忘憂之物

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             渋沢栄一

東京大空襲から68年、10万人の冥福祈る

2013年03月11日 | 過去記事



東京大空襲から68年、10万人の冥福祈る

<一夜にして10万人以上が命を落とした東京大空襲から10日で68年。犠牲者を慰霊する法要が都内で営まれました。

 東京・墨田区の「東京都慰霊堂」で行われた法要には、大空襲で家族を亡くした遺族らおよそ300人が参列し、犠牲者の冥福を祈りました。

 法要には秋篠宮さまも参列され、東京都の猪瀬知事が追悼の言葉を述べました。

 第二次世界大戦中の1945年3月10日に起きた東京大空襲では、アメリカ軍の爆撃機B29が投下した焼夷弾およそ32万発で下町が炎に包まれ、およそ2時間半の間に10万人あまりの人が亡くなりました>







1944年のバレンタインデー前日、ツヴィンガー宮殿とか聖母教会があるドレスデンの街の上空、夕暮れに飛んできたのは英空軍のランカスター爆撃機244機。降ってきたのはチョコレートではなく大量の榴弾だった。このとき、ギュスターヴ・クールベの『石割り人夫』も破壊された。

バレンタインデー当日になった深夜、また、ランカスター爆撃機が529機やってきた。降らせた焼夷弾は1800トン。同日の昼過ぎには米空軍の御自慢、B-17がやってきて771トンの榴弾を降らせる。護衛のP-51は機銃掃射のオマケもつけた。狙うはもちろん、路上を逃げ惑うドイツの女子供だ。その翌日になる15日。榴弾が余ったのか、またまたB-17が飛んできて466トンの爆撃をした。これは実に「理に適う」ことだった。

先ず、榴弾でバロック建築の屋根を破壊する。剥き出しになった木材に焼夷弾を降らせる。火事で逃げる民間人にはまた榴弾と機銃掃射。それでも生き残った民間人は翌日、これほど破壊された街に用はないだろうと瓦礫を片付けようとする。家族が埋まっている。大切な品が埋まっている。歴史ある彫刻とか絵画が焼け残っているかもしれない、と出てきたところをまた爆撃する。最高で1500度にも達する火災旋風、いわゆるファイアストームが発生して燃え続けた。これで15万人が死んだと言われる。

しかしながら、米英軍からすればハンバーガーと同じ。下から順番に重ねていく。実に合理的だ。名目は「東からドイツに攻め寄せるソ連軍の進撃を空から手助けする」だった。もちろん口実だ。この翌年の4月にヒトラーは自殺するが、この頃はもう「ベルリンがいつ陥落するか」という状態だった。まさにナチスドイツの息の根を止める、それだけの理由で民間人は何人でも死ねばよかった。

3月10日は陸軍記念日だ。アメリカは当然、その日を狙った。ルーズベルトは日本軍の重慶に対する爆撃に対し<人間の良心に極めて深い衝撃を与える非人道的な蛮行だ>と欺瞞を言った。約4000トンの爆弾を投下するのに、英米軍のドレスデンは2日半だったが、日本は重慶空爆に半年を費やした。だって天気の悪い日は爆撃しない。軍事施設かどうか確認してから爆弾を落とすから時間がかかった。蒋介石はなぜだか日本軍が市街地を攻撃しないから、高射砲やらを市街地に隠していたほどだ。

これを戦後左翼は「半年間も爆撃を続けるとは残虐極まる」と馬鹿を言う。日本軍は誤爆しないよう、細心の注意を払っていた。精密爆撃の御手本だった。また、お人好しが軍服を着たような日本軍は、どこまでいっても戦争とは「戦場で兵士がやるモノ」という常識があった。だから「効果に疑問」として他の都市は空爆しなかった。だから日本軍における戦略重爆撃機の生産は紙の上だけだった。やっていれば楽だった。それで勝って「多くの人命を救うためには止むを得なかった」とか言えばよかった。

1945年3月10日の東京大空襲では2時間半でドレスデンや重慶のおよそ半分、38万1300発、1783トンの爆弾を投下した。この全部が焼夷弾になる。B-29は6トンの焼夷弾を積んでいた。通常、この機の最大搭載量は3トン。つまり、機銃や弾薬を下ろしてまで焼夷弾を積んだ。乗組員も減らしている。日本に防空能力があるかどうか、知らなければやれない作戦だった。

ドレスデンがハンバーガーなら東京はポットパイだ。牛肉やグレイビー、ミックスベジタブルを薄いパイ生地で閉じ込める料理だが、この大虐殺はまさに「閉じ込めて」からやった。3月9日の夜、米軍の編隊は東京上空に飛んでくる。日本軍も警戒警報を発令する。住民は防空壕やらに逃げる。そこで一旦、米軍機が飛び去る。日本軍は「米軍機は房総半島沖に退去」と誤認する。警戒警報は解除。東京下町の人々は家に戻って寝てしまう。

日付が変わった0時7分。325機の出撃機のうち279機が、第一目標である東京市街地に爆撃を行う。東京下町の家屋は防火性に優れた屋根瓦だったが、アメリカも伊達にハワイから畳を持ってきて実験していない。ちゃんと屋根瓦を突き抜け、屋内で火災を発生させる焼夷弾を開発していた。言わば「日本人を殺すためだけの研究」だ。

やり方はドレスデンと同じく合理的、且つ、今度は有色人種が相手だから手加減をしない。先ず、屋根瓦を突き抜ける形状の黄燐焼夷弾やエレクトロン焼夷弾などを降らせる。それで市街地を「囲む」。屋内で延焼させても生き延びる日本人はいる。だから逃げ場を失わせておいてから飛び出してくるのを待ち、それからクラスター型焼夷弾を降らせる。ゼリー状のガソリンが染み込んだ特製だ。これが逃げ惑う日本人に「直接」降り注ぐ。直撃を喰らった人は突き刺さって即死するが、それが避難する人でごった返す中、広い範囲で延焼する。人に直接突き刺さった炎が人に直接燃え移る。地獄があるのならコレはそのひとつだ。

また、今朝も寒かったが、この日の東京も冬型の気圧配置だった。強い季節風が吹く。江戸の大火や関東大震災を研究した米軍からすれば願ったり叶ったりだ。その所為で火災は風速100メートルを超える竜巻になり、高度15000メートル、つまり成層圏まで達した。しかし、カーチス・ルメイはこのあともやった。翌月にはまた、B-29を飛ばして城北地域や城南地域を焼いて機銃掃射、4000人以上を殺した。5月には山の手に470機のB-29が来襲。7000人以上を殺して皇居も燃やした。6月からは大阪になる。今年ももう何回か慰霊碑に行ったが、その8月14日に8回目の大阪大空襲、当時「雲量10(目視不能)」の国鉄京橋駅周辺に1トン爆弾の雨を降らせた。いるのは通勤客と女子供だけだ。まったく軍事的にも何ら必要のない、ただの無差別殺戮だった。相手が同じ人間ならこんなことしない。まさに鬼畜だ。外道だ。



朝日新聞「天声人語」が挨拶代りの「戦争は悲惨」とか「忘れてはならない」をやったあと、筆が滑ったのか<戦中派には恨み重なるB29を、昨今の若者は濃い鉛筆のことか?と問うそうだ>と書いた。そんなのいるなら、そいつに問うてみよ。たぶん「H2Aロケット」も「F-15」もそうなのか、と問うてくるだろう。要するに阿呆なのだ。それを勝手に『昨今の若者」として括るな、と昨今の若者の名誉のために言っておく。

朝日新聞記者の周囲には阿呆しかいないらしいが、この拙ブログの読者諸賢をはじめ、私の周囲はそうでもない。ちゃんと昨今の若者は知っている。勉強もしている。だから昨年も朝日新聞は営業損益がマイナスの1億円と少し、純損益が20億円ほどあっただろう(2012年3月期)。心配せずともアベノミクスも関係ない。北京の親分と同じく、だんだん小さくなる支那共産党機関紙。日本人から薄ら笑われる売国メディア。天声人語が書く通り、もう10日も過ぎた。今年の3月期決算も期待しているぞ。




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