大昔から日本にある。タケノコじゃあるまいし、急ににょきにょきなわけもない。
また「黄砂」も太古からある。江戸時代の「霾(つちふる)」は「春の季語」だし、一説によると白亜紀からある。しかし、これが2000年から一気に増える。ダストストームが汚染物質を巻き上げる。その原因は―――言わなくてもわかる。奇しくもその頃から、日本でも「花粉症」がメディアに登場する。目が痒くないか、鼻水が止まらないんじゃないか、と毎日やる。症状を覚える国民はメディアの言う「花粉症」だと疑わない。
うがいに手洗いなどの対策も同じ。アレルギー性の鼻炎や結膜炎の悪化も同じ。アトピーに悪いのも同じ。防ぐ手段としての対策が同じ。結果としての症状が同じ。ただ黄砂は花粉と違って8種類以上の重金属、通常平均値の10倍以上のマンガンとかヒ素のオマケがつく。その「実害」がくしゃみや鼻水で済まないことも自明だ。
それでもメディアは当初、スギ花粉にヒノキ花粉しかやらない。不思議な話だと思っていたら、朝日新聞なんかは<黄砂、地球を冷やす>(2005年・10月2日・夕刊)で<地球全体で「1平方メートル当たり年平均0.3ワット」というわずかな冷却効果があったと推定した>とか、だからどうしたみたいなフォローもした。また、いまでは「中国からの黄砂が」と時節の挨拶になったが、当時はコビ砂漠やタクラマカン砂漠から、と報じていた。馬鹿には支那かどうかわからない。
黄砂=支那が隠さずによくなった最近、ちょっとこれはシャレにならないぞとわかってきた。北京大学の研究でも2012年、北京・上海・広州・西安の4都市でPM2.5に起因する死者は年間約8,000人と発表した。中国環境保護部はPM10を中心とする大気汚染による死者は中国全土で年間約35~40万人と推計している。原爆レベルの汚染なのだ。原発事故の放射能汚染がどうしたと騒ぐ連中は是非、この「実害」にも注目して欲しい。放射能が怖くて西日本に逃げ出し、安心して深呼吸するのがよろしいのかどうか、わかったもんじゃない。
いまの季節には「春一番」が吹く。本来は春の到来を告げる風物詩であるが、多くの日本の空は濁っていた。だから朝日新聞も社説で<今年はちょっぴりゆううつになる>だった。
この新聞は「毒餃子」のときは「ギョーザ」で「中毒」と書いた。うっかり読むと食中りみたいだった。朝日川柳には<そのうちに所詮ギョーザと首相言い(さいたま市 脇田徹)>とか<毒物が浸みる袋で売っていた(横浜市 平松基)>を並べて遊んだ。支那の毒餃子をして自民党の総理を腐し、メタミドホスが袋の中からも出たとして「日本も責任」も言いたかった。悪い意味だけだが、いやはや、凄い新聞だ。
朝日新聞社員が北京の香りを含む微粒子を胸いっぱい吸い込むのは勝手にすればよろしいが、多くの日本人、ましてや子供や年寄りにはお勧めできない。<ちょっぴりゆううつ>とか、支那の顔色を見てお気楽も言ってられない。窮屈なマスクを手放せず、濁った空を見上げながら眉間に皺寄せ、親や子供を案じながらも口元押さえて仕事に行く、そんな普通の日本人からすれば、かなり「ゆううつ」な新聞である。
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